以前、にんべんの本社ビルには小売店舗がありましたが、ギフト需要がほとんどで客層は高齢化していました。バブル崩壊とともにギフト需要はどんどん減って週末には数十人しかお客様が来ない日もあり「これではいかん」と。次の核を生み育てるためにも、まずはお客様との接点を増やしたかった。日本橋地区の再開発を機に、とにかく知って触れて味わってもらおうと、新たに出した本店にイート・イン・スペースを設けました。
──新しい事業に挑戦するときには社員の間に抵抗感も芽生えます。どうやって乗り越えましたか。
高津:実は、にんべんの歴史をさかのぼると、大正時代には喫茶部があり、小売店舗の横で喫茶店を営業していたらしいです。そんな事情もあってか、飲食業に対する抵抗はあまりなかったように思っています。
ただ本格的な飲食店は初めてですからノウハウがない。「自分たちにできるのだろうか」という不安はあったかもしれません。そこでコンセプト開発と店舗設計などはカフェの開発・運営などを手掛ける会社の力を借りました。
和食を気楽に楽しんでもらうのがはなれの狙い。炊き込みご飯や具だくさんの汁物を提供していますが、定番の和風だしをきかせたものと、洋風やアジア風のテイストを加えたものと、常に2軸でメニューをつくっています。メニュー検討会には私も顔を出して味を確かめています。
──和食はユネスコの無形文化遺産に登録されるなど世界的に注目度が高まっています。にんべんの事業にも追い風ですね。
高津:確かに追い風は少しあります。けれど、それ以上に日本人の食が乱れていて、逆風も強いと感じています。安い加工食品ばかりを3食とも食べているような人もいますから。貧富の格差や二極化が社会問題になっていますが、食生活にもそれが表れているのかもしれません。
にんべん1社で食の乱れを正すことは難しいけれど、だし場で100円のだしを飲むことで、それまで知らなかったかつお節のおいしさに気づいてもらえるかもしれない。それが変化のきっかけの1つになればいいなと思います。
アジア系飲食店に商機
──海外展開はどのように進めていますか。
高津:非常に高い関心を持っていますが、我々の力が伴わず、十分に対応できていないのが現状です。今、輸出は売り上げ全体の1%、1億5000万円ほど。これを17年度に5億円まで伸ばそうと頑張っています。
海外でも売れ筋はつゆの素やフレッシュパック。従来は日系スーパーなどでの販売が中心で業務用市場はほとんど手付かずでした。今後はそこを強化していきます。
また、今は海外売上高の半分以上を米国が占めていますが、今後はアジアの売り上げも拡大したい。日本人が経営する和食レストランは、花かつおを使ってだしを取りますが、中国人や韓国人が経営する和食レストランは薄めれば出来上がるつゆの素の方が「味のブレがない」と好まれるようで、商機が大きいと考えています。
──にんべんは創業1699年。300年以上の歴史は今のビジネスにどう生かすことができますか。
高津:にんべんの歴史を振り返ると、良いとき、悪いときと明確に凸凹がありました。凹んだ時期を乗り越えられたのは、その時代ごとに新しい商売、新しい商品を打ち出し、お客様の支持を得たから。かつて、現金掛け値なしの商売にしたり、商品券を作ったりと常に新しいことに取り組んでいます。
にんべんは社員190人ほどの規模の会社で、大手メーカーとの価格競争では勝ち目がありません。今まで通りの商品で、今まで通りの売り方では売り上げは減少するばかりですから、これからも新しいことに挑戦していきたい。かつお節専門店として300年以上、追求してきた味と香りを徹底してお客様に届けたいと考えています。
例えば、今はこだわりのたれや調味料などの専用商品や総菜店の開発に取り組んでいます。直営の小売店舗のほか通販も増やし、17年までに直販比率を30%に拡大したいと思っています。
事業展開でベンチマークとしているのは虎屋さん。羊羹(ようかん)という主力製品を持ちながら新製品の売り上げも大きく、「トラヤカフェ」「とらや工房」などの新しい事業にも挑戦していて勉強になります。
──新しい取り組みを始める際、にんべんというブランドは大きな資産となりますね。
高津:その通りです。お客様からは「にんべんさん、にんべんさん」と1つの人格のように慕っていただいています。このブランドを次世代の方たちにも知ってもらい、支持してもらおうと、新たなブランディング戦略も進めています。
約3世紀にわたって使い続けてきたロゴは長い歴史の中で使い方や形がグチャグチャになっていたので、新しくして、使う際のルールなどを定めました。
同時に、日本橋の地でのれんを守っていくこと、本物のかつお節を作り伝え、日本の食文化を支えていくことなどを盛り込んだ「にんべんの約束」という冊子を作りました。この約束を遂行することが我々の使命だと思っています。
──13代目社長の高津社長は会社の継承をどう考えていますか。
高津:私自身は小さい頃から、「いずれ会社を継ぐように」と言われて育ちました。工場へ連れて行かれたり、かつおの産地を見て回ったりもしました。継ぐのが当然の路線でした。
今、15歳の娘と13歳の息子がいますが、2人にも多少、刷り込みをしていますね(笑)。日本の由緒正しい食文化や会社の歴史も自然な形で伝えています。例えば正月の食事は祖先の記録を基に毎年、雑煮、煮しめ、黒豆、勝栗、きんぴらごぼう、数の子と香の物。今の時代にはややひもじい内容ですが、あえて300年続く伝統を守っています。節分や創業記念日には初代・高津伊兵衛らの掛け軸を床の間に飾ります。
私自身が会社を継いだとき、伝統はあるけれど、少し古くさい会社という印象がありました。そのにんべんを時代に合わせて磨き上げ、いずれ子どもが「素敵な会社だな」と思って継いでくれるような存在にしたい。そういう思いが今、自分自身が仕事をするときのモチベーションにもなっています。
日経トップリーダー 構成/小林佳代