実例からドラッカーのマネジメントを学ぶ連載。北海道宝島旅行社の取り組みを紹介します。リーダーシップとカリスマ性の違いとは何かがよく分かるエピソードが詰まっており、リーダーシップに欠かせないものとは何かを気付かせてくれる起業事例である。
「重要なのはカリスマ性ではない。ミッションである。従ってリーダーが初めに行うべきは、自らの組織のミッションを考え抜き、定義することである」 (『非営利組織の経営』)
リーダーシップとカリスマ性を混同してはならない。
組織の求心力を個人に求めてはならない。たった1人のカリスマに頼れば、その1人が去ったとき、組織は危機に直面する。
リーダーシップの源泉はミッションにある。考え抜かれたミッションと、それに従ったリーダーとメンバーの日々の行動が組織を方向づける。リーダーシップとは本来、組織を構成する1人ひとりの意識と行動の蓄積である。組織の存続に不可欠な次の問いを忘れてはならない。
「われわれのミッションは何か」
ミッションには次の3つの要素を折り込む必要があると、ドラッカー教授は説いた。機会、卓越性、コミットメントだ。
北海道宝島旅行社の事業には、最初から「機会」が折り込まれていた。北海道は未開拓の観光資源に満ちている。
さらに「卓越性」を高めるべく、体験型観光プログラムという独自商品の価値を、質量共に他を圧倒するものに育てた。その過程で、共通の価値観に「コミット」するチームをつくり上げた。
焦点の定まったミッションが良き縁をつなぎ、チームとしての力を高めた。
(ドラッカー学会理事=佐藤 等)
ドラッカーに学んだ先輩企業(18) 北海道宝島旅行社
北海道宝島旅行社の経営陣。北海道の地域振興にかける鈴木社長(中央)の熱意に共鳴し、林副社長(右から2番目)や本間取締役(右端)、大和副社長(左から2番目)などが集結した。左端はIT技術を支える高橋由太執行役員CTO
今、自分が死んだら保険金はいくら下りるか。その金で出資してくれた仲間に義理を果たせるだろうか――。営業に回るレンタカーの運転席で涙があふれた。債務超過寸前。2009年7月、北海道宝島旅行社(札幌市)の鈴木宏一郎社長は崖っぷちに立っていた。
夢と安定のはざまで迷う
九州出身の関西育ち、大学は東北。そんな鈴木社長が北海道で起業したのは07年4月。乗馬やラフティングなど体験型観光プログラムを集めたサイト「北海道体験.com」を立ち上げた。
大学時代にバイクで北海道を回り、美しい景色や出会う人々の温かさに魅了された。卒業後はリクルートに入社。東北支社、東京の広報企画部を経て1993年、念願の北海道支社に異動した。
4年後、北海道拓殖銀行の破綻で道経済が落ち込んだ。そこで行政から予算を引き出し、移住促進策などを提案する「地域活性事業部」を支社内に立ち上げた。
さらに地域振興について学ぶため、会社員との二足の草鞋(わらじ)で2年間、小樽商科大学大学院に通った。そこでドラッカーの著作と出合い、起業のきっかけとなった修士論文「『地域経営型グリーンツーリズム』による、北海道の地域活性化策の考察」を書き上げた。
農家や漁師をはじめ地域の人たちが自ら、地域の魅力を生かした体験型観光を展開し〝外貨〞を稼ぐ。そんな道経済の理想像を1年かけて論文にまとめた。この実現こそ自分にとって、ドラッカーのいう「ミッション」だと確信した。
起業までには迷いもあった。鹿児島などへの転勤を経てリクルートを退職し、札幌の会社に転職。だが家族の生活を考えると、なかなか独立には踏み切れなかった。
背中を押したのが、リクルート北海道支社時代の部下の林直樹氏だ。鈴木氏の転職を知ると札幌まで訪ねてきて迫った。
「修士論文のあの事業、やるんですよね!やりましょう!」
林氏は既にリクルートに辞表を出していた。鈴木社長も腹をくくって2007年、北海道宝島旅行社を創業。当初の資本金は900万円。鈴木社長と副社長になった林氏が300万円ずつ出資し、残りは大学院時代のゼミの仲間3人が100万円ずつ出してくれた。
手堅くやったつもりでも…
「イノベーションに成功するには小さくスタートしなければならない」(『イノベーションと企業家精神』)と、ドラッカーは言う。その言葉通りにやろうと始めたのが北海道体験.comだった。体験型観光プログラムを主催する農家などを募り、一緒に企画を練った旅行商品が500~600個並ぶサイトを制作。メールで予約できるようにした。成約すると、売り上げの10%の手数料が会社に入る。
体験型観光をまとめたサイトは今でこそポピュラーだが、当時はまだ珍しく、すぐにメールが殺到すると考えた。しかしメールは一向に来ない。仕方なく負荷が増すのを覚悟で電話受付を始めたが、その電話も鳴らない。資本金900万円は瞬く間に底を突き、銀行には相手にされず、親しい友人などから出資を募るうち、資本金は2350万円に膨れ上がった。
追い込まれた鈴木社長は地方自治体などを営業に回り、サイト制作といった仕事を受注して日銭を稼いだ。それでも起業3年目で債務超過寸前に。自分を信頼して金を出した友人たちの顔を思い起こすと、泣けてきた。
一筋の光明もあった。外国人観光客の増加だ。だが、鈴木社長も林副社長も英語が不得手でインバウンド需要に踏み込めずにいた。
そんな折、リーマン・ショックの余波で、思いがけず英語堪能な人材を得る。政府が失業対策として実施した緊急雇用創出事業を活用し、補助金を得ながら人員を補強しようと考えた鈴木社長の下に応募してきたのが、シンガポールで働いた後、地元北海道で求職活動をしていた本間友紀氏。現在は取締役を務める。
面接で彼女に、いつもの熱弁を振るった。「うちは北海道のために頑張る会社なんだ。この土地の魅力を価値に変え、北海道が“外貨”を稼げる仕組みをつくろう!」。
本間取締役の奮闘で、北海道体験.comの英語版ができた。だが、それだけで外国人観光客が集まるほど甘くなかった。
軸があるから同志集まる
鈴木社長は、ビジネスモデルそのものに限界を感じ始めた。「観光プログラムの単品販売だけでは、現地に足を運ぶのも大変なお客さまにとって不十分。交通や宿泊の手配までしなくては、お金を払ってもらえるだけの価値は生めない」。
だが、そこまでやるには旅行業免許を取得する必要がある。
そんな折、道内の旅行会社が破綻し、鈴木社長もよく知るベテランの企画責任者、大和寛氏が新天地を探していると知った。すぐ採用し、大和氏の尽力で2カ月後の11年2月、子会社を通じて旅行業免許を取得。大和氏は現在、副社長として鈴木社長を支える。
鈴木社長はこう振り返る。
「ミッションを修士論文という形で文章化した体験は大きかった。ミッションが体に染み込んでいるから、苦しくても諦めなかったし、共感する仲間が次々集まった」
リーダーシップについて、ドラッカーはこう記す。「最初に考えるべきものはリーダーシップではない。ミッションである」(『非営利組織の経営』)。鈴木社長のミッションは、間違いなくリーダーシップの源泉だった。
旅行業免許の取得で事業が軌道に乗った。大和副社長と本間取締役が海外に出張して営業。オーダーメード型の旅行を次々に受注した。最大の武器は、今では1300以上にまで増えた体験型観光プログラムの充実ぶりだ。苦しい時期も開発を続けた努力が実った。
例えば、東南アジアや欧米の富裕層が家族や仲間十数人と北海道を10泊する。予算は1人1泊10万円ほどで楽しい旅にしたい。こうした顧客から、ベジタリアンやハラル対応も含めて、要望を細かくヒアリング。浜に上がったばかりの魚を、漁師の奥さんと一緒にさばいて食べるなど、お金だけでは得られない体験を提供する。
16年、旅行業免許を持つ子会社と合併し、17年3月期は売上高6億5500万円。黒字が定着したここ4期は配当を実施した。さらに地方自治体の委託で開発した体験型観光プログラムに、自社から送客する取り組みも強化している。「まさに修士論文に書いた通りの事業になった。ミッションには、セレンディピティー(偶然の発見や出合い)を引き寄せる力もある」と、鈴木社長は感じている。
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海外の富裕層中心に北海道での体験型観光プログラムを提供。農業・漁業体験をはじめ、餅つきや犬ぞり、ワカサギ釣りなど多彩なメニューをそろえ、飽きさせない[/caption]
【あなたへの問い】
■ あなたが社員に日ごろ、最も強く発信しているメッセージは何ですか?
■ そのメッセージについて、どんな場面で語り合いますか?
■ そのメッセージに、社員が共感しているかどうかを、どのような基準で判断できると思いますか?
損得勘定で集まった組織は、ちょっとした危機から崩壊に向かいがちです。メンバーの関心の焦点が「自分の組織への貢献」よりも、「組織の自分への処遇」にあると、組織の危機が、自己保身に走るスイッチになってしまいます。
「皆で何とか乗り越えよう」という意欲の源は、仲間と共有する仕事の意義や誇りです。そのようなメッセージが社員に伝わっているでしょうか。共感を得られているでしょうか。ドラッカー教授が強調してやまないミッションをいま一度、見直してはいかがでしょうか。
(Dサポート代表※ 清水祥行)
※ Dサポートは、ドラッカーのマネジメント体系を活用した人材開発支援を手掛け、本連載を監修するドラッカー学会理事の佐藤等氏と清水祥行氏の2人が、代表取締役を務める
※ ドラッカーの著作からの引用ページは、ダイヤモンド社刊行の書籍に準拠
日経トップリーダー 構成/尾越まり恵