「社員教育の考え方を学ぼうと、教育学や心理学の専門書などを読むうちに、サラリーマン家庭で育った自分がなぜ経営者になったのかが分かってきました。私は母から、自分の力を信じるセルフエスティーム(自尊心)を強く与えられたから、起業家という大変な道を進むことができた。実際、私は常に母に見守られている感覚があります。母の手のひらの上にいて、何をしてもちゃんと遠くから見てくれているような安心感がある。だから、チャレンジできるんですね。客観的に見たら、起業の成功確率は0.1パーセントくらいだったかもしれないが、リスクを恐れず飛び込めたのは母のおかげです」
母の深い愛情を注がれたのは、井上の姉や兄も同じだ。姉は結婚して幸せな家庭を築き、兄は大手商社で欧州事業のトップを務めている。なぜ井上だけが経営者になったのか。それは、兄に対するライバル心からだという。
「小学校、中学校は兄と同じ学校だったのでまだよかったのですが、高校は別になり、さらに差がつき始めたんですね。そして兄は慶應義塾大学に進み、就職もさくっと大手商社に内定をもらった。何とかして兄を追い越したい。一気に抜き去るには、起業しかない。自分が就職活動をするときになって、明確にそう思うようになったんです」
出来のいい兄に引け目を感じていた子ども時代の面影は、すっかり消えていた。負い目がマイナスの感情に向かわず、プラスのほうに転じることができたのは、母親から与えられた自己肯定感のたまものだ。
父親の存在も起業に影響しているという。父は高度成長期を駆け抜けた企業戦士で、仕事一筋。家庭を顧みる時間は少なかった。井上と父の関係は昔も今も良好で、井上は育ててくれたことに感謝もしている。
ただ井上は言う。「結婚して、子どもが生まれて、車と家を買って、何十年のローンを組んで、そして子どもが巣立つ。父親が歩んできた、そんな先が見えるようなサラリーマン人生は嫌だなという気持ちを持っていたから、起業に向かった面はあります。仕事の話を、父からたくさん聞かされていれば違ったかもしれませんが」…
もっとも、父親に対する尊敬と否定が入り交じった複雑な感情は、多くの子ども、特に息子は持っている。
年子の兄に対する強いライバル心、父親と別の道を歩みたいという反発心が、母親から与えられた絶対的肯定感の中で燃え盛り、井上は起業家となった。井上のケースでは、父性と母性の役割の違いが如実に表れている。
井上はこんな独特の表現をする。「母は、OS(オペレーション・システム)を与えてくれた」。OSはパソコンやスマートフォンの基本ソフトで、その土台の上であらゆるアプリケーションが動く。OSがないところにアプリケーションを入れても、エラーメッセージが出るだけ。井上は、人間も同じだと考えている。
「OSはいわば大地です。語学力やロジカルシンキング(論理思考)、コミュニケーション能力などの“苗”をいくら植えても、土地が痩せているとうまく育たない。また、『運』や『縁』という“種”が飛んできても土地に根づかず、風が吹けば飛ばされてしまう。スキルを生かすのも、運や縁を逃さないのも、自分はできるという自己肯定感次第です」
「性善説経営」も母の影響
経営スタイルの面でも、井上は母の影響を受けているという。経営者は、性悪説に立つ人と性善説に立つ人に分かれる。性悪説に立つ経営者は社員を自由にすると怠けてしまうので、厳しく管理することで組織力を高めようと考える。一方、性善説の経営者は、社員の力を信じて仕事を任せることで、自分から育っていくというスタンスを取る。井上はこの性善説に立つ経営者だ。
「僕自身が親から愛情を受け、絶対的に肯定され続けた人間だから、性善説の価値観が形成されています。だから、社員を信じて何でも情報公開して、仕事を任せます。失敗してもいいよ、チャレンジしなさいと、心から言えます」
「ただ、いつ能力が花開くかは、社員一人ひとりによって違う。それを待ち続ける覚悟がないと、経営者は務まらない。うちの母親もそうだったと思いますよ。『あなたは大器晩成よ』と自信を持たせてくれましたが、どのタイミングでスイッチが入るかは、母親も自分も分からなかった。ぐうたらな時代もあったし、遊びほうけた時代もある。それでも私が持っている力を信じ、なるべくしてなる時期を母は待ってくれていた。私の場合は、起業家としてスタートを切ることを決断した22歳で、ようやく起動スイッチが入った。ただ人によってはもっと遅いかもしれない。それでも子どもを信じて待ち続けられるかです」
井上は、京セラ創業者で、日本航空の再建も成し遂げた稲盛和夫を経営の師と仰ぐ。稲盛は、世のため人のために生きるという「利他の心」を考え方の柱に置いている。この稲盛の教えにひかれたのも、母親が高齢者施設などで、ボランティア活動に熱心に取り組む姿を見ていたからだと、井上は考えている。
「楽しそうにボランティア活動をしている姿や、電車やバスの中でお年寄りにさっと席を譲る姿などは、よく記憶しています。人のために、そうやって優しくすることが大切なんだなと、母の言動から学びました」。“経営者・井上高志”は真に、母なくして誕生しなかった。
●まとめ 井上高志氏の育てられ方に学ぶこと
「兄弟・友人と比べない」
もともと自分を卑下するところのあった井上高志が、自己肯定感を強く持つようになったのは、母親が人と比べず、子どもの潜在能力を信じ、「きっと大器晩成よ」「私はいつもあなたの味方だから」とエールを送り続けたからだ。井上はこの点を母親に大変感謝しており、世の親も学びたいところだ。
兄弟の場合、親に悪気がなくても、勉強ができるほうをただ褒めていれば、もう一方は劣等感を抱きやすい。
ある知人女性は、教育熱心な家に育った。兄は有名私立中学に合格したが、女性はそこそこの学校に落ち着いた。その頃から、兄に対する親の期待の大きさに比べ、自分への期待はそうでもないと感じるようになったらしい。
親は「お兄ちゃんのように、あなたも頑張りなさい」と努力を促した。子どものことを思って激励したのだろうが、知人女性はその言葉をかけられるたびに「自分は出来の悪い子だ」という暗示をかけられたような気がしたという。
兄弟に愛情を注ぐときは、丁寧に、公平にということに尽きる。井上の母親は、成績の良い年子の兄と比べることをせず、「勉強しなさい」とも言わなかった。そこに井上は母の愛を感じ、努力を重ねた。
「勉強しなさい」と言うか言わないかは、親によって考え方が分かれるところだ。第1回・第2回で取り上げた村上太一氏の場合は、井上と逆で、母親から「勉強しなさい」とよく言われていた。結局正解は、子どもに合わせた言い方をするということだろう。例えば勉強はしているものの、なかなか成績が伸びない子と、机に向かう習慣があまり身に付いていない子では、言葉のかけ方が違って当然だと思う。
日経トップリーダー/執筆=北方 雅人・本荘 そのこ
出典:絶対肯定の子育て 世に名を成す人は、親がすごい