2016年から2軍の打撃兼野手総合コーチを務める今岡誠氏(現在の登録名は「今岡真訪」)も、その1人である。現役時代は、悪球打ちを得意としながらも三振は少なく、来たボールに即座に反応できる、天才的なタイプであった。
また、どの打順でも結果を出すユーティリティー性も備えていた。1番では首位打者(2003年)、3番では3割をキープしながら本塁打を増やし(2003年12本→2004年28本)、5番では打点王(2005年147打点。セリーグ歴代3位)と、与えられたミッションに応じて期待以上の結果を出す選手であった。
そんな才能を持った今岡氏だが、監督との折り合いが悪かったり、周囲の期待と本人の希望が一致しなかったりなど、活躍した期間は限られていた。“天才”の才能は、なぜ十分に発揮されなかったのだろうか。
今岡氏はプロ入り前から注目を集めていた選手だった。高校時代には春の選抜大会で甲子園に出場。大学時代にはアトランタ五輪に出場し、銀メダルを獲得。1996年のドラフトにて阪神を逆指名し、1年目は打率2割5分、2年目は3割近い数字を記録した。低迷するチームにあって、新人としては十分な結果を残していた。
しかし、1999年に野村克也氏が監督に就任すると、不遇の日々を過ごすことになったのである。ミーティングを重視する野村監督と、練習を最優先したい今岡氏では、野球に対する考えが合わなかった。野村監督は今岡氏に対し「やる気があるのかないのか分からん」「注意するとやる気のないプレーをする」と、マスコミに対してたびたび発言した。今岡氏はやがて2軍に転落。本人曰く「クビ直前」の状態にまで陥った。
今岡氏をスター選手へと引き上げたのが、星野仙一監督であった。野村監督の退任後、監督に就任した星野監督は、マスコミに対して次のように公言していた。
「俺は今年、今岡に期待している、でも今年アカンかったら、あいつは終わりや」。
才能がありながらも2軍に甘んじていた今岡氏に期待を寄せつつ、同時に結果を残さないと厳しい状況であることも認識させた。この言葉に今岡氏は奮起し、猛練習を積んだ。そして星野監督就任後のオープン戦の初戦、9回1死三塁のチャンスに、今岡氏はサヨナラヒットを放った。
今岡氏は当時を振り返り、この一打がなければ、首位打者もなく、打点王もなかったと後に語っている。今岡氏が1軍に定着したこの2003年、阪神は優勝を成し遂げた。
相性が良かったはずの岡田監督だが……
翌年からチームを率いたのが、2軍時代の恩人である岡田監督だった。岡田監督は今岡氏の打順を、星野監督時代の1番から、2004年は3番、2005年は5番に変更した。今岡氏は得点圏打率が非常に高い割には、足が遅いため走塁は不得手だったのだ。そこで岡田監督は、チャンスが巡ってくることが多く、かつ走塁面での負担が少ない打順に今岡氏を据えた。
今岡氏は期待に応え、2005年に見事打点王に輝く。しかも、同年の走者満塁時の打率は6割と、驚異的な数字を残した。同年、チームは見事優勝に輝いた。
しかし、今岡氏が自分で最もしっくりくる打順は1番だった。1番バッターは第1打席にランナーなしの状況から始まる。かつ、第2打席以降も、前のバッターが投手のため、送りバントや三振などのケースが多く、パターンはほぼ決まっている。星野監督時代に起用された1番打者の役割は、今岡氏の性格に合っていた。
今岡氏が最も苦しんだのが、2005年の5番である。前の4番打者がチーム一の主砲であり、4番が打つか打たないかで、状況は大きく変わる。そのため今岡氏は、打順を待つ間の気持ちの整理が難しかったという。今岡氏は「5番以外で打ちたい」と感じながらも、周囲の期待を考えると、「それだけは口が裂けても言えない」と、心の中で葛藤を抱え続けた。
やがて今岡氏は不調に陥る。リーグ優勝を遂げた翌年以降は、打率が3割を超えることもなくなり、出場試合数も100試合を割るようになった。前述の精神面の負担に加え、指がスムーズに伸びなくなる「バネ指」も患ってしまった。バッティングをホームラン狙いの強引なスイングに変更したものの、効果はなかった。
今岡氏は2009年末に阪神から戦力外通告を受けると、千葉ロッテマリーンズに移籍。しかし出場機会が増えることはなく、2011年に現役生活にピリオドを打った。
才能がある人材も、上司次第でダメになる
今岡氏の現役生活からは、たとえ才能あふれる人物だったとしても、組織の中で力を出すことは決して簡単ではないことが読み取れる。
例えばリーダーとの相性。野村監督の「考える野球」は、赤星憲広氏や桧山進次郎氏のように、一部の選手の才能を開花させた。しかし、今岡氏の場合は逆効果だった。
もう1つが、やりたいことと与えられた仕事の齟齬(そご)である。岡田監督の場合は、今岡氏の才能に合った打順に変更したつもりが、結果的には今岡氏に無理な仕事を強いることになってしまった。本人が申告すればよいだけの話かもしれないが、今岡氏は2軍時代の恩師の期待に応えるため、伝えることができなかった。
野球の打順をビジネスで例えるなら、1番バッターはチャンスをつくる新規開拓営業タイプ。自分のペースで相手にアプローチし、関係を築く役割だ。それに対して5番バッターは、すでに塁に出ているランナーを返すのが仕事。例えるなら、一度関係を築いた相手に対して、さらに食い込み、自社のシェアを拡大するアフターフォロー型(顧客深耕型)の営業である。
新規開拓が得意だった営業パーソンが、アフターフォローに回れば、おのずとフットワークは悪くなる。本来は、新規開拓で貢献したいと考えながら、日々アフターに追われ、自分の中で葛藤が生じ、思うような仕事もできなくなる。こうしたことは、どの業種・どの職種においても起こりうる。上司が「あいつならできる」と期待して取り立てても、実際に本人のやりたいこととは違えば、たとえ一時は良い結果が出たとしても、長くは続かないだろう。
才能がある人材も、上司との相性が悪ければ力は発揮できず、本人が望まないことをさせてしまえば潰れてしまう。部下の扱いに頭を悩ませるビジネスリーダーは多いだろうが、時には星野監督のように、本人が希望する役割で仕事を任せることが、実は良い結果につながることもあることを、頭の片隅に置いておいてもよいかもしれない。
参考文献:「感じるままに生きてきて」(ベースボールマガジン社刊、今岡誠著)