そもそもは1798年にフランス革命期のパリでさまざまな物品を集めて展示した国内博覧会がルーツという。国内博覧会は1849年までにパリで11回開催されたが、徐々に規模が大きくなり、オランダやベルギーなど各国で開催されるようになった。1849年、フランス首相が国際博覧会を提唱し、国際博覧会事務局(BIE、Bureau International des Expositions)を設立、ルールを国際博覧会条約に定めた。
1851年に開かれた第1回ロンドン万国博覧会では、クリスタル・パレスという巨大なガラス館で開催、産業革命の成果を世界に披露した。1889年の第12回パリ万国博覧会(パリでは4回目の開催)はフランス革命の発端となるバスティーユ襲撃100周年を記念し、併せて建設されたエッフェル塔は、今でもパリのシンボルとなっている。日本の参加は1867年の第5回パリ万国博覧会が初という。江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展し、薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で幕府とは別に展示。幕末の政争が如実に現れた万博となった。
その後、1928年の条約で国際博覧会は「登録博覧会」(一般博)と「認定博覧会」(特別博)に区分された。登録博は開催期間「6週間以上6カ月以内」、1995年以降「少なくとも五年の間隔を置く」決まりとなっている。特別博は「明確なテーマを掲げるもの」とし、「3週間以上3カ月以内」、「登録博の間」(登録博と同一でない年)に開催する。
日本での登録博は、1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)、2005年の「愛知日本国際博覧会」(愛・地球博)、そして来年の「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)となる。特別博は1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)、1985年のつくば国際科学技術博覧会(つくば科学万博)、1990年の大阪国際花と緑の博覧会(花の万博)の3つとなる。
日本で過去行われた万博といってすぐに思い浮かぶのは、なんといっても1970年の大阪万博だ。アジア初かつ日本で最初の国際博覧会だ。「万博記念公園」サイトの「大阪万博」ページからその様子がうかがえる。「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国が参加し、終戦25周年を記念するとともに高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった日本を象徴するイベントとして開催された。開催は3月15日~9月13日、入場者数は6421万人、2010年の上海万博に抜かれるまで万博史上最多であった。また、国際博覧会史上初めて黒字となった万博だという。
現在の万博記念公園(「日本万国博覧会記念公園」)は大阪万博跡地を整備した公園で、そこに今も建つ「太陽の塔」は、芸術家・岡本太郎氏がデザインした大阪万博のシンボルだ。頂部に未来を象徴する「黄金の顔」、腹部に現在を象徴する正面の「太陽の顔」、背面に過去を象徴する「黒い太陽」という3つの顔を持ち、万物のエネルギーを象徴、生命と祭りの中心を示したもので、開催期間中、来場者に多くの感動を与えた。太陽の塔は今でも見学できるので、興味があれば行ってみるとよいだろう。
大阪万博で大きく人気を集めたのが、アメリカ館とソ連館。数時間待ちの行列ができるなど大変混雑した。アポロ宇宙船が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館はあまりの混雑に入場を諦める人が続出するほど。アポロ11号の月着陸の翌年だったこともあり、宇宙に対する過熱ぶりがうかがわれる。ソ連館でもソユーズやボストークなど宇宙船の実物が展示され、こちらも大人気で、1日十数万人が訪れたという。筆者としては、万博に行った叔父から話を聞き、そんなに大人気だった月の石を「一目見たい!」とかねてから思っていたが、その夢は「愛・地球博」でかなった。愛・地球博の博覧会協会は月の石を大阪万博成功の原動力と考え、愛・地球博の目玉の1つとして米NASAジョンソン宇宙センターから借り受けたという話である。
当時の大阪万博で人気を集めたパビリオンの1つが日本電信電話公社(現NTT)の「電気通信館」。その目玉が「ワイヤレステレホン」。いわゆる携帯電話だ。開発には東芝と日本電気(現NEC)が協力、660グラムの端末を約400平方メートルの部屋に約100カ所のブースを配置して座って使うようになっていた。端末からの電波は室内にあるアンテナで受信して隣室の交換機に送り電話網につながるしくみ。会期中は約60万人が未来の電話を体感したという。
2025年に迫った大阪・関西万博。新技術通信で空間共有を図る、といった構想も
1964年の東京五輪の6年後に開かれた大阪万博は、史上最多の入場者を集め、大盛況だった。当時、日本は高度経済成長期真っただ中。万博を期に鉄道網や高速道路が整備され、人々も経済も大きく活気づいた。
来年に迫った大阪・関西万博も東京五輪の開催後に開かれる。開催期間は、2025年4月13日~10月13日。大阪の「夢洲(ゆめしま)」で開催される(夢洲については大阪市「夢洲まちづくり構想」や「夢洲・舞洲におけるインフラ整備事業」や、国土交通省のインフラ整備計画が参考となる)。開催テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」、サブテーマは「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」(詳しくは外務省「国際博覧会」や「EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト」などを参照しよう)。
万博公式サイトには多くのコンテンツがあるが、「未来社会の実験場」をコンセプトに、カーボンニュートラルやデジタル技術、次世代モビリティなど、最先端技術や社会システムを会場設営や運営、展示等に活用する「未来社会ショーケース事業」がとても興味深い。ARやVRなど先端技術を活用して、会場を訪れることのできない人が会場外から万博を体験できる「バーチャル万博」も気になる。そして、50年前の大阪万博において未来技術として携帯電話を展示したNTTは、今回、「NTTパビリオン」において、次世代技術「IOWN」による「物理的な距離、心のカベを超えたNaturalな未来の世界。空間を超え感覚が伝わる世界」をテーマにすると発表している。こちらも気になるところ(ぜひ、NTTグループによる万博への取り組みも参考にしてほしい)。
万博会場の通信インフラについては、携帯キャリア4社が万博会場内の屋外および主要屋内施設における携帯基地局を「基地局シェアリング」(キャリア各社が個別に基地局を構築せず、シェアリング事業者が構築した基地局設備を共用するシステム)により共有するというリリースが興味深い。場合によっては低軌道衛星通信やHAPSをはじめとする最新鋭の通信サービスが活用される可能性もある。今後の動向に注目しよう。
コロナ禍後初開催の万博として、未来への希望を世界に示す
世界が経験したコロナ禍により、人々の交流の分断、いのちを取り巻く環境や社会制度の再構築、価値観や生活様式の変化など、新たな課題に直面することとなった。ただし、こうした状況だからこそ、世界の知恵を結集し速やかに解決へと導くことが求められている、と「2025年日本国際博覧会 基本計画」の「はじめに」に書かれている。
続いて「『いのち輝く未来社会のデザイン』について考え、行動することは、まさにこの時代を生きる我々に課せられた使命となった。2030年をゴールとする持続可能な開発目標(SDGs)への取組は、世界共通の課題の解決を目指すものであり、本万博を開催する意義である」「本万博を契機として世界の多様な価値観が交流しあい、新たなつながりや創造を促進していく。世界的な危機を乗り越え、一人一人のいのちを守り、いのちの在り方、生き方を見つめ直すことで、未来への希望を世界に示す万博となる」とある。
1970年の大阪万博はもちろん、2005年の愛・地球博と、日本で開催した国際博覧会は、それぞれの時代の課題に向き合い、世界とともに解決を目指してきた。大阪・関西万博では、万博で実現することとして「最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信」「国内外から投資拡大」「交流活性化によるイノベーション創出」「地域経済の活性化や中小企業の活性化」「豊かな日本文化の発信のチャンス」が掲げられている。実際に足を運ぶのもよし、バーチャルで体感するもよし、万博を機に、明るい未来を創っていこう。
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