射撃競技は、第1回アテネ大会から実施されているオリンピックでも伝統ある競技だ。1968年10月に開催されたメキシコシティオリンピックでもライフル射撃やクレー射撃をはじめ7種目が行われた。
中でも金メダル獲得が確実視され、一番の注目を集めていたのがライフル射撃男子ラピッドファイアーピストルに出場した蒲池猛夫さんだ。アジア大会優勝などの実績もあり、また射撃に関する天性の才能は広く海外でも認められていた。
本番前の練習にも各国の選手が蒲池さんの動向を探ろうと大挙して集まったという。その場面で、蒲池さんは実に599点を記録し、その実力が前評判どおりであることを証明してみせたのだ。
4度目の出場で悲願の金メダルを獲得
ラピッドファイアーピストルは、22口径の競技銃を用い、25メートル先に75センチ間隔で設置された5つの標的に向けて、8秒、6秒、4秒の各時間内に速射射撃を行い、着弾点の精度を競う。それを1日に2回、2日間で行う。
合計で射撃回数は60回。標的の中心にある半径10センチの円内に着弾すれば10点。だから満点は600点となる。蒲池さんの練習時における599点がいかに驚異的な得点だったかが分かるだろう。
しかし競技本番で、蒲池さんはまさかの不調に終わり、12位の成績に沈んだ。その後も日本が不参加を決めたモスクワ大会を含め、5大会連続でオリンピック代表に選出された蒲池さんが、その実力にふさわしい栄冠をつかんだのはメキシコ大会から16年後のロサンゼルスオリンピックである。蒲池さんは、595点をマークし、日本射撃史上初の金メダリストとなった。
当時48歳。孫もいる本当のおじいちゃんになっていた蒲池さんは年齢による肉体的な衰えに加えて、強度の乱視により、すべてのものが二重三重にかすんで見えるような状況だった。またロサンゼルスオリンピックの3年前に草刈り作業中の事故により右手に大けがを負い、競技銃を握る右手で普通に曲がるのは親指だけだったという。
線香の赤い点を見つめて集中力を高める…
身体面のハンディキャップを克服するために蒲池さんが選んだのが集中力を高めるトレーニングだった(参照 勝利の神髄 1928~2016 赤い心眼 蒲池猛夫 長田渚左著)。
4秒の速射を例にとると、合図とともに競技銃を握る右腕を1.5秒で振り上げ、第一の標的に照準を合わせ、第1弾を発射する。それから腕を水平に移動させながら0.6秒間隔で4連射し、5発の弾丸を3.9秒で撃ち終わる。仮に5発目が4秒を超えると遅射となり、得点は無効となる。正確な射撃と、それをコンマ1秒の誤差が許されない時間的な制約の中で完璧にやり遂げるには高い集中力が不可欠だと考えたのだ。
まず2メートル先に置いたロウソクの炎を見つめることで集中力を高めようとした。ところが炎が微妙に揺れるため集中できない。そこで対象を線香に変え、暗闇に浮かぶ線香の赤い点をずっと見つめて神経を集中させた。そうした練習を休みなく3年間続けたという。
そしてある日、蒲池さんは右まぶたの裏にチラチラと動く赤紫色の玉に気付いた。蒲池さんは、まぶたの裏を飛び続けるその玉を追い続けた。追っても玉は逃げる。それでも諦めなかった蒲池さんは、ついにその玉を止めてみせた。それ以降、目を閉じれば、いつでも赤い玉を出現させられるようになり、自在に操れるようになったのだ。
赤い玉を呼び出し、まぶたから首、腹を通過させ、足の裏を経て背中に上げ、頭の後ろから額に到達した玉をぴたりと止める。これで正確に13秒。こうして赤い玉を操ることができるようになり、蒲池さんの集中力は完璧なまでに高まった。蒲池さんは、その赤い玉を心眼だと信じた。心眼を得たことで目を閉じたままでも10点を得られる小さな円に発射した弾丸を集められるまでになったという。
「弾丸はいつものように少し左に膨れ、そして右にかすかに曲がってから標的に吸い込まれました」(同著より)
金メダルをもたらした射撃を彼はこのように振り返っている。秒速280メートルで空気を裂いて飛ぶ弾丸の弾道を蒲池さんは心眼によって見極めていたのだ。
栄光へと続く蒲池さんの物語は、やはり金メダリストとなる人は、常人には理解できない領域で努力をしてきたのだということを私たちに伝える。一方で、人間の秘めた可能性も示唆しているようにも思えるのだ。人間は、その人が求め、努力することにより、成長を続け、思いも寄らない進化を遂げる可能性を秘めている、と。
たとえその確証はなくても、企業はそうした前提に立ち、ビジネスパーソンが成長を続けていけるような機会を提供するべきではないだろうか。研修のさらなる充実ばかりでなく、1人ひとりのメンバーがじっくりと自分を見つめることで課題に気付き、そこに新たな目標を見つけられるように時間的、精神的なゆとりが持てるような配慮も必要だろう。
蒲池さんは2014年に亡くなられた。4度のオリンピック出場で苦汁をなめ、また歓喜の瞬間を味わった蒲池さんは、今、1人の観客として、穏やかな気持ちで、東京オリンピックの開催をきっと楽しみにされているのだろうな、と思う。