初めてダンクシュートを見た時は目を見張ったものだ。バスケットボールとはこういう競技だったのか、と。小学生の頃、体育館のコートでシューズをキュッキュッと鳴らしながら懸命に重たいボールをドリブルし、ゴールの下までたどり着く時があっても、設置されたゴールははるか高くにあるように思えたものだった。
ダンクシュート(英語ではdunk shot)のダンク(dunk)とは、英語でパンをミルクなどの飲み物に浸す意味だという。しかしコート上で繰り広げられるダンクは、そんなしとやかなものではない。高くジャンプした選手は、ゴールの上からボールをたたき込むのだから。
そうしたダンクシュートが当たり前のように行われるNBA(北米の男子プロバスケットボールリーグ)でも見る者を魅了したのはマイケル・ジョーダンのプレーだろう。なにしろシュートするまでの滞空時間が「Air Walk」と例えられるほどに長い。彼がジャンプすると「離陸した」と表現した実況アナウンサーもいたというが、さもありなんと思わされる。
ジョーダン自身も自らのプレーをビデオで見た印象を次のように述べている。
自分を見ているのだとわかっていても、目で見ていることが信じられなかった。こう考えたのを覚えている。「どこで『跳ぶ』から『飛ぶ』になったのだろう」
(すべてはゲームのために―マイ・ストーリー マイケル・ジョーダン著 マーク・ヴァンシル編)
ご本人も飛んでいると感じていたのである。
そうした華麗なダンクシュートのみならず、オフェンス、ディフェンスのすべての面で卓越したスキルとバスケットボールセンスを備えたジョーダンは、カレッジ卒業後に入団したシカゴ・ブルズを弱小チームから強豪チームへと変えていく。その活躍から「バスケットボールの神様」と称されたジョーダンは、1991年、92年、さらに93年とシーズン3連覇達成の立役者となるのである。
バスケの神様が野球に転向…
そのバスケの神様が、3連覇達成後の1993年10月、突然に引退を表明する。さらに世界中を驚かせたのは、引退後、これも突然に野球に転身してメジャーリーグを目指すと発表するのだ。世界中のファンが驚き、多くが失望し、マスコミは無謀だと報じた。無理もない。ジョーダンは10代の頃からきちんとした形で野球に取り組んだことはなかったのだから。
しかし彼は実際にメジャーリーグのチームであるシカゴ・ホワイトソックスの練習に参加し、傘下のバーミングハム・バロンズ(当時)にも入団を果たし、野球選手としてのキャリアをスタートさせるのである。なぜキャリア絶頂期にあったジョーダンが野球に転向したのか?アメリカの人気コラムニストであるボブ・グリーンとの対話を中心に構成された著書「マイケル・ジョーダン リバウンド」(ボブ・グリーン著 土屋晃訳)でジョーダンは語っている。
何より、楽しいからさ
続けてこうも語る。
それに、これは父がずっと望んでいたことなんだ。父は僕が六歳のときに野球をはじめさせた。二年前に、そっちをやってみろと言われた
ジョーダンに野球を勧めたお父さんは、ブルズが3連覇を達成した後のシーズンオフに不慮の事件に巻き込まれ亡くなっている。ジョーダンは亡き父に野球をする姿を見せたかったのだろうか?
その理由はともかく、野球選手となったジョーダンは懸命に練習した。バスケットボールをするための体から野球をするための体に変えるために隅々まで鍛え直した。毎朝6時に球場入りし、打撃コーチと2時間にわたる特訓をした後、チームメイトと通常の練習メニューをこなし、それが終わった後にも打撃コーチとの特訓に励んだ。ハードな練習によって手のひらから血が滴っていたという。(すべてはゲームのために―マイ・ストーリー参照)
たとえ動機が父へのセンチメンタルな思いであったとしても、マイケル・ジョーダンは本気で野球に取り組んだのだ。
未知の領域に挑む姿勢を評価したい
ジョーダンの野球選手としてのキャリアは、1シーズンで終わる。野球界で起こったストライキに関与することを嫌い、彼は辞めることを決断した。
ジョーダンが野球界に残した成績は127試合に出場、安打88、打点51、本塁打は3本で打率は2割2厘。メジャーリーグに昇格する夢はかなわなかった。この結果を挫折と捉える人も多いかもしれない。一方で地上に降りた神様が汗を流し、自分にとって新しい分野に取り組む姿に感銘を受け、励まされた人も多かったのではないだろうか。人は強い意志と努力をもってすれば、自分の願う方向に未来を開いていけるのだと。
ビジネス社会では、企業は中途採用という形で人材を受け入れる。一般的に経験者を優遇する企業が多いが、その業界や企業の事業内容、将来性、風土などに魅力を感じ、経験がなくてもチャレンジしてみようと応募する未経験者たちの勇気や意欲も人材の有する経験と同様に高く評価してもよいのではないだろうか。
野球界を引退したジョーダンはNBAのシカゴ・ブルズに復帰する。そしてまたチームの3連覇をけん引するのである。あるいはマイケル・ジョーダンにとって、野球に挑戦した2年間は、再びバスケットボールに対するモチベーションを高めるためのいい休暇になったのかもしれない。