事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第9回は、さいたま市で額縁の企画・製造・販売を展開するアルナ。85歳の雪山渥美会長と、事業を承継した次男の雪山大(たけし)社長に話を聞いた。
アルナの創業は1967年。雪山会長が勤務していた外資系商社の取引先である金属加工工場の工場長と共に独立し、共同経営で額縁の製造をスタートした。当時、額縁の主流は木製だったが、前職の経験を生かし、アルナではいち早くアルミ製を売り出した。アルミ製の額縁は、軽く耐久性に富んでいるのが特徴だという。問屋経由で、写真業界や印刷業界の大手企業を得意先として、広告などのポスターを入れる額縁を中心に販売した。好調な日本経済の流れに乗って業績を伸ばし、68年に法人化(73年に株式会社化)した。
雪山会長の次男の大(たけし)社長は物心ついた時から、経営者である父の背中を見て育った。朝早く家を出て夜遅く帰る父と、仕事の話はほとんどしたことがなかったが、母親からは「大が社長になったら大きな会社になるよ」と、社長になることが当然のように話をされたという。
幼稚園の時、先生から「この子は優秀だから私立の学校に推薦したい」と勧められ、受験をして埼玉から東京の私立小学校に通った。長男は大社長の6歳年上だったが、「弟が会社を継いだ方がいい」と話し、会社を継ぐ気はなかったという。
高校生になった大社長は、自らの意志でアメリカに留学する。「アメリカの文化を吸収し、1年1年、息子が変わっていく姿が印象的だった。チームメイトと野球やアメフトに精を出し、仲間たちとユニホームを着て撮った写真は誇らしく、今でも家に飾っている」(雪山会長)。
帰国後、大社長は上智大学で経営学を学び、いずれアルナを継ぐことを視野に、婦人用ハンドバッグの商社に就職した。DCブランドのバッグを企画・製造して百貨店に卸す会社だった。「外回りの営業で、ビジネスの基礎を学んだ。発注先、取引先、お客さまなど、それぞれの関係性における対応の仕方を実地で学んだ」(大社長)。そして、2年後の98年、アルナに入社した。
入社した当時のアルナの売り上げは約7億円で、従業員は40人弱の規模だったという。最盛期の93年頃は、11億円の売り上げまで伸ばしたが、バブル崩壊の影響もあり、業績を落としていた。そんな事業環境で、一般社員として外回りの営業からスタートした大社長には、大きな苦境が待ち受けていた。
まずはアルナのお客さまや商品を知ることからスタートした大社長。前職との違いに戸惑った。「前職は中堅の商社とはいえ、取引先は大手百貨店でしっかりした基盤があった。一方、アルナの取引先は、古い体質の小さな問屋や小売店ばかり。今でいうパワハラのオンパレードのようなやり取りに、大きなギャップを感じた」と大社長は振り返る。
その後、大社長は顧客の新規開拓を進め、母体が盤石で支払いが安定している組織へと顧客層をシフトしていった。だが、既存得意先を大切にしたいと考える社員と、新たな顧客や製品が必要と考える大社長の間に溝が生じるようになる。
さらに、当時の常務は売り上げを追求するあまり、薄利多売で価格競争によりシェアを取りにいくような経営を推進していた。一方、大社長は利益をしっかり出さなければ、会社は成り立たないと考えていた。
2つの異なる方針を1本化するため、常務には退職金を出して退職を促した。円満退社とはいかず、常務はその後、部長、課長クラスの社員を引き連れ同業者として独立。アルナの顧客を奪い、客先ではアルナの評判を落とすことを吹聴したという。それによってアルナの経営はかなりの打撃を受けてしまった。
それまでの薄利多売だった経営体質の影響もあり、2007年には1900万円ほどの赤字を出した上に、不渡り手形まで受け取り、あわや倒産の危機にひんしてしまった。
300年続く会社をめざす
雪山会長と大社長は、金融機関からの紹介で商工会議所が運営する再生協議会に相談する。そこから経営の立て直しが始まった。
「まず、これまでの膿(うみ)を全部出し切ろうと考え、在庫として計上してきたものの、価値がないものはすべて処分した。また、倒産や夜逃げをしてしまったような顧客からの未回収金を売掛金で残していたが、すべて未回収の損金として処理した。再生協議会が金融機関と交渉をしてくださり、当時、月に数百万円の借金返済をしていたのを100万円に減額し、年数を延ばしてもらえることになった。それまで借金の返済のために借り入れをしていた状況から抜け出せて、きちんと利益から返済ができるようになったことは大きかった。親切な担当者に恵まれて、感謝している」(雪山会長)
さらに、利益が生み出せるよう商品群を見直し、得意先も販売力のある小売店などに絞った。また、法人向けオフィス用品を販売するアスクルへ商品供給がスタートし、これも回復の一押しとなった。
業績復活のめどが立った2009年、雪山会長は社長を退いて大社長に譲り、事業承継を実行した。雪山会長は75歳、大社長は37歳だった。
「承継後は、資金繰りや毎日の数字はチェックするが、経営には口出ししないと決めた。私は大きな赤字を出して失敗した反省もあり、息子に任せようと考えた。トップが2人いると、社員も困ってしまいますから」(雪山会長)
2019年2月決算では、アルナの売り上げは2億6000万円で従業員数は27人。最盛期と比べると規模は小さくなったが、経常利益は1200万円ほど出ており、健全な経営ができている。
現在では得意先からの受注生産販売が主流。顧客のニーズに合わせ、多品種小ロットに対応できることが同社の強みになっている。中でも得意としているのが、ユニホームケースだ。2002年のサッカーワールドカップをきっかけに需要が増えているという。「柔道着を飾ったり、写真の横に記録達成プレートを入れたり野球場の土を飾ったり、多様な要望に1つひとつ応えている」と大社長は話す。
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ユニホームが入る立体型額縁が人気。顧客のニーズに合わせて受注製造販売している[/caption]
事業を受け継いだ大社長氏の目標は「アルナを300年企業にすること」だという。
「日本には100年企業はあっても、300年続く会社はそんなに多くはない。今後も額縁1本で行くかどうかは分からないが、大きな事業の柱を持ち、地域に愛される会社にしていきたい。私には子どもがいない。300年と考えたときに、創業家の雪山家にこだわる必要はないと考えている。今の社員に継いでもらうのがベストだが、他から呼んだり、M&Aをしたりすることも視野に入れている」(大社長)
まだ47歳の大社長だが、将来を見据え、ここ数年間で親族が持っていた株式を買い取り、現在は100%保有者となっている。「株式を100%保有することで、自分のめざす経営ができる。暴走を止める人がいないリスクはあるが、社外顧問もいるし、年に一度銀行にも決算報告をしているので、チェック機能はある」と大社長は話す。
大きな目標を掲げる息子に対し、雪山会長は、「最初に300年と聞いたときは、夢みたいな発想だと驚いた。でも、夢物語で終わらせず、真剣に唱え続けているので、頼もしいと感じている」とうれしそうだ。
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雪山会長(左)と、息子の大社長。周囲も驚くほど円満な親子承継の秘訣は「お互いに認め合うこと」だという[/caption]
現在、85歳の雪山会長。毎朝7時半に会社に出社し、朝礼に参加する。その後一旦帰宅して、趣味の水墨画や家庭菜園にいそしみ、夕方また出社して売り上げや注文の状況をチェックするという。「売り上げが好調だと自分も元気になる。こうして毎日仕事ができていることがうれしい。仕事があることが、健康の秘訣」と語る。こうして、息子を陰で支え、温かく見守ることが雪山会長の生きがいともなっている。