「事業承継」社長の英断と引き際(第16回)未練は持たずに後継者に託したバイク部品販売業

事業承継

公開日:2020.05.27

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日本モーターパーツ(現カスタムジャパングループ、バイク・自転車・自動車パーツ、整備工具の販売)

 事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第16回は、大阪市でバイク部品販売業を営む日本モーターパーツ(現カスタムジャパングループ)の2代目社長を務めた村井達司氏。村井氏は2008年に息子の基輝氏に事業承継し、現在、第二の人生を謳歌中だ。

幼少期の村井氏と母。村井氏の父が戦後、大阪市鶴橋で始めた町の自転車屋「丸竹自転車店」の前で撮影。その後、バイク部品卸販売業として法人化する

 同社の歴史をたどると、村井氏の父親が地域の自転車屋として、戦後に事業を起こしたのが始まりだ。10代から自転車屋で奉公した経験を生かし、戦争から戻ってきた後、大阪市の鶴橋に「丸竹自転車店」を構えた。主に自転車の販売やパンク修理などをしていたが、1954年に鶴橋部品として“地域部品商”といわれる、バイクや自転車の部品を卸して配達販売する事業も始める。2年後の1956年に法人化した。

 幼い頃から家業を営む両親を見ながら育ち、店に出て手伝うことも多かったという村井氏は、「父はまじめで厳しく、仕事が趣味のような人だった」と振り返る。「中学を卒業したばかりの若者を、家の近くの寮に住み込みで雇っていた。小学生の頃は、そんな社員と一緒に布団を並べて寝たこともある」(村井氏)

 村井氏にとって家業は身近なものだったが、後を継ぐことには興味を持てずにいた。また、父も村井氏に対して、承継をにおわすことはなかったという。高校を卒業した村井氏は、横浜国立大学工学部・機械工学科に進学。ただ、「時代は学生運動のまっただ中。卒業式もできないような状態だったので、大学院に進むより早く社会に出て働きたかった」と話す。

(むらい・たつじ)
1948年大阪市生まれ。横浜国立大学を卒業後、総合商社に入社。3年間働いた後、73年に鶴橋部品に入社。93年に同社社長となる。2008年に息子の基輝氏に承継して会長に。13年に引退

 村井氏が就職先に選んだのは、総合商社だった。「その頃は商売にも興味を持ち始めていて、自分の裁量で働けることが魅力だった」という。商社では輸入工作機械の国内販売を担当した。

 そんなサラリーマン生活を始めた村井氏だったが、入社から3年たった時に、父親が急な病気で倒れた。商社の仕事に未練はあったものの、村井氏は大阪に戻ることを決意する。25歳で鶴橋部品(現日本モーターパーツ)に入社。幸いにも体調の回復した父親と二人三脚での事業運営が始まる。だが、度重なる意見の相違で、大げんかをすることも多かったという。「入社から間もなくの頃、それならもう東京に帰ってやる!と本当に東京に戻ったこともある」と村井氏は苦笑いする。

 

 そんな二人三脚の経営を続けていく中で、村井氏はやがて専務となり、実務を取り仕切るようになる。そして、1993年に45歳で社長に就任。父親は会長となった。社長として父から受け継いだ会社を背負いながら、村井氏は少しずつ次に訪れるであろう自分自身の承継問題についても考えるようになっていった。

バランスシートを見た息子が承継を決意…

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執筆=尾越 まり恵

同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。

【T】

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