水道から当たり前のように、おいしい水が出る日本の便利な暮らし。水は生活に欠かせない貴重なものであることは頭にありながらも、日常ではつい、ありがたさを忘れてしまいがちだ。今回は、日本各地を巡った最近の旅を通して、自然からの身近な恵みである水について考えてみたい。
今年の夏は水に関連する取材で日本各地へ出掛ける機会に恵まれた。東京都の水道水源地で、多摩川の「最初の一滴」が見られる山梨県の笠取山、水質が良く「赤道を越えても腐らない水」とたたえられた名水を生む兵庫県の六甲山、そして、地下ダムの水が農業用水として利用されている鹿児島県の沖永良部島などを訪ねた。
実際に訪れて初めて知ったのだが、沖永良部島はサンゴ礁が隆起した平たんな島で、水源となるような山らしい山がない。さらに、水が浸透しやすい地質のため、雨が降ってもすぐに地中にしみこんでしまうのだという。昔は限られた場所で得られる地下水をくみ、運び上げて生活していたそうだ。
近年は水道が普及して生活には困らないが、それでも農業を営むには水不足に悩むこともある。そこで最近、農業用水として地下水を蓄えて利用する「地下ダム」の工事が行われ、以前より水を安定供給できるようになってきた。
私が住む八ヶ岳の南山麓は、ありがたいことに水が豊かで、いくつかの湧き水地は「八ヶ岳南麓高原湧水群」として環境省「名水百選」にも名を連ねている。
沖永良部島から帰ったあと、八ヶ岳が生み出す水源の一つで、水を象徴する観光地である吐竜の滝(山梨県北杜市)へ行ってみた。各地で気温40℃に迫る暑さがニュースで伝えられるような日でも、滝から流れる水にしばらく手を浸すと、しびれるほどに冷たい。滝の近くも冷気が漂い、心地いい。滝を見に来た人は、近くの岩に座って清流を眺め、天然の涼を楽しんでいた。
この吐竜の滝の水の行方をたどると、一部は私の家の周辺を流れている。そしてさらに調べると、水が豊かだと思い込んでいた私の地域でも、かつては水に苦労していたことが分かった。台地の上にある周辺の広大な田畑を潤すために、この地域だけでも約16㎞にわたって疎水が造られていたのだ。
資料には江戸時代から水を引く工事が行われていて、歴史の中で何度も災害に遭い、そのたびに作り直されて現在の形になっていると書かれていた。今ある田畑の景色は、自然の恵みだけでなく、先人の苦労があってこそのものだったのだ。
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家の近くを流れる八ヶ岳からの疎水。自然の川のように美しい[/caption]
自然は全部つながっている
そしてつい先日は、日高昆布の産地である北海道の様似町を訪ねた。昆布漁の盛んな地域だが、訪ねた所では特に良質な昆布が採れるそうだ。昆布漁を50年続けているという漁師さんに、どうして良い昆布が採れるのか聞いた。
その話では、昆布の生育に適した岩場があるなど、海の環境が良いことはもちろんだが、背後にそびえる日高山脈が川を通して栄養豊富な水を運んでくれることも大きいという。海を大事に思うからこそ、山も大事に思っているというのだ。
「自然は海も山も全部つながっている」という漁師さんの言葉の重みに私は、ハッとした。改めて吐竜の滝を振り返ってみる。吐竜の滝がある川俣川は、一部が分かれて私の住む地域を潤したあと、やがて釜無川となって甲府盆地を流れ、富士川となって太平洋に注ぐ。そして、私たちの生活を豊かにしてくれた水は、水蒸気となって、再び大地に降り注ぐ循環を繰り返す。
水の循環は当たり前のことではあるが、旅を通してそれを身近に感じ、考えを巡らせた夏。台所で食器を洗っていても、ザーザーと音を立てて流れる用水路の水を見ても、これまでよりずっと水がありがたく、いとおしい気持ちになった。
そして、山だけでなく、川も海も空も……。あの昆布漁師さんのように、より広い視点で自然に目を向けられるようになりたいと思っている。
山野を彩る季節の植物たち 〜ダイモンジソウ〜
滝の水しぶきがかかるような岩や湿地など、水が大好きな植物。5枚の花びらのうち、2枚が長く、「大」の字にそっくりな形をしている。ユキノシタの仲間だが、ユキノシタには上部3枚の花弁に赤い斑点があり、ダイモンジソウにはないため見分けがつく。
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2枚の花弁があまり長くならないミヤマダイモンジソウ[/caption]
私、小林千穂のBiz Clipでの連載は今回が最後となります。前タイトルの連載「人生を輝かせる山登りのススメ」を合わせると、2015年から9年間にわたって書かせていただきました。これまでの記事を読んでいただいたみなさま、長い間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。私はこれからも八ヶ岳山麓での暮らしを続けながら、山登りを中心とした自然の魅力を発信していきます。読者のみなさまと、いつかどこかの山でお目にかかれることを願っています。
(了)