ビジネスを考えるうえで「顧客ニーズ」を理解し、それに応えていくのが大切であることは、もはや常識です。顧客のニーズを無視した製品やサービスなんて市場で受け入れられるはずはないですし、企業目線で考えられたビジネスも当然ユーザーには喜ばれないことは、このコラムに関心のある読者であれば十分お分かりかと思います。
昨今は世の中にモノやサービスがあふれています。ありきたりなニーズだけを表面的に捉えるだけでは、顧客がわざわざ選び、ファンになってくれるような製品やサービスをつくることはできません。だからこそ、多くの企業は、「顧客が何を求めているのか?」「何に困っているのか?」を理解するためのリサーチにたくさんの時間や費用をかけています。しかし、一生懸命に顧客のニーズを理解しようと手を尽くし、応えようと知恵を絞っているにも関わらず、なかなか顧客に心から愛してもらえる製品やサービスをつくれず苦心されている企業は少なくないはずです。
今回は角度を少し変えて、「ニーズ」という言葉を掘り下げていきたいと思います。私たちはビジネスの現場で何気なくニーズという言葉を使っていますが、ニーズって一体何なんでしょうか? マーケティング研究者として有名なフィリップ・コトラーらは「Marketing Management:An Asian Perspective,7th edition」(Pearson Education,2018)で、「ニーズ(Needs)」について、よく似た意味で使われがちな「ウォンツ(Wants)」、「デマンズ(Demands)」と並べて対比的に定義しています。このコトラーらの定義を、実務家でありながら社会構想大学院大学でマーケティングやサービス研究を教えている高広伯彦さんが大変分かりやすく整理されているので、それを参考に説明したいと思います。(図1)
企業にとってできることは、人々が抱えている数あるニーズの中で、どのニーズに着目し向き合うのが自社にとって意味があるのかを決めることではないでしょうか。言い換えるなら、顧客に愛される製品やサービスをつくれるかどうかは、自分たちが本気で取り組むニーズをちゃんと選べるか否かに懸かっていると言っても過言ではありません。いくらマーケティング・リサーチをして、人々のニーズを理解できたとしても、「誰の」「どんなニーズ」に対して応えるかが曖昧であったり、ピント外れだったりすると意味がないのです。
これからの時代、企業は自社にとって経済的な利益になることだけなく、社会に対する責任、顧客だけでなく従業員など多様な関係者にとっても貢献するビジネスを行うことが強く求められます。そういった時流を踏まえると、企業にとって選ぶべき「ニーズ」は、もはや単に自社のビジネスにとって都合のよいものだけではなく、そのニーズの充足が人々や社会にとってどれだけ大きなインパクトを期待できるものかにもなりつつあるのです。みなさんは、自社にとって向き合う意味のある人々や社会の「ニーズ」を、適切に選べていますか?
では、人々にとって何が重要なニーズになるのでしょうか。先ほど紹介した高広さんは、「(顧客)ニーズには3つのレベルがある」と言います。(図2)
[caption id="attachment_49111" align="aligncenter" width="600"] 図2:顧客ニーズの3つのレベルについての概念図(高広氏が自身のマーケティング講義に使用している資料を要素抜粋・引用し筆者作成)[/caption]
多くの企業が注目する顧客ニーズは、図2で示した3つのレベルのうち「1.お客さんの口から発せられる課題」ではないでしょうか。なぜなら、このレベルのニーズは理解することが容易だからです。しかし、このレベルのニーズだけを取り扱っているうちは、前述したように表面的でありきたりの課題解決にしかなりません。だからこそ、企業は顧客にとっての「2.真の課題」を発見しようと、一生懸命リサーチをしたりするわけです。拙著でも、そのような「真の課題(ニーズ)」を探索し発見するためのリサーチ手法を詳しく紹介しています。
ここでさらに注目したいのは、「3.学習することによって発見される課題」です。学習する主体は「顧客自身」です。先ほどの1つ目と2つ目の課題と、この3つ目の課題の大きな違いは、前者は「顧客が自分自身で決めた課題」で、後者は「顧客がひとりで決めたのではなく、他者との関係性によって決められた課題」であるという点です。つまり、第3のレベルの課題(ニーズ)は顧客自身が個人的に欲するものではなく、さまざまな関与者とのかかわり合いや、社会環境、時代性などからも影響を受けた(学習した)結果としてつくられた「ニーズ」だと言えます。
そのように考えると、顧客にとってはもちろんのこと、社会にとっても大きなインパクトを期待できる「まだ他の企業が目をつけていないニーズ」を見いだすためには、企業はもはや「顧客」を理解するだけでは不十分です。顧客を取り巻くさまざまな人間関係や社会環境などの多様なアクター(人間だけでなく、モノ、またそれらの関係性をも含む)を俯瞰(ふかん)的によく見ていくことが必要になるのです。
人々の欲求が高次元化し、より複雑になっていくこれからの社会においては、そのような視点で世の中を「よく見る」ことが、価値ある製品・サービスを考えるうえでますます欠かせないものになっていくでしょう。このように、ある顧客層が抱える直接的な問題や「美容」「自動車」などの特定分野をそれぞれ個別に切り離して調査するのではなく、それらの人々や特定分野を取り巻く社会的、地理的、文化的な環境を広く俯瞰(ふかん)して見ることで、多様な「つながり」を見つけることが求められているのです。
なお、こういった調査のことを「コンテクスチュアル・インクワイアリー(文脈的調査)」と呼びます。具体的な調査手法や分析方法については、拙著第5章で詳しく紹介していますので、興味をお持ちになられたらご一読ください。
人々が抱える「葛藤」に目を向けるーー「ジョブ理論」が教えてくれること
先ほど述べたような姿勢で丁寧にリサーチを行っていくと、これまで考えてもいなかったような、新たなニーズを見いだすためのヒントが浮かび上がってくるかもしれません。そこでポイントになるのは、その課題をどう解決するか以上に、顧客自身も自覚していない「結局、何が解消されることが一番重要だったのか?」を理解することです(「理解」というより、「解釈」と呼んだほうがいいかもしれません)。
このような視点の課題のことを、イノベーション研究の大家(たいか)であるクレイトン・M・クリステンセンは『ジョブ理論 ――イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(共著、ハーパーコリンズ・ジャパン、2017)で「片付けるべき仕事(Jobs-To-Be-Done)」(以下「ジョブ」)と表現しました。
クリステンセンはジョブの例として、ファストフード店で提供されているミルクシェイクを挙げています。あるファストフードチェーンで、朝の時間帯に限ってシェイクがすごくよく売れている理由を探ろうとしたところ、顧客は特にシェイクが好きだったわけでも、その店のシェイクがおいしかったわけでもなく、1~2時間かかる朝の通勤ドライブの間、ぬるくならず口さびしさを紛らわしてくれて、軽い食事代わりになる物が欲しいだけだったということが分かりました(「朝の通勤のあいだ、ぼくの目を覚まさせていてくれて、時間をつぶさせてほしい」)。
普通のドリンクだとぬるくなるし、キャンディーやガムだと腹持ちがよくない。しかし、ドーナツやベーグルだと手が汚れるし何よりハンドル操作に支障がある。つまり、顧客にとって重要だったことはミルクシェイクの味やフレーバーではなく、「長時間のドライブ中の口さびしさを解消し、運転の邪魔にならずに食事代わりとなる何か」だったのです。この欲求こそが、クリステンセンらがいう「片付けたい仕事」、つまり顧客にとっての「ジョブ」というわけです。
私の勝手な解釈ではありますが、ジョブとは顧客にとっての「葛藤」のようなものではないかと思うんです。何かほしいモノがあるとか、何かしたいコトがあるとかではないんだけれども、自分を自由にさせてくれない緊張状態である「葛藤」があって、それから解放してほしいと願う意思が「ジョブ」なのではないでしょうか。
そう考えると、ジョブを解消するための正解はひとつではありません。企業にとってジョブのようなものを見いだせるとしたら、顧客の何事にも代えがたい解放感や喜びを実現してあげる製品やサービスを提案するための選択肢が広がることでしょう。
ほしいものが、ほしいわ
ここまでの議論を踏まえると、企業にとって重要視すべきはもはや「ニーズ」ではないのかもしれません。もちろん、既存製品を改良したり、すでに顧客(ユーザー)が存在しているビジネスをより良いものにして顧客満足を向上させたりする場合には、新しい視点でニーズを捉えて製品やサービスを通して解決策を提案してあげることは依然として価値があります。
しかし、まだこの世にはない革新的な製品や、ユーザー自体がまだ存在していないような新しい経験を提案するサービスを考えようとする場合には、ニーズに対する応答だけでは不十分なのです。このような考え方を提唱したのが、ミラノ工科大学でマネジメントとイノベーションを研究していたロベルト・ベルガンティです。
ベルガンティは『突破するデザイン―あふれるビジョンから最高のヒットをつくる』(日経BP,2017)で、「意味のイノベーション」という考え方を打ち出しました。これは、イノベーションの実現に必要なものとしてこれまで重要視されてきた「技術革新」と「市場ニーズへの応答」という2つのアプローチが近年頭打ちとなっている中、それらに代わる第3の道として、製品が持つ「意味」を革新することでイノベーションを実現しようという考え方です。つまり、人々に新しい「意味」を与えるような製品を提案しよう、ということです。ここで言う「意味」は「価値」と言い換えてもよいのかもしれません。
ベルガンティは、「意味のイノベーション」において重要なのは、顧客が求めていることを解決し充足させてあげることではなく、顧客にとって新しい「意味=価値」を提案することだと主張します。このような考えを、ベルガンティは「贈り物」の比喩を用いて説明するのですが、ポイントは、贈る相手に何がほしいかを聞いてはいけない、ということなんだそうです。
相手が望むものをあげれば確実に相手は喜ぶけれど、その人自身は贈り物によって何も変化はしません。相手を本当に愛しているのであれば、今欲しがっているものではなく、相手が今よりもっと良い人生を歩むきっかけや手助けになるような贈り物は一体何なのかを、必死に考え抜いて決めなければならないのです。ひょっとしたら相手は、自分が選んだ贈り物の意図をすぐには理解してくれないかもしれないし、喜んでくれないかもしれません。それでも、信念をもって贈りたいと思えるものを、勇気をもって贈る行為こそが相手に感動を生むのです。
ベルガンティはこのような贈り物の考え方をビジネスに重ね合わせ、単なるニーズ充足や問題解決から急進的なイノベーションは生まれないと言います。そして、解決を期待されている問題としてのニーズではなく、自分自身が顧客に対して信念をもって提案したいと思える「新しい意味(価値)」こそが、イノベーションを実現するドライバーとなるのだということを提唱しました。
今の社会は、あらゆるモノであふれています。技術の進歩や企業の並々ならぬ努力のおかげもあって、多くの製品やサービスは総じて良くなり、ひどい出来のものは少なくなりました。そのように品質の基準が十分に高くなってしまった時代には、問題を解決してくれる製品やサービス以上に、自分をもっと「良い自分」に進化させてくれるものにより高い対価を払おうとするのです。
少し古い話になりますが、日本のバブル経済真っただ中の時代だった1989年に、西武百貨店の広告で糸井重里は「ほしいものが、ほしいわ」という有名なコピーを書きました。当時は、経済の活況の中で物質的には日本が大変豊かになった時代でした。そのような時代において人々が欲するものは、機能的に役に立つものや効率よく問題解決してくれるような合理性ではなく、今の自分自身にはそれが何なのかすらわからない「何かを切実に欲する心」に対する新しい「答え」だったのかもしれません。この広告からすでに30年あまりの時間がたった今、ますます人々は新たな「ほしいもの」を探しているのではないでしょうか。
顧客の目の前に閉じている扉を開き、まだ見えていない景色を見せてあげることができる提案とは何かを考えることがサービスデザイン思考であり、これからの時代に価値があるビジネスをつくっていくことなのです。
今回考えたような、とてもややこしい「顧客ニーズ」を、ひとりの人物の物語として捉えやすくする方法に「(ユーザー)ペルソナ」があります。ペルソナという言葉は耳にしたことがある、という読者も少なくないと思います。次回のコラムでは、わたしたちが向き合うべき顧客ニーズが複雑化していく時代に、改めてペルソナが持つ役割について考えつつ、他方でその概念が一昔前に比べると普及したがゆえの「ペルソナに対する誤解」についても考えてみたいと思います。