拙著『サービスデザイン思考「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』では、「イノベーションを創りだす組織のデザイン」という章(第8章)で、「オーケストラ型の組織」と、「ジャズバンド型の組織」について取り上げています。
市場や業界の構造がしっかり安定していて、過去の延長線上に未来を予測できるビジネス環境であれば、オーケストラのような指揮者を頂点として各パートの首席奏者をハブに置いた上で、全奏者に対してしっかりと統制を効かせることができる組織が強いです。
しかし、VUCAに象徴されるような不確実かつ先行き不透明な環境でビジネスを進める場合には、ジャズバンドのような組織が強さを発揮します。これは、最小限の決め事と「最高の演奏を生み出す」という共通の目標だけを頼りに、一人ひとりの演奏者が互いの演奏や聴衆の反応を瞬時に感じ取り、即興的に演奏を繰り広げるという比喩を用いて、サービスデザイン的なこれからの時代の組織のあり方を論じています。
そのようなサービスデザイン的な組織に求められることは、それぞれのプレーヤー一人ひとりが、自律的に自分が何をすべきかを発想しアクションするための「クリエイティビティ(創造性)」です。
クリエイティビティと聞くと、ついつい私たちは一部の限られた才能ある人々だけに備わっている特別な能力のように考えがちですが、本当にそうなのでしょうか。
アンドレアス・レクヴィッツというドイツの社会哲学者は、The Invention of Creativity : Modern Society and the Culture of the New(Polity, 2017)という著書の中で、クリエイティビティとは何かを次のように定義しています。
クリエイティビティ=ノベルティ(新奇性)+エステティクス(美学=感性論)
ここでいうエステティクスとは、表面的な美しさや美観のことではなく、西洋哲学にルーツをもつ「美学=感性論」のことを指しています。既存の論理で合理的に説明がつくような理屈や表面的な道徳心ではなく、自分自身にとっての信念のような感覚に基づいて判断することを意味するもので、「審美眼」という日本語で表現するとイメージしていただきやすいかもしれません。
レクヴィッツの考え方が面白いのは、クリエイティビティは突然降って湧いてくるようなものではないという点です。では、どのように生まれてくるものなのでしょうか。
それは、既存の仕組みや前提といった既成概念から距離を取り、「本当は今よりもっと良い状態があるのではないか?」ということについて真摯(しんし)に考え行動することで生まれてきます。それによって、これまでになかった「新しい」視点や発想が芽生え、変えようのない前提だと思い込んでいた常識が揺さぶられて変化が起こり始めます。対象の大小を問わず「現状をより良いものにすること」を実践する思考と行動こそが、レクヴィッツの言うクリエイティビティなのです。
クリエイティビティの意味をそのように捉え直してみると、クリエイティビティが発揮されるのは新規事業をつくりだすことや、画期的なビジネスを発想し起業するというような派手で革新的に見られやすい領域だけに限った話ではありません。既存事業の業務フローを再構築することで収益構造を好転させたり、ルーティン化された定常業務と捉えがちなバックオフィス業務のより良いあり方を問い直す、といった企業活動の根幹を支えているような領域においても、その可能性は開かれているのです。
つまり、クリエイティビティは限られた特別な才能を持った人だけに与えられた特別なものでなく、自分の仕事や日常を「今よりも良い状態」にしようと努力する人なら誰にでも備わったものなのです。本コラムの冒頭に書いた「既存の枠組みを脱する新たな価値づくり」ができる組織を考える上で、レクヴィッツによるクリエイティビティの捉え方は一つの示唆となるのではないでしょうか。
これからの時代、過去の慣習や価値観にとらわれていてはあらゆるビジネスが価値を維持できなくなります。業態や企業規模を問わず、一人ひとりのメンバーが「自分なりのクリエイティビティ」を発揮することが、ややもすると思考停止に陥りがちな状態を打開するための鍵を握ります。そして経営者に求められることは、すべてのメンバーがクリエイティビティを発揮することを阻害せず、助け、後押しできる組織のあり方を考え、企業文化として浸透するまで粘り強く実践することなのです。
創業以来「組織図」が存在しない企業の事例
ここで、そのような社員のクリエイティビティを尊重する組織づくりを実践している企業の事例として、前回のコラムでもご紹介した木村石鹸工業株式会社を紹介したいと思います。
木村石鹸は、製品開発アプローチだけでなく、組織のあり方もユニークです。それを象徴するエピソードの一つに、創業以来から100年を迎える今日に至るまで、一度も「組織図」が存在しないということが挙げられます。もちろん、大きな枠組みとしての部署のようなものはありますし、対外的に最低限の部署は存在しています。しかし、人によって名刺に書いてある部署名はバラバラで、会社もそれを良しとしています。
つまり、自分が何の仕事をするかは、会社や上司が決めるのではなく、自分自身で定義して決めようという姿勢が根底にあるのです。ですので、担当する職域についてもフレキシブルで、製品開発職の社員が採用と人事を兼任することもあれば、営業担当の社員が新製品開発を主導することもあります。木村石鹸では、各社員が担当する仕事をどう定義・分担するかについてのポリシーは「やりたいことを、やりたいひとがやる」という、至ってシンプルな指針があるだけなのです。そして、マネジャーは社員がやりたいことを実現するための支援に徹します。
また、会社(マネジメント)は、社員のやりたいことを阻害するようなことは原則しません。その代わりに、自分自身でやると宣言した仕事は、最後まで責任をもってやりきることが求められます。
現社長の木村祥一郎氏が4代目を承継してからというもの、自社ブランドの新規開発をはじめ、既存事業においても数々の新しい取り組みが社員の起案で活性化しています。内容によっては、これまでまったく経験や知識がないことへのチャレンジが必要になる場合も少なくありません。
例えば、OEM製品の開発をメインに担当してきた社員たちが自社製品を開発する場合、直接エンドユーザーに製品を買ってもらうという経験はゼロに等しいでしょう。常識的に考えると、経営としては「それをやって成功するのか?保証はあるのか?」という合理的な判断を担当チームに求めがちです。
しかし木村石鹸では、新しい取り組みについては、「自分たちも分からないから、現場チームを信用して任せる」姿勢を徹底します。ゆえに現場は、販路を開拓するためにやり方を一から調べて、SNSに広告を出すなど、これまで経験がないマーケティング活動などをすることになります。
一から知識を身に付けながら取り組むので、うまくいかないことのほうが多いかもしれません。それでも責任をもってやり抜いた先には、そのチャレンジが行われない限り絶対に得ることはなかった達成や変化が必ず現れます。その成果が大きいものであれ、小さいものであれ、木村石鹸では社員たちのチャレンジによって生まれた「変化」を重視し、将来につながる重要なものだと考えているのです。
「分からないこと」を許容する「イノベーション・フレンドリーな組織」
では、なぜ木村石鹸では常に新しいことに社員はチャレンジできるのでしょうか。前述した事例から分かるのは、そこに2つの組織文化が大前提として共有されているということです。その1つは、すべての社員が自分自身の役割を固定せず、職域を越境することで、常識にとらわれず現状をより良いものにする機会を見いだせる柔軟な組織であること。もう1つは、「やりたいこと」に最後まで責任をもってベストを尽くせば、失敗したとしても、ペナルティーを与えられたり非難されたりしないという心理的安全性が保証されていることです。
これら2つの大前提が企業文化の根底にあると、社員は常に現状を疑い、自分たちの仕事をもっと良いものにするための批判精神が自然と養われます。そして、普通ならついついリスクを恐れて、既存の枠組みの中で説明がつく合理的な考え方や手法を選びがちですが、それらからも安心して距離を取ることができます。その結果、心からやりたいと思えることに取り組んだり感性的に判断して実行することが、日常的な仕事の中で当たり前のこととして組織全体に浸透しているのでしょう。
木村石鹸が、意図してこのような組織をデザインしたのかどうかは外野からは分からないことですが、さまざまな企業が学び、参考にできる点は多いのではないかと思います。
「イノベーションは千三だ」(せんみつ:1000の新しいチャレンジのうち成功するのは3つ程度)とよく言われるように、そもそも新しいことを生み出す取り組みがすべて成功するはずはないのです。だとしたら、成功確率が低いからやらないと考えるのか?それとも、常にいろいろな新しいことを続けていれば、そのうちのいくつかは実ってくれるのだから、その可能性を阻害するようなことはしないと考えるか?どちらの思考を採る企業が新しい価値づくりを実現できるかは、明らかではないでしょうか。
私の尊敬する方が、こんなことを言っていました。
イノベーティブじゃない人を急にイノベーティブな人にすることは難しいが、イノベーション・フレンドリーな組織はつくることができる。
この「イノベーション・フレンドリーな組織」とは、ともすれば既存の枠組みと衝突を生み出しかねないイノベーティブな動きを邪魔したり、妨げたりすることがない、変化に対して寛容な組織という意味です。
企業にとって新しい価値を創り出すことは簡単ではありません。だからこそ、せめて現時点ではいまだ保証されていない「分からないこと」に取り組む愚直な実践と、小さな失敗を許容できる組織文化をつくることが、これからの時代に新しい価値を生みだす一歩になるのではないでしょうか。