職場におけるパワーハラスメント(パワハラ)は、被害を受けた労働者はもちろん、企業にとっても深刻な問題です。労働者は、人格や尊厳を傷つけられ、仕事への意欲が低下し、心身の健康も悪化します。それによって、休職や退職に追い込まれたり、さらには命にも関わったりするケースもあります。他方、企業(事業主)にとっては、パワハラが発生し、それ適切に対処できなければ、業績悪化や貴重な人材の流出を招いたり、多額の損害賠償責任を課されたりする恐れがありますから、非常に大きな経営リスクといえます。
こうした状況を踏まえ、2019年5月に労働施策総合推進法が改正され、事業主に職場でのパワーハラスメント対策を義務付けることになりました。改正法は6月5日に公布され、公布後1年以内の政令で定める日に施行されることになっています(中小企業に関しては、3年以内は努力義務)。つまり、大企業は2020年までに、中小企業は2022年までに、事業主は同法の定めるパワハラ対策の措置を講じなければならなくなったのです。
そこで今回、同法の定めるパワハラの定義と事業主が講じなければならない措置などついて明らかにした上で、事業主がそうした措置を実施する場合の実施手順やポイントについて解説したいと思います。
労働施策総合推進法に定めるパワハラとは
パワハラという言葉は広く社会に浸透し、昨今、上司からの指導や言動に関するトラブルにおいて日常的に使われるようになっています。ただ、これまでは法律上の概念ではなく、裁判では上司の被害労働者に対する身体、名誉感情、人格権などの侵害を理由とする不法行為(民法709条)や、事業主の労働契約上の安全配慮義務違反として争われてきました。
それに対して、労働施策総合推進法の改正では、「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業関係が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」(第30条の2第1項)という項目が盛り込まれました。つまりパワハラの概念が法律上明らかになったのです。
この規定により、職場におけるパワハラとは、具体的には、以下の3つの要素をすべて満たすものを指すことになりました。
(1)優越的な関係を背景とした、
(2)業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により、
(3)就業環境を害すること(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること)
それぞれについて補足しましょう。まず、(1)の職場での優位性とは、上司から部下の関係が典型ですが、それに限らず、先輩・後輩間、同僚間、さらには部下から上司の関係も含まれます。つまり、職務上の地位に限らず、人間関係や専門知識、経験などのさまざまな優位性が考慮されます。
(2)は、適正な範囲の業務指示や指導についてはパワハラには該当しないことを示しています。労働者が、上司などから、業務上必要な指示や注意・指導を受け、それを不満に感じたりする場合であっても、それが業務上の適正な範囲で行われている場合には、パワハラには当たりません。上司は自らの職務・職能に応じて権限を発揮し、業務上の指揮監督や教育指導を行い、上司としての役割を遂行することが求められるのであり、本条項はそのような上司による適正な指導を妨げるものではありません。
(3)は、当該行為を受けた者が身体的もしくは精神的に圧力を加えられ負担と感じること、または当該行為を受けた者の職場環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることをいいます。その判断に当たっては、一定の客観性が必要なため、「平均的な労働者の感じ方」が基準となります。
この点に関して参考になるのは、厚生労働省のパワハラに関するポータルサイト「あかるい職場応援団」です。このサイトでは、以下の6類型が、パワハラの典型例として挙げられています。かなり広範な内容になっていることが分かります。
1)身体的な攻撃(暴行・傷害)
2)精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)
3)人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
4)過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)
5)過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
6)個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
企業が講じるべきパワハラ対策の措置とは?…
それでは今後、企業はパワハラにどのように対応すればいいのでしょうか。労働施策総合推進法の改正により、事業主は以上に述べたパワハラの対策として、「……当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」義務を負うことになりました(第30条の2第1項)。
この「雇用管理上必要な措置」は、今後、厚生労働大臣の定める指針において示されることになっています(同条第3項)。現時点で判明していることは、この措置の内容は、「現行のセクハラ防止措置義務の内容を踏まえて今後検討」するとされ、具体的には以下のようなものが予定されているということです(令和元年6月5日付「都道府県労働局 雇用環境・均等部(室)」資料参照)。
[1]事業主によるパワハラ防止の社内方針の明確化と周知・啓発
[2]苦情などに対する相談体制の整備
[3]被害を受けた労働者へのケアや再発防止など
なお事業主は、指針に定められる措置を講じる他、いくつかの義務または努力義務を負います。ここで、これらの義務についても概観しておきます。
[1]労働者がパワハラに関する相談を行ったこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない(第30条の2第2項)。
[2]優越的言動問題に対するその雇用する労働者の関心と理解を深めるとともに、当該労働者が他の労働者に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる前項の措置(=広報活動、啓発活動その他の措置)に協力するように努めなければならない(第30条の3第2項)。
[3]自らも優越的言動問題に対する関心と理解を深め、労働者に対する言動に必要な注意を払うように努めなければならない(第30条の3第3項)。
以上の措置や義務のうち、事業主がパワハラ対策に関する雇用管理上必要な措置(第30条の2第1項)を怠り、あるいは解雇その他の不利益な取り扱いの禁止(同条第2項)に違反した場合には、厚生労働大臣は当該事業主に対し、助言、指導または勧告をすることができ(第33条第1項)、勧告を受けた事業主がこれに従わなかったときは、その旨を公表することができます(同条第2項)。つまり、自社が“パワハラ企業”であることが世間に広まってしまう可能性があるのです。
また、パワハラに関する紛争が生じた場合、事業主と労働者は、調停など個別紛争解決援助の申出を行うことができるようになります(第30条の4以下を参照)。
パワハラ防止措置を実施する場合の実施手順とポイント
最後に、厚生労働省「パワーハラスメント対策導入マニュアル(第3版)」(以下、「マニュアル」といいます)を参考に、現時点において考えられるパワハラ防止措置を実施する場合の実施手順とポイントについて示しておきます。今後定められる指針に照らして修正・変更が必要となるかもしれませんが、基本的な方向性を考える上で、参考になります。
【1】事業主によるパワハラ防止の社内方針の明確化と周知・啓発
まず、パワハラ防止の社内方針の「明確化」に関しては、ルールを決めることが必要です。具体的には、就業規則などにおいて、パワハラを行った者に対して懲戒規定などに基づき厳正に対処する旨を定めます。パワハラ防止について詳細な規定を定める場合は、就業規則に委任の根拠規定を設けて、別途、パワハラ防止規定を設ける方法もあります。
ポイントは、これらの規定を作成する際、労働組合や労働者の代表などに規定の目的や意義を十分に伝えて意見交換をした上で、ルールを決めることです。またルールは、従業員にとって分かりやすく、できる限り具体的な内容とすることが大切です。就業規則やパワハラ防止規定の規定例については、そのまま利用できる形で、マニュアルの21ページ以下にあります。
次に、パワハラ防止の社内方針の「周知・啓発」については、〈1〉ポスターの掲示〈2〉トップ自らにより取り組み方針に関するメッセージの発信〈3〉人事部門や組織長による具体的な取り組み内容に関する説明会の実施〈4〉相談窓口の案内〈5〉教育のための研修の実施などといった方法があります。
ここでのポイントは、会社がパワハラ防止に本気で取り組んでいることや、その取り組み内容について、労働者にしっかり伝えて、理解してもらうことです。そのための周知用ポスター、周知用手持ちカードのひな形、研修資料(管理職用、従業員用)、自習用テキスト(管理職用、従業員用)については、マニュアルの30~34ページを参照してください。
【2】苦情などに対する相談体制の整備
これについては、従業員がパワハラについて相談できるように相談窓口を設置することが求められます。相談窓口では、あらかじめ相談者に対し秘密が守られることや、相談をすることによって不利益な取り扱いを受けないことを明確にしておく必要があります。
相談窓口には、内部(人事労務担当部門など)と外部(弁護士・社会保険労務士の事務所など)が考えられますが、会社の規模や実情に応じて、実効性のある窓口を設けていくことになります。相談窓口での具体的な対応については、マニュアル35~43ページを参照し、添付の参考資料9~11を活用するとよいでしょう。
【3】被害を受けた労働者へのケアや再発防止など
被害労働者へのケアとしては、本人の希望を確認した上で、必要に応じて、
(1)加害労働者と業務上の接点を持たないよう体制変更をする
(2)一定期間、被害労働者、相談担当者、人事部の課長などの三者で定期的に面談を実施する
(3)健康管理の観点から、定期的に産業医との面談を行うなどのフォローアップが考えられます(参考資料9、マニュアル94ページ)
また、再発防止策としては、≪1≫加害労働者に対する再発防止研修を実施する≪2≫事例発生時に、管理職などにメッセージを発信し、注意喚起する≪3≫毎年のトップメッセージや研修において、発生した事例を活用する≪4≫部下と適切なコミュニケーションを取れることや、部下へ適正な指導・育成を行えることを管理職登用の条件とする≪5≫職場環境の改善のための取り組みを継続することなどが考えられます(マニュアル44~45ページ)。
ただ、中小企業では、【3】の(1)のような体制変更は、かなり難しいケースも考えられます。パワハラが起こってしまってから対応するのではなく、パワハラが発生しないよう事前の防止策を充実する必要があります。会社の規模や実情に応じて、実効性のある方策を取りましょう。
以上のように、パワハラ防止措置として事業主が実施することは多岐に及びます。厚生労働省が用意しているマニュアルやそこに添付されている各種資料などを活用して、着実に準備を進めていっていただきたいと思います。