価値転換の典型的なものがアート(芸術)です。特に近代以降のアートは、既成概念に対する批判精神から生まれ、既存の意味のシステムを打ち壊した先に浮かび上がる「何か新しいもの」を創り出すことに重きが置かれてきました。
京都大学経営管理大学院・山内裕教授の言葉を借りるなら、既存の意味のシステムで説明がつかないということは「無意味」に見えるものです。しかし「無意味」は実に面白いものでもあります。意味がないということは、現時点の常識から見ると「正統ではないもの」「邪道なもの」として扱われることにもなりますが、アートの世界ではこの「無意味なもの」を「すごいもの」として扱うのです。これはどういうことでしょうか?
それはアートが、既存の意味のシステムでは「無意味」であっても、時代の流れや社会の変化によって意味のシステムが変化し価値転換が起こる中で、「いずれ意味を持つ可能性があるもの」を見つけ出し、形を与え、世の中に提案する営みだからなのです。そういう意味で、第7回のコラムで紹介した「意味のイノベーション」はアートに通じるものがあるのかもしれません。
一般的に、世の中において制度や慣習として定着し、誰しもが疑わない正統性や権威が認められているものを「文化」と呼びます。「文化」と聞くと、ついつい「ギリシャ文化」や「日本の伝統文化」のようなものが想定されがちですが、社会や人々の日常生活に溶け込んだ、身近で小さな習慣や常識の集合体も「文化」と言えます。
20世紀後半に主にイギリスの研究者グループの間で始まり、後に各地域へと広まったカルチュラル・スタディーズと呼ばれる研究領域は、そのような小さな文化を研究する学問です。研究対象としては、社会におけるジェンダーやエスニシティ(民族性)のあり方などが挙げられます。前述したような、一見大げさなものとして扱われがちな文化は、日常に溶け込んだ小さな文化が積み重なってできあがっていきます。そして、その小さな文化こそ世の中における常識観などの支配的なものを決定付ける力を持っているのです。
文化が社会において支配的なものであるということは、その時代や特定の社会における「当たり前」を意味します。一般的に「当たり前」とされているものは、社会において正しいもの、価値があると認められているものですが、裏を返すと、すでにその価値には新しさがなくなっているとも言えます。
つまり、新しい価値を考えるならば、将来的に新しい価値になりえるものを見つけ出す必要があるのです。それは、現時点では社会において正統な「意味」を与えられておらず、既存の意味のシステムからは爪はじきにされている一方、一部の人々にとっては新しく意味を持ち始めているもの。そして、その新しい意味が持つ価値について、世の中のほとんどの人がまだ気付いていないようなものです。今は無意味だと思われているものこそが、既存の価値を転換させるのです。
このような考え方は、クレイトン・クリステンセンが提唱した「破壊的イノベーション」の概念とも通じます。これは、かつてイノベーションによって市場での支配的な地位を得た企業(の技術・製品)が、既存の業界秩序を破壊するような新しいイノベーションを興した他社によって市場での地位を追われる現象をさします。そのような状態を回避するために、企業は破壊的イノベーションに対して投資をし、積極的に参画すべきなのです。
しかし、現時点で市場において支配的価値を維持している既存の技術・製品には顧客からのニーズがあります。一方、破壊的イノベーションの可能性を秘めている技術・製品は十分な市場規模が育っていないなどの理由から、資源配分に対する合理性がないと判断されがちです。その結果、技術革新によって新たな市場やニーズが生まれ、新興企業によって市場における支配的価値を転換(転覆)させられてしまうのです。
既存の支配的価値に縛られて新しいことに手も足も出なくなる状態を、クリステンセンは「イノベーターのジレンマ」と表現しました。ここで言う、破壊的イノベーションをもたらす「既存の枠組みから外れている新興技術」が、これまで論じてきた「今は無意味だと思われている新しい動き」に当たるのです。
現状の技術や製品を磨き続け、改良と機能向上を続けていれば今後も成長が見込める市場や産業領域にいるのであれば、すでに価値とされているものをより強くしていくことは合理的でしょう。しかし、VUCAと呼ばれる不確実な環境の中で新しい価値を創り出し、ブレークスルーを目指そうとする企業にとっては、今は無意味と思われているものを拾い集め、将来的な可能性を見いだそうとする取り組みが功を奏するかもしれません。
第6回のコラムで、イノベーションを「贈り物」に例えたエピソードを紹介しました。誰もがその価値を疑わないものではなく、今後価値転換を起こす可能性を秘めた新しい動きに意味を与え、価値として具現化して世の中に提案することこそ、社会や顧客に対する素晴らしい贈り物=イノベーションになるのではないでしょうか。
ニッチからの脱却を目指して「アダプション・ジャーニー」を描こう
製品やサービスを提供する側がいくら「これは素晴らしいものだ」「意味があるものだ」と主張しても、それだけではビジネスは成立しません。市場や社会が理解・認識できる状態で提案がなされない限り新しい提案は意味を持ちませんし、製品やサービスの価値がいくら革新的で素晴らしいものであっても、採用する人が一部のマニアのような少数派であれば、極めてニッチな市場にとどまってしまいます。
ニッチな市場やニーズでは、社会を大きく変えることは困難です。最初は限られた人にしか理解されず、受け入れられないにせよ、いずれは少しづつ世の中に広く普及し、多くの人々にとっての「当たり前」になるようなものが結果的にイノベーションとなるのです。
ではどうすればいいのでしょうか? その課題を打破するためのひとつの考え方が、サービスデザインにおける「アダプション・ジャーニー」という視点です(『サービスデザイン思考』第6章で紹介)。
アダプション(adoption : 採用する、採り入れる)とは、市場において新製品や新規サービスが購入されたり、使用される状態をさします。サービスデザインにおいては「売り出し」と同じくらい重要なフェーズとして扱われています。
アダプション・ジャーニーは、新製品やサービスが顧客に採用されるまでの道のりを「顧客と製品との関わり合いの旅」の理想像として描き出したものです。提案しようとする価値(意味)が革新的であればあるほど理解されにくくなるため、情報を分かりやすく提供したり、体験のハードルを下げるために無料お試し期間やトライアルキットを用意することが必要です。出会いから採用に至る道のりを円滑なものにするためのさまざまな顧客体験を発想し、具体的な施策に落とし込むことは、製品・サービスをつくることと同じくらい重要です。
アダプション・ジャーニーのデザインとは、製品やサービスが持つ価値の新奇性が人々や社会に受け入れられ、評価され、普及し、世の中に定着していくまでのプロセスを設計することです。それによって、かつては意味のない「まがいもの」だったものが、知らぬ間に世の中の「当たり前」になっていく道のりがつくられていきます。そして、そのような価値転換を積み重ね、新しい意味を社会における当たり前として定着させていくことが文化のデザインなのです(文化のデザインについては、『サービスデザイン思考』第9章「『未来の当たり前』をつくりだす『文化のデザイン』」も併せてご参照ください)。