平安時代から人が通い、江戸時代には「伊勢へ七度、熊野へ三度」といわれるほど信仰厚い人々の往来でにぎわった熊野参詣道。別名「熊野古道」とも呼ばれ、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称として知られています。熊野参詣道は2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する道として世界遺産に登録されて以来、日本人だけでなく、世界中から“歩く人たち”が訪れるようになりました。その歴史ある熊野古道の1つ伊勢路は、伊勢神宮と熊野三山とをつなぐ道です。私は今、この約170㎞に及ぶ道のりを歩いて旅をしている途中。前編と後編の2回に分けて、伊勢路歩きの魅力をお伝えしたいと思います。
伊勢神宮(外宮)から166㎞の道のりを行く。4㎞ごとに道しるべが立つ
伊勢と熊野を結ぶ祈りの道「熊野古道・伊勢路」
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「熊野参詣道」のうち、伊勢神宮と熊野三山とを結んでいる街道を「伊勢路」といいます。私は伊勢神宮(内宮)を出発し、伊勢平野を抜けて女鬼峠、三瀬坂峠、荷坂峠、一石峠を越え、今日で5日目、伊勢からは約80㎞の地点にある紀伊長島に着きました。街道筋の昔ながらの旅館に泊まりながら、毎日15〜20㎞のペースで歩いています。目的の熊野三山まで、全行程の半分といったところでしょうか。
私が普段行っている登山は起伏が大きく距離は短め。一方、今回の伊勢路歩きは集落と集落をつなぐようにして歩くので、峠越えはあるものの、起伏は緩やかで、移動距離は長くなります。でも、バックパックや靴、ウエアなどの山道具はもちろん、ペース配分や地図読み、また疲れにくい歩き方など、山登りの技術を生かせるところも多くあるなと思いました。
伊勢路をスタートして約1.8km、女鬼峠道を行く。昔は荷車も通ったため、登山道と違って緩やかなカーブで道が作られていることに気付いた
途中にある神社やお寺にお参りしながら伊勢路を進む。写真は元伊勢ともいわれる瀧原宮
伊勢路歩きは人のぬくもりに触れる旅…
山登りと違うのは、街道歩きでは地元の方々の温かさに触れられるということです。山登りでは人の住まない奥深くを歩くため、地元の方との交流はそれほど持てません。でも街道歩きは、生活圏を行くので、必然的に人と出会う機会が多いのです。
特にこの地方の方々は温かく、私のような旅人を見かけると「今日はどこまで歩くの?」とか「この先は険しいから気を付けてな」など自然に声をかけてくれます。さらには、わざわざ家から出てきて歴史や伝説を説明してくれたおじいさんや、お菓子を分けてくださったおばあさんもいました。紀伊半島の自然、また信仰や古道の歴史に触れることを旅の目的の第一としていた私にとって、地元の方々とのこのような交流は、旅の前には想像できなかったうれしい収穫です。
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生活主要道と重なり合う旧街道沿いの道は、当時の面影を今に伝えている[/caption]
聞く話によると、江戸時代、熊野参詣道には全国の人が訪れましたが、必ずしも裕福な人ばかりとは限らず、お金のない人は地元の方から何かしらの施しを受けながら歩いていたそうです。人を助けるという、かつての日本には当たり前のようにあった心が、この地方には今も強く残っているのかもしれません。
熊野古道には各地から人が集まるので、他の地域の優れた文化や伝統技術もこの地に集約されたといいます。また、地方からやってきた人は、この地で知った新しい技術を、地元に持ち帰ったそうです。人の交流によって、文化の交流も行われていたのですね。
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丸みを帯びた窓枠や波板ガラスなど昭和の余韻を残す料理旅館、紀勢荘に宿を取る[/caption]
さてはじめに、私は今日までに半分の距離を歩いたとお伝えしました。でも、ここまではなだらかな地形で、峠越えといっても歩きやすかったり、距離が短いところばかりでした。しかし、この先は馬越(まごせ)峠、八鬼山(やきやま)峠などの難所が待ち、リアス式海岸に沿って歩いたり、棚田の広がる風景があったりと、見どころたくさんの行程が待っていて、伊勢路の旅もいよいよ佳境に入ります。次回、この原稿を書く頃には、きっと全行程を踏破しているでしょう。旅の様子に加え、伊勢路を歩くのに役立つ情報をお伝えしたいと思います。
なお、現在歩いている道は、三重県のサイト「熊野古道伊勢路」のコース紹介に沿っています。サイトには動画のリンクなども掲載されているので、伊勢路の文化性や営みが知りたい方はぜひのぞいてみてください。