ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2019.03.28
ピットの辺りで爆音が響き渡り、F1(フォーミュラーワン)のマシンが次々とコースに飛び出してきた。鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリの決勝前日、予選前のプラクティスで初めてF1の走行シーンを目の当たりにしたときのことだ。実際にF1マシンが走るシーンを見て少年のように胸を躍らせたものだが、同時にモータースポーツを取り巻くやるせないような現実も知ることになった。
エンジン排気音を聞くだけでマシンの戦闘力の差が手に取るように分かったのである。上位チームのマシン排気音は、燃料の爆発が高度に制御された秩序の下で行われていることを誇らしげに表していた。中でも、その年にV12エンジンを搭載したフェラーリのマシンは、コーナーからの立ち上がりで美しい音楽のような高音を響かせながら加速していったものだ。一方、下位チームのマシンの排気音は、本当に失礼な表現になってしまうが、トラクターのそれのような印象だった。予算の関係で、同じエンジンで何レースも戦ってきたのだろうと思わされた。
モータースポーツは、ドライバーの技量はもちろん、マシンを提供し、各コースに合わせてボディーとエンジンのセッティングを施すチームの総合力が勝敗を左右するコンペティションだ。しかし、だからといって、豊富な資金と技術力を背景に優れたマシンを用意できるF1界きっての名門フェラーリであっても勝ち続けることは難しい。
ミハエル・シューマッハがフェラーリに移籍した1996年は、名門にとっても、いわば低迷期といっていい時期だった。一方、ミハエルは1991年のF1デビュー後、早くも94年、続く95年もワールドチャンピオン・タイトルを獲得するなど破竹の勢いでF1の頂点に昇りつめようとしていた。フェラーリとミハエル・シューマッハ。このコラボレーションがF1史上に残る成功を収めたことは間違いない。2000年のシーズンから実に5年連続でワールド・チャンピオンのタイトルを手中にしてみせたのだ。
その要因の1つとして、ここで注目したいのがミハエルのチームに対する影響力だ。当時、フェラーリにタイヤを供給していたブリヂストンの浜島裕英氏はミハエルを次のように評している。
“周りのスタッフがよくやってくれるからこそ、自分は速く走れるんだという意識を非常に強く持っています。レースに勝つと、スタッフひとりひとりのところに自分から足を運んで、“ありがとう、おかげで勝つことができたよ”とあいさつをして回る。”
(スポーツ感動物語 天才、それは努力する才能「ミハエル・シューマッハ『最速』『最強』への情熱」水沢透 著より)
チーフメカニックだったフランチェスコ・バルレック氏も「若いメカニックに対しても、決して偉そうな態度を見せたり、下っ端扱いしたりすることがない」と語っている。
後に、フェラーリの元会長ルカ・ディ・モンテザーモロ氏は「クルマに乗った際の巨大な才能は別として、彼はフェラーリのDNAに痕跡を残したと思う」と伊クオティディアーノ・ナツィオナーレ(Quotidiano Nazionale)紙にコメントしているほどだ。
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執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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