ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2019.12.26
ラグビーワールドカップ2019に沸いた日本。その第1回が開催されたのは1987年のことだった。当時、日本代表の主力の1人は平尾誠二さん。第2回、第3回大会にも出場し、チームをけん引した。
「華麗」とも評されたステップで相手の守備網を切り裂き、鮮やかにトライを決める。チームの司令塔という役割を担うSO(スタンドオフ)やセンターとして天才的な状況判断で最適なプレーを選択し、チームを勝利に導いた。
京都・伏見工業高等学校(現・京都市立京都工学院高等学校)3年時に全国制覇。同志社大学ラグビー部では史上初の大学選手権3連覇という金字塔を打ち立て、神戸製鋼では主にキャプテンとして日本選手権7連覇を達成した。
観客を魅了するプレースタイル、そして圧倒的な戦績は「ミスター・ラグビー」と呼ばれるにふさわしかった。
伏見工業高校のラグビー部が栄冠を勝ち取るまでの物語は、『スクール☆ウォーズ』というタイトルでテレビドラマ化されたことはよく知られている。平尾さんをモデルにした登場人物もいた。しかし、彼自身のドラマチックなラグビー人生は、その数年前、京都市立陶化中学(現・凌風学園)に入学した春にスタートしている。
新入生の平尾さんは、入部するクラブを選ぶために運動部の練習を見学するが、彼の目にはどの部の練習風景もしごきに見えたという。そういう雰囲気を嫌う少年だった。そんな時、足元にコロコロとボールが転がってきた。
脂で磨かれ、黒光りした革製の楕円のボール。誘われるように拾って投げ返したそのボールは、グラウンドの上で不規則にバウンドして跳ね返った。「これは何のボールやろう。面白いボールやなあ……」
(『勝者のシステム』 平尾誠二著)
平尾さんは、ラグビーとの出合いをそう振り返る。当時、陶化中学のラグビー部は発足2年目。大学を出て美術教師になったばかりの寺本義明先生は、生徒たちにのびのび自由に練習させていた。その練習風景に心が動き、平尾少年は入部を決める。
入部後、次第にラグビーに魅せられていった平尾さんは、学校の練習だけでは物足らず、1年365日、夕食後に家の近くの公園で黙々とボールを蹴る練習を続けた。夜の練習には、他の部員も次々と加わり、すぐに10数名にまで増えたという。兄貴のような存在だった先生の下、中学生の部員たちが思うようにラグビーに取り組んでいく。そのエピソードはもう1つの青春ドラマのようだ。
そして伏見工業高校へ。そこで平尾さんは、あの熱血教師に出会う。元ラグビー日本代表の山口良治先生だ。指導法はスパルタ方式だった。「入学した当初は、練習が嫌で嫌で仕方がありませんでした。しかし、苦しい練習を強制させられているうちに、自分が強くなっていくのが実感できました」
自分の成長が実感できたことで、平尾さんは練習が面白くなり、山口先生に言われなくてもハードな練習に取り組むようになっていった。
進学した同志社大学ではラグビー部長の岡仁詩先生の指導を受けた。岡先生は自由な気風を持ち、理論派として知られる指導者だ。
「情」の山口に対し、岡はあくまで「理」でラグビーに相対する。高校生になって、まず「情」の部分をたたき込まれて、大学に入って次は「理」を教え込まれる──この順番がよかったと、平尾は語る。
(『平尾誠二 最後の挑戦』 早瀬圭一著)
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執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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