ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。彼の訃報に接して、そうだった、彼のファーストネームはディエゴだった、と改めて思い出された。
“ディエゴ”という名前には今も心動く何かを感じる。
子どもの頃に好きだったディズニー製作のテレビドラマ「快傑ゾロ」の主人公の名が、スペイン語の敬称であるドンを冠したドンディエゴだった。まだスペイン領だったメキシコの田舎町を舞台に、圧政に苦しむ人々のために黒装束とマスクで謎の剣士ゾロにふんしたドンディエゴがスペイン政府の役人や兵士に挑み、見事なサーベルさばきと身軽さで敵を翻弄し、やっつけ、民衆が歓喜する中を愛馬にまたがりさっそうと走り去っていく。アラン・ドロンやアントニオ・バンデラスの主演で映画化もされているのでご覧になった方も多いだろう。
そのゾロの活躍が色あせるほどの痛快で胸のすくようなプレーの数々をピッチの中で見せたのが、我らがディエゴ・マラドーナである。
世界を沸かせたメキシコ・ワールドカップのプレー
数々の名プレーの中でも、世界中のサッカーファンの脳裏に今も鮮明に残っているのが「5人抜き」ドリブルとゴールだろう。しかも1986年に開催されたFIFAワールドカップの準々決勝という大舞台で、対戦相手はイングランドだったのだ。
あのゴールをもう一度見返すと、あんなことをやったのが嘘のように思えるんだ。別に自分がやったからじゃない。でも、あんなゴールをやるのは不可能に思えるんだ。
(マラドーナ自伝 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ著 金子達仁監修)
身長160センチ台半ば、小柄でぽっちゃりとした体形のマラドーナだが、ボールを踏み、くるっと体を回転させてイングランド選手2人の間を駆け抜けると、続けて1人、さらにもう1人を巧みな素早いドリブルで抜いて進み、最後はキーパーまでかわしゴールを奪う。マラドーナ本人でさえ信じられないようなゴールに世界中が沸いた。
この試合では、ボールがマラドーナの手に触れたにもかかわらず、反則を取られることはなくゴールが認められた、いわゆる「神の手ゴール」も伝説となった。試合後、マラドーナが「あのゴールはマラドーナの頭と神の手によるものだ」と語ったことからそう呼ばれている。
少年のような純粋さでサッカーを愛し続けた…
1960年10月30日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの南にある街で8人兄弟姉妹の5人目として生まれたディエゴ・マラドーナ。小さな頃からサッカーがすべてという少年だったという。
トタ(注マラドーナの母)に何かを取って来いと言われたら、ボールみたいに足で転がせる物を何か持って出たものさ。オレンジでも良かったし、丸めた紙くずでも、雑巾でも何でも良かった。
(同著)
そうしてマラドーナ少年は“何か”をドリブルしながら道を駆け、階段さえ登っていくという毎日を過ごして成長を遂げ、天才サッカー少年としてアルゼンチン史上最年少でプロデビューを果たすのである。
その後、アルゼンチンからヨーロッパへ、FCバルセロナ、イタリアのセリエAのSSCナポリへと活躍の場を広げながら、一方でアルゼンチン代表として1982年からワールドカップに4回連続出場し、先に紹介した86年大会では、5得点、5アシストの活躍でチームの優勝に大きく貢献している。
マラドーナの自伝にはそうしたキャリアの中でつかんだ栄光や挫折が描かれている。マラドーナは体全体で喜び、怒り、悲しむ。そしてそのすべてのベースにサッカーへの愛が感じられる。マラドーナは、まるで初めてサッカーボールを買ってもらった少年のような純粋さでサッカーと向き合って生きたのだ。
もしサッカーの神様がいるなら、これだけサッカーを愛する選手を応援したくなる気持ちも分かる。明らかに手が触れている「神の手ゴール」を審判がゴールと認めたのは、あるいは神のご加護によるものかもしれない、とさえ思えるのである。本当に好きなことに全力で取り組んでいれば、神でなくても力を貸してあげたくなるものだろう。
スポーツというマーケットにおいて、サッカーが世界中で愛されるスポーツへと育ってきたのは、マラドーナを筆頭に体全体で喜び、怒り、悲しむような人材がいたからだ。サッカーというスポーツに、選手のプレーや言動、さまざまな出来事が肉付けされること(関係性が膨らむこと)で、見た人たちが魅力を発見してきた(感情が動かされた)のである。
モノやコトは単なる情報でしかなく、そこにマラドーナのように体全体で喜怒哀楽を表現できる人が介在することで価値観の転換が起こったりする。インフルエンサーに頼ることもそう。カリスマ経営者も同じ。ならばたった1人の従業員であっても企業や商品に対して、全身全霊で愛情を表現できたなら魅力は広がっていくのではなかろうか。大事なことは正しい手法はなく、全身全霊であるかどうか。変化の激しい時代だからこそ、ビジネスの基本に立ち返ってみてはどうだろうか。
自伝の中でマラドーナは、知人が彼を描写する際によく使ったフレーズを紹介している。「いくら真っ白いスーツを着て気取ったパーティーに出席していても、そこへ泥だらけのボールが飛んできたら僕はそれを胸で受け止めるだろうってね」と。
今頃、天使のように白い服を着た彼は、得意なリフティングを披露し、サッカーの神様をほほ笑ませているのだろうか。
ドンディエゴ、どうぞ安らかに……。