レーシングドライバーであるアレッサンドロ・ザナルディにハートを射抜かれたのは1996年9月のことだった。彼はイタリアのボローニャ出身のレーシングドライバー。66年生まれのイケメンだ。
94年まで4年間にわたりF1でドライブしたものの目立った戦績を残すことができなかったアレッサンドロ・ザナルディは、1996年、心機一転CARTシリーズに参戦。米国では特に「アレックス」という通称で注目を集めていた。その年のシリーズ最終戦、それも最終ラップだった。
先頭を行くブライアン・ハータと赤いマシンで追走するザナルディは後続を大きく引き離し、2台でバトルを繰り広げていた。2台は、緑の少ない砂漠の中に造られた高低差の激しいラグナ・セカ(スペイン語で乾いた湖という意味。かつて湖があった場所に造られた)のコースを駆け上がり、名物コースであるコークスクリューに向かう。コークスクリューは15mの高低差があるS字コーナーで、マシンはコーナーの名称が示すようならせん状のコースを一気に駆け降りることになる。ここで勝負を賭けるのはリスクが高過ぎる。もうゴールまでわずかである。2位のポイントをゲットする選択をするのが賢明かもしれない。
しかしザナルディは諦めない。
ブレーキングをググっと遅らせハータの前に出たザナルディは、その勢いのままなんとコーナーを曲がらずに直進し、ダートに落としたマシンが砂ぼこりを上げるのもおかまいなしに走り抜けてコースに戻ってみせるのである。
テレビで見ていて「WAO!」と声を上げてしまった。なんてむちゃなことをする、なんてチャーミングなドライバーだろう!そのオーバーテイクで、ザナルディに魅せられてしまった。
ザナルディはアグレッシブなレースで勝利を重ねていく。ミスやトラブルで最後尾にまで順位を落としたザナルディが次々と他車を抜き去り、優勝を遂げるレースを何度見せてもらったことだろう。そうしたレースでファンを沸かしながら彼は97年、98年と連続してシリーズチャンピオンの座に輝いた。
悲劇的な事故からの奇跡的な復活…
99年、CARTでの活躍に注目したF1の名門チーム、ウィリアムズがオファーを出し、ザナルディは古巣F1への復帰を果たす。ところがF1に戻ったザナルディの走りは別人のように輝きを失っていた。そして入賞すらできずにチームを去り、再びCARTに戻ったのだが、そのザナルディを悲劇が襲う。2001年9月、ドイツのユーロスピードウェイ・ラウジッツで開催された第16戦で激しいクラッシュを起こし、両足を膝の上で切断することになったのだ。
世界中のレースファンはザナルディを失ってしまった悲しみに沈んだ。しかし、当のザナルディは諦めなかった。事故からわずか20カ月後の03年5月にはマシンに乗り込み、事故を起こしたそのコースを走行してみせた。
両足を失ったザナルディがマシンを操るには、すべての操作を手で行える特別仕様のマシンが必要だ。その開発に要した時間、そのマシンに適応するための時間を考えると、彼は事故後それほど時間がたっていない段階でレース復帰を決断していることが分かる。
肉体的な苦痛はいかほどだったろう。あるいはそれ以上に精神的な苦痛もあっただろう。それにもかかわらず、ザナルディは諦めなかった。そしてレースに本格的に復帰し、世界ツーリングカー選手権に参戦。05年8月には優勝も実現させている。
19年11月、富士スピードウェイで開催されたツーリングカーレースに参戦した彼はインタビューで次のように話している。
「私は皆さんと同じ普通の人間ですが、一方で人生においてたくさんの素晴らしい経験をする幸運に恵まれた。ラッキーボーイのアレックス・ザナルディとして様々な方々と交流があります。ここでお会いした方々もそうですが、いつも心の交流に感謝しています」
(SUPER GT x DTM Dream Race - 自身のハンデを「ラッキー」と語るザナルディより)
相性の良さ、悪さというファクターも考慮を
それにしてもザナルディはなぜF1では結果を残せなかったのだろう。第2期F1時代には、CARTとF1マシンでのブレーキのフィーリングの違いに苦しんだという指摘もあった。しかし彼ほどのドライバーがそれを克服できなかったのだろうか?
そこでまったくの素人である私は、このように結論づけた。ザナルディはF1とは相性が悪かったのだ、と。ビジネス社会でも相性が良い、悪いというファクターは存在するのではないだろうか。ある商品のセールスでは優秀な成績を残した人物が、商品が変わったら不振に陥る。商品自体の特性をはじめ、新たな取引先との相性が悪いのかもしれない。時にはそんな視点で人材のポジショニングを考えてみるのも必要だろう。
ザナルディには何度も驚かされたが、自転車のハンドサイクル(運動機能障害H5)の選手として出場した12年のロンドンパラリンピックで2つの金メダルと1つの銀メダルを獲得したというニュースに接した時には面食らった。彼はレースと並行してハンドサイクルにも挑戦していたのだ。続く16年のリオデジャネイロパラリンピックでも同じく2個の金メダルと1つの銀メダルを獲得した。
しかし、その雄姿を今年の東京2020パラリンピックでは見ることはかなわなかった。彼は昨年6月にイタリアで開催されたハンドサイクルレースでトラックと正面衝突するというまたしても重大な事故に遭ってしまった。頭部と顔面に深刻なダメージを受けたものの、5回にわたる手術を経て、今は容体も安定しているという。まだ話せない状態だというが、懸命にリハビリに取り組むザナルディに心からの声援を送りたい。
あなたはいつも諦めなかった。
諦めずに頑張るあなたを幸運の女神もきっと応援してくれるだろう。ラッキーボーイのアレックス・ザナルディとして、また戻って来ておくれ!
きっとだよ、チャンプ!