ビジネスコミュニケーション手法の改善(第10回)
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公開日:2020.06.23
最近のビジネスにおいては、新たなニーズを掘り起こし、商品を次々に開発して市場に投入していかないとなかなか生き残れません。製菓業界も例外ではなく、新たな味、新たな食材の組み合わせ、新たなパッケージで新商品が次々に開発され店頭に並び、そして日々淘汰されています。そんな中、発売開始から120年以上たっても店頭に並び続けるお菓子があります。森永製菓のミルクキャラメルの発売は1899年。人々に愛され続けている、製菓業界の超ロングセラーです。
森永製菓の創業者・森永太一郎は、もともとは陶器を扱う商人でした。ある時、陶器を販売するために渡米し、そこで西洋菓子に出合いました。太一郎は一度帰国しますが、西洋菓子の製造法を身に付けるために再渡米。そして11年にわたる滞米の後に帰国し、1899年、東京・赤坂に森永西洋菓子製造所を設立しました。
製造所でまず製造・販売したのは、マシュマロ、チョコレートクリーム、そしてミルクキャラメルでした。しかし、ミルクキャラメルは外国人や海外からの帰国者には好評を得たものの、当初、日本人にはなかなか受け入れられませんでした。キャラメルの製造には、バターやミルクを多く使います。日本のお菓子に慣れていた舌にとって、キャラメルは味が濃過ぎたのです。
また、品質についても問題がありました。一般的に太一郎が修行した米国よりも日本は気候が多湿です。原材料も、日本で手に入るものと米国で使われているものとでは品質が異なります。そうしたこともあり、キャラメルがすぐに溶けてきたり、糖化して口当たりがざらざらになったりと品質が変わってしまったのです。
味以外に包装にも問題を抱えていました。衛生上の観点から、当初ミルクキャラメルは1粒ずつワックスペーパーで包み、1粒5厘でバラ売りしていました。しかし、バラ売りしていては、大量販売は見込めません。ここから品質、そして包装の改良が始まりました。
まず、品質に関しては、原料を煮詰める温度や配合の割合などを見直し、溶けにくく、日本人の好みに合う味をめざし、苦労の末、改善に成功します。そして、包装についてはワックスペーパーで包むやり方は変えずにバラ売りではなく、持ち運びのできる容器に入れて販売する形を採用することにしました。
こうして1908年、ブリキの小さな缶に入ったミルクキャラメルが発売になりました。しかし、ブリキ缶は品質の維持には効果があるものの、コストがかかり、値段が高くなってしまいました。10粒入りで10銭と1粒当たりではバラ売りの倍の値段にしなくてはならなくなったこともあり、人気を博すまでには至りませんでした。
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執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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