ビジネスコミュニケーション手法の改善(第10回)
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公開日:2021.02.17
東邦レオ(屋上・壁面緑化などの都市緑化事業)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第24回・第25回は、東邦レオ(大阪市)の橘俊夫会長。同社は1965年に橘会長の父・泰治(やすはる)氏が創業し、その後、橘会長が2代目社長としてバトンをつないだ。2016年に現社長の吉川稔氏に事業を承継し、現在は会長として同社の成長を支える。
橘会長には娘が1人、兄には息子が2人いたが、血縁者への承継は選ばなかった。
「同族経営を否定するわけではないけれど、おいも娘も別の人生を選び、こちらからも無理に血縁者にこだわることはしなかった。同族会社の弊害も多く見てきたので、優秀な社員がやる気をなくすことをやってまで身内を入れてはいけないという思いがあった」と橘会長は話す。
社員たちをグロービスで学ばせていたとき、そのセミナーで講演をしていたのが吉川社長だった。吉川社長は、金融機関勤務を経て、投資会社を起業するほか、セレクトショップ運営会社やカフェ経営会社の副社長を務めるなど、多彩な経歴の持ち主だが、一方で建設業は未経験だ。
「変革期か平常時かによってリーダーシップの在り方は違います。東邦レオに関しては、創業者である父が地盤を作り、私がそれを基に人を育て、事業を発展させてきました。次のリーダーは、将来を見据え、構想力、先見性を持って会社を引っ張ってくれる人がいいだろうと考えていました。社員の中から選ぶことも考えたが、ずっと内部にいる人間だと、私と同じことはできても、それ以上のものが生まれにくい。いろんな視点や経験値を持った人が新しい価値を見いだしていくことが大事だと思ったんです」(橘会長)
吉川社長のセミナーを聞いた社員からの申し出で、ある部署で顧問として月に一度吉川社長からアドバイスをもらうようになった。当初、橘会長の吉川社長に対する印象としては、「うちの会社はみんなスーツを着ているのに、彼はいつもラフな格好をしている。正直、チャラいやつやな、と思った(笑)」という。
2016年、橘会長が66歳のとき、吉川社長が顧問をしていた部署で起こった小さなトラブルをきっかけに、2人で今後の会社や事業についてじっくり話す機会があったという。
「こんな会社にしていきたい、という私の思いを伝えました。3~4回そういう場を持ったときに、彼が『じゃあ、やりましょうか』と言った。私が『何を?』と聞いたら、彼は『社長を』と言う。冗談のような話だが、彼はすぐに当時持っていた仕事を全部整理して、うちに来てくれた。押しかけ社長です(笑)」(橘会長)
なぜ吉川社長は東邦レオの社長に名乗りを上げたのだろうか。
「吉川君は東邦レオの扱っている商品や将来性にポテンシャルを感じてくれたんだと思います。商品も人もいい。もっと大きくなれるはずだと言ってくれました。また、会社は業績を上げることも大事だが、人を育て、社会に貢献することが何より大事だと私は考えています。売り上げや利益を最優先にするべきではない。その考えにも彼は共感してくれました」(橘会長)
話はとんとん拍子に進んだ。吉川社長と合意した後、2週間後には株主総会を開き、1カ月後には社員に発表した。
「当時の社員は、私が採用して育ててきた人ばかり。社員の中には、採用のときはあんなに夢を語っていたのに、社長は自分たちを見捨てて逃げるのか、と感じる人もいました。そこで私は、『私が社長をしているよりも、吉川君が社長をしたほうが、間違いなく君たちは幸せになれるから、信じてくれ』と伝えました。そのときは『社長、何言ってるんですか』と言っていた社員も、最近では『社長、ほんまでしたね』と言っています(笑)。
彼が何年社長をするかは決まっていませんが、『自分が3代目社長としてやることは、次の社長を務められるような人材を育てること。何人もその役割を担える人を育てるので、そこから創業家が次期社長を選んでください』と言ってくれています」(橘会長)
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執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
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「事業承継」社長の英断と引き際