安倍内閣は2014年10月、「すべての女性が輝く政策パッケージ」を決定し、女性の活躍を支援する姿勢を明確に打ち出しました。さらに2015年8月、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」を成立させ、2016年5月には「女性活躍加速のための重点方針2016」を策定するなど、「女性力」を活用する強い意欲に揺るぎはありません。
しかし、ビジネスの世界はいまだ「男社会」から脱却できていないのが現実です。それを打破し、企業経営を変える新たな力になるかどうか――。「女性力」の活用について考える連載です。まず、第1回として今、なぜ「女性力」が必要なのかを解説しましょう。
ビジネス界において、「人材育成論」は永遠のテーマです。しかしいつの時代でも、その論の根底にいるのは常に「男性社員」であり、「女性社員」に重きを置いた理論はそれほど多くはありませんでした。
「女性力の活用」や「女性の社会進出」の重要性を知りつつも、しかし現代のビジネスシーンが男性中心であることを考えると、「女性社員」を人材育成の軸とすることは非常に勇気がいることであり、必要性の観点から見ても難しかったのでしょう。
特に日本は、市場が開放されグローバルビジネスが浸透してきた現代にあってさえ、「女子どもは口を出すな」という言葉に代表されるように、いまだに「男尊女卑」「男性主権」という旧時代的な考えから脱却できていないというのが実情です。そうした社会的背景を考えると、人材育成論が男性社員中心に傾いてきたのは仕方のないことだといえます。
一方で近年、「男はこうだ」「女はこうあるべきだ」という言葉は、その内容の良い・悪いにかかわらず、触れることそのものがタブー視され、「性別や性差を口にしてはいけない」という暗黙の了解が社会全体を覆っています。
そんな中、一部のエクセレント・カンパニーは、「女性力」をメーンビジネスにダイレクトに結び付け、大きな成果を上げています。それらの企業が大きな成功例を見せるに従い、徐々に「女性社員」が脚光を浴び、多くの経営者が「女性力活用」の重要性に目を向けるようになってきたことは、うれしい変化だといえるでしょう。
以前からあったような「中堅世代の男性社員」中心の人材育成論は語り尽くされ、ある種の飽和状態に陥っている感は否めません。現代日本の経済をつくり、支えた団塊の世代が定年を迎え、入れ替わりに「理解に苦しむ非常識な若者」が入ってくる現状を鑑みれば、日本企業の多くは今、人材面で大きな岐路に立たされていると言ってもいいでしょう。
「女性力の活用」は、そういう意味で「超・新人類への対応」と切っても切り離せない関係にあります。会社の存続に関わるかもしれないと言っても過言ではないほど、重要な論点になりつつあるのです。
「女性」というテーマはこれまでさまざまな企業・業界・媒体が取り組んできました。特に「男女雇用機会均等法の改正および施行」「団塊世代の大量退職および労働人口の確保問題」「リーマンショック」といった問題が続いた2007年前後を皮切りに、本格的に「女性力」に着目する動きが内外問わず活発になり、その流れは現在も続いています。
つまり「女性力の活用」というテーマは、「企業の将来の生き残り策」を模索する上では特に目新しさのない、ありふれた命題であるといえます。ではなぜ今、改めて取り上げる必要があるのか。
その答えは2つあります。1つ目は「多くの企業で女性力の活用ができていないから」、もしくは「多くの男性社員や男性経営者が女性社員の実態や本音を理解(しようとすら)していないから」、さらに言えば「女性の権利や扱い方について、法整備や社会的な認知度がこれほど浸透している現在にあってさえ、これまでと同じかそれ以下の扱いしかしていない企業や個人が多いから」です。
男女雇用機会均等法は改正され、女性の社会進出や企業内の扱い方については改善されました。「ワーク・ライフ・バランス」という考え方が出現し、旧態依然とした日本企業の男尊女卑的慣習に一石を投じました。「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」の定義がより柔軟かつ広義になり、裁判による罰則や事例が世に広まったことでセクハラの認知度が高まりました。
それで事態は改善されたのでしょうか?答えは残念ながら「NO」と言わざるを得ません。旧態依然とした考え方、すなわち「男尊女卑」というあしき意識をいまだに持ち続けている男性は少なくありません。
女性社員の業務上の成功も失敗も、すべて「女はいいよな」「女のくせに」「女はこれだから」といった「性差」にのみ求め、それ以外の個人的な努力や能力、注意不足や(肉体的・精神的な)過剰労働といった部分に目を向けない…。
ましてや女性社員が発する労働環境に関する悲痛な叫びや(まっとうな)改善要求を受けても、それらから意識的に目を背ける、あるいは逆に「女であることを都合よく利用するな」などと女性社員に文句をぶつける経営者や男性社員が少なからずいるという事実に絶句します。
「女性社員」活用の問題は、「ゆとり教育」世代への対応と似た面があります。「ゆとり教育」世代が成長しない、あるいは潰れていく原因の1つは、ことあるごとに「これだから今の若い者は…」とあきれる上司の存在にほかなりません。
「これだから今の若い者は…」「これだから女は…」という言葉にすべてを背負わせ、自分の義務や責任を放棄したい上司の気持ちは分からないではありませんが、自分の都合によって、いいように「ゆとり教育」世代や女性社員の存在を利用するような上司がいる会社は、それだけで連鎖的に衰退していきます。
誤解を恐れずに言えば、「ゆとり教育」世代や女性社員を教育する前に、そのような上司や男性社員に相応の対応や処分をすることが企業活性化の1番の早道でしょう。女性力の活用法は、第1に「女性の肉体的・精神的・社会的な実態や立場を正しく理解する」、第2に「教育係が、女性に対する先入観や偏見、差別意識や(性差による)優劣意識などをなくし、一個人として接する」です。
マタハラは法律違反。絶対引き起こさない
また、「女性力」活用を取り上げるもう一つの理由、それは「マタハラ(マタニティ・ハラスメント)」という新しい、そして女性にとって深刻なハラスメントが企業内で急増していることです。
マタハラについては後々詳しく説明しますが、簡単に言えば「職場における妊婦、あるいは妊娠に関するハラスメント」です。言葉的には比較的新しく、その認知度はそれほど高くありませんが、少子化が叫ばれ、人口の減少が日本全体の大問題になっている中にあってさえ、「妊娠して会社を早退できるんだから女は得だよなあ」などとイヤミを言う男性社員は存在します。
そもそもそういった発言をするのは、男女雇用機会均等法や労働基準法、育児介護休業法などを知らない無知な男性社員、とりわけ日本のビジネス・パーソンに多いと言われています。グローバル企業や外国人ビジネス・パーソンが日本企業のマタハラの実態を見聞きしたら、そのほとんどが顔をしかめるか、絶句することでしょう。こういったところでも、日本のあしき男性主権・男尊女卑意識が垣間見えるのは恥ずべきことだといえます。
またマタハラは社会的・精神的な問題だけにとどまらず、女性の肉体に対して直接被害を与えているケースも多く見られます。妊娠・出産で休業していた女性社員の職場復帰を阻害する上司や職場が多いことから、女性社員が妊娠しているにもかかわらず無理して就業を続けたことで、妊娠異常や母子への健康被害、さらには流産・死産といった最悪の事態を引き起こすことも少なくありません。
結論から言うと、そういったケースは違法行為であることが多く、マタハラ等々を言う前に、法律違反で罰せられる場合がほとんどです。そのような職場しか用意できない企業は遅かれ早かれ、時代に置いていかれて衰退していくことでしょう。マタハラのみならず、性差を理由とする違法行為に苦しめられる女性社員が近年急増しています。この現状を世間に知らしめ、無知からくる無意識的なマタハラ問題を引き起こさないためにも、今「女性力」を見つめ直してほしいものです。