ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2024.01.23
「企業は人なり」。人で成り立っている企業にとって、人材の採用は企業の命運を左右しかねない重要なものです。多くの家臣を従えていた戦国武将にとっても、これは同じ。どのような家臣を抱えるかで、家の命運が大きく変わってきます。名将と呼ばれる武将は、自身も何らかの面で優れた資質を持っていましたが、その下には必ずと言っていいほど優れた家臣がそろっていました。
家臣の採用で、面白いエピソードのある武将がいます。加藤清正です。清正は幼い頃から豊臣秀吉に仕え、数々の戦に加わりました。秀吉が天下人への緒を切った賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは、先頭を切って敵陣を突破して戦功を挙げ、「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられています。
清正はその他にも有名な虎退治の話などで勇猛な武将として知られていますが、家臣が客人の前で粗相をしても弁明して恥をかかせないようにするなど、家臣思いの武将でもありました。そのような清正の下には、召し抱えられようと、次々に浪人や武士が訪れます。
ある日、士官を求めて老人、中年、青年の3人の武人が城にやって来ました。老人は、面接を担当した清正の家老に対して次のように言いました。「私はこれまでいろんな主君の下でさまざまな戦いに加わり、疲れてしまいました。特に望みもございません。少々の扶持(ふち)をいただき、茶飲み話の相手にでもしていただければと思います」。
次に口を開いたのは、中年の武士です。「私も、いくつもの合戦で戦功をあげました。しかし、手柄についてきちんと認められることはありませんでした。清正様なら、武功を正しく評価されることでしょう。そのような清正様の下で活躍したく思います」。
そして、最後に青年が訴えました。「調べたところ、加藤家にはいくつか問題があるように見受けられます。私を召し抱えていただけるなら、その問題の解決に取り組みます」と言って、具体的な解決策を挙げました。
この3人のうち、清正は2人を家臣として招き、1人は採用しませんでした。採用しなかったのは、いったい誰だったのでしょうか。
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戦国武将に学ぶ経営のヒント