戦国武将に学ぶ経営のヒント(第101回)世に優れたる利発人・蒲生氏郷が目指した「偏らない組織」

歴史・名言

公開日:2025.02.05

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 「企業は人なり」は、経営の神様と呼ばれる松下幸之助の言葉です。人で成り立っている企業にとって人材教育は大切ですが、「どのような人に入ってもらうか」を決める採用も非常に重要です。

 これは、戦国時代の武将にとっても同じです。どのような人物を家臣とするかによって、家の命運が大きく変わります。家臣の召し抱えについていくつものエピソードを遺(のこ)している武将が、蒲生氏郷(がもううじさと)です。

 蒲生氏郷は、1556年、近江国(現・滋賀県)中野城の城主・蒲生賢秀(がもうかたひで)の嫡男(三男との説もある)として生まれました。幼い頃から織田信長に仕え、信長の下で姉川の戦い、長篠の戦いなど数々の戦に参加し、戦功を挙げました。信長の信頼は厚く、自らの娘の冬姫(ふゆひめ)を氏郷に嫁がせています。

 信長の死後、氏郷は秀吉の下に付き、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い、小牧・長久手の戦いなど重要な戦に加わっています。

 氏郷は頭脳明晰(めいせき)で戦にも強かったことから「世に優れたる利発人」と評され、家臣団の統率にも才を発揮しました。

 ただ、最初から家臣の扱いがうまくいっていたわけではありません。同じく信長に仕えていた大和国(現・奈良県)出身の武将、筒井順慶(つついじゅんけい)の下にいた家来が氏郷を訪ねてきました。その家来は大変な臆病者で、知将である氏郷の下なら自分でも活躍できるのではと考えたのです。

 氏郷が見たところ、その家来には見どころがあります。そこで戦に出したところ、やはり目をみはる働きだったため、報酬を与えて物頭(足軽などを束ねる中級家臣)に任じました。

 その後の戦にもその家来は参戦し、大きな活躍を見せました。ところが自分の力を過信したのか戦に深入りし、討ち死にしてしまいます。氏郷は「力のある者だったので取り立てたが、早く出世させすぎた。もう少し出世を伸ばしていれば、あのように討ち死にせずに済んだものを」と非常に悔やんだそうです。

「臆病者」や「卑怯者」も迎え入れた知将の狙いとは?…

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