新助は1885年、滋賀県栗太郡草津町(現・草津市)で生まれました。時は、日本の鉄道黎明(れいめい)期。1872年に日本で初めての鉄道が新橋〜横浜間で開業し、1889年には東海道線が開通します。
新助と同名の父・南新助は、東海道線敷設の際、路線と草津駅建設の用地を無償提供するなど尽力した人物。その関係で東海道線の開通とともに草津駅構内で唯一、立ち売りの営業権を与えられ、南洋軒を創業しました。立ち売りの営業というのは、ホームでの駅弁売りです。また、その2年後には草津駅の構内と駅前に飲食店を開業しています。
父の事業の影響で鉄道を身近に感じて育った新助。汽車を使って何か新しいことができないかと考えるようになります。そんなときに知ったのが、汽車券の団体割引の制度でした。「この制度を使って団体旅行を計画すれば、安く旅行に行けるようになって喜ばれるのではないか」。これが新助の事業の原点になりました。
江戸時代、富士講や伊勢参りが参詣にかこつけた格好の旅行の機会になったように、当時の旅行では著名な神社仏閣への参詣が大きな割合を占めていました。
しかし、遠方の神社仏閣に行くにはいろいろ手間がかかります。今のように情報が簡単に手に入らない時代ですので、泊まる旅館を選ぶのも難しいですし、旅館に払う宿賃や茶代祝儀などの煩わしさもあります。その他、全体でどのくらいの経費がかかるか分からないという不安もあり、旅行は手軽に行けるものではありませんでした。
そこで新助は、団体割引で汽車賃を安く抑えるだけでなく、交通手段の確保、宿の選定・予約など旅に必要な手続きを一手に引き受けることにします。今でいうところのパック旅行の先駆けです。
1905年、日本旅行会(現・日本旅行)を創業した新助は、高野山参拝と伊勢神宮参拝の団体旅行を企画。それまでも伊勢神宮の神官がお参りに来る庶民の案内をして宿や食事の手配までしたといった記録が残っていますが、この新助が企画した団体旅行が日本の旅行あっせん業、近代旅行業の発祥といわれています。
手間要らずで、気軽に参拝に行けると日本旅行会の旅行は評判を呼び、高野山、伊勢神宮いずれも100人前後が参加。日本初のパックの団体旅行は成功を収めます。
そして高野山、伊勢神宮参拝旅行の成功を受け、1908年には東京、江の島、日光、善光寺を7日間で回る団体旅行を計画します。利用する列車は、この旅行専用の臨時列車。日本初の国鉄の貸し切り臨時列車でした。
この旅行も話題になり、予定人員の倍に当たる900人と申し込みが殺到。結局、7月と8月の2回に分けて実施することになりました。臨時列車による団体旅行は斬新な企画で、「沿線のどこに行っても、えらい珍しいものだと大騒ぎになりました」と新助は後に述懐しています。
その後、1921年には比叡山延暦寺開祖傅教大師1100年大遠忌法要団参において、5万人規模の参拝を実施。超大型の全国規模団体旅行を成功させます。1926年には鉄道省の後援を受け、神戸発の貸し切り臨時列車で13日間の北海道視察団を催行。1928年には16日間の旅程で台湾視察を行い、約100人が参加するなど、新助の企画は日本の旅行に新たな局面を切り開きます。
新助の日本旅行会は1941年、戦争の深刻化に伴って事業を停止しますが、戦後の1949年に再発足。1968年、日本旅行に社名変更し、1969年にはヨーロッパチャーター機を2カ月間で10機飛ばすなど海外企画旅行にも積極的に進出します。
1972年に新助は没しますが、国内旅行企画の「赤い風船」、海外旅行企画の「マッハ」などで日本旅行は旅行業界のリーダーカンパニーの1社として現在に至るまで活動を続けています。
顧客満足度を高める工夫も盛り込む
新助が日本の近代旅行業の礎をつくることに成功した理由の1つは、新しい時代のサービスと旧来のニーズをうまく融合させたことにあると思います。
新助が事業を始めた20世紀初頭、鉄道は新しい時代の乗り物でした。この新しい輸送サービスと以前からある寺社仏閣への参拝というニーズを組み合わせた結果、新たな利便性が生まれ、旅行業が大きく発展する契機になりました。
新助はアイデアマンであるだけでなく、徹底した顧客第一主義でお客さまに楽しんでもらうことを優先して考えた事業家でした。新助が事業を始めた頃は、旅行ガイドなどがほとんどない時代。そこでこれから訪ねる地方の情報をガリ版で刷って列車に持ち込み、車内でお客さまに読んでもらえるようにしました。暑いときにはスイカやかち割りを出し、寒いときはかす汁を提供するなど、旅の道中も楽しめるように工夫しています。
また、当時は今と違い、いくら旅行を楽しめるお金を持っているツアー利用者も、食生活は決して豊かではありません。5 、6品もの料理が膳に並んだ宿の朝食を見て「まるで婚礼のお膳のようだ」と驚いたというエピソードもあります。
交通手段と宿泊をパックにした団体旅行というのは当時としては斬新なサービスで、日本の旅行の歴史において画期的なものでした。しかし、新助が成功した要因はアイデアの新しさだけにあるのではありません。アイデアをニーズにしっかり結びつけ、さらに顧客第一主義でお客さまに喜んでもらえるように配慮した。アイデアとニーズと顧客第一主義という3つが有機的に機能したことが、新たなマーケットの開拓に成功した理由だと思われるのです。
外国人観光客のニーズが何にあるのかを見つけ、地元ならではのアイデアを考え、おもてなし精神で顧客満足度を高める。インバウンド需要開拓にもこうしたポイントを外すことはできないでしょう。