ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2021.05.19
2000年9月24日に開催されたシドニーオリンピックの女子マラソンのレース後半は、高橋尚子選手とリディア・シモン選手(ルーマニア)の息詰まる一騎打ちとなった。
スタートから30キロを過ぎた地点では完全に後続を離し、二人旅という様相だった。高橋さんの走りからは好調さが感じられたが、相手のシモン選手も勝負強いランナーである。先に仕掛けるのはどっちだ?日本では早朝の放送になったにもかかわらず、最高視聴率59.5%を記録するなど注目されたレース。2人のランナーが並走する場面をドキドキしながらご覧になっていた方も多いだろう。
当の高橋尚子さんは、その時の気持ちを自著で次のように紹介している。
「できることなら、このまま走りつづけたい。二十キロでも三十キロでも、ずっとこのまま行きたい。風になっていたい」
(夢はかなう 高橋尚子著)
その楽しい時間が永遠に続いてほしいと願いながら走っていたというのである。
レース後のエピソードにも驚かされる。
レース当日の夜はメディアの取材に追われ、ようやくベッドに入ったのは翌朝の午前4時だったという。ところが目が覚めたのはいつもと同じ午前6時。それから彼女は、昨日、走ったばかりのマラソンコースへと駆け出すのである。
金メダリストとなり、いろいろな人たちからお祝いや称賛の言葉をかけられ、自分はすごいことをしたのかな、という気持ちが芽生え始めていた。今、走れば昨日とは違う風景が見えるのだろうか。それを確かめるために走ってみたという。
ところが、外に出てマラソンコースを走ってみたら、前日の朝の感じとまったく変わらなくて、風もそのままだし、風景もそのままだった。「ああ、私は別にオリンピックのために走ってたわけじゃなくて、この気持ちよさを求めて走ってたんだ」と、あらためて気づいたのだ。
(同著)
そうだった。彼女はレース直後に満面の笑みでこう言っていた。
「すごく楽しい42キロでした!」
高橋尚子さんは2時間23分14秒のオリンピック記録で優勝し、日本女子陸上界に初めての金メダルをもたらし、そしてレースを心から楽しんでいたのだ。
高橋尚子さんは、約1年後のベルリンマラソンでは女子選手として初めての2時間20分突破となる2時間19分46秒の世界最高記録(当時)で優勝した。こうしてアスリートとして頂点を極めながら、なおかつ競技を心から楽しめるアスリートがどれだけいることだろう。
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執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡