脱IT初心者「社長の疑問・用語解説」(第82回)
ブルーライト対策にはうな重?
公開日:2022.03.08
約130年の歴史があるオリンピック夏季大会に加え、1924年から開催されている冬季大会も約1世紀の歴史がある。こうした長い歴史の中で、両大会への出場を果たした選手はすでに100数十人を数えるという。さらに両大会共にメダルを獲得した選手となると、わずか6人に絞られる。
この6人のうち夏季・冬季両オリンピックの金メダリストとして歴史に名を刻んだのはアメリカ人のエディー・イーガン(1897年4月~1967年6月)ただ1人である。
エディー・イーガンが1つ目の金メダルを獲得したのは、1920年に開催されたアントワープオリンピック(ベルギー)だ。彼は、ボクシングの男子ライトヘビー級で出場し、見事金メダルを獲得した。続く1924年のパリオリンピックにもヘビー級で参戦したが、惜しくも予選で敗退している。
エディーのキャリアをたどって見れば、パリオリンピックの後、人生の軸足をスポーツから学問の分野に移したのだろうと想像できる。彼は、イェール大学、ハーバード大学、さらには英国に留学してオックスフォード大学で法律を学び、弁護士をめざすのである。
弁護士として活動するエディーの元に思いもかけない1本の電話がかかってくる。1932年1月、アメリカで開催されるレークプラシッドオリンピックの開催が3週間後に迫っていた時期だった。
電話の主は、旧友のジェイ・オブライエンという人物。彼はオリンピック・ボブスレー委員会に所属していた。ジェイは電話で、冬季オリンピックに出場するタフな選手が1人足りないと話し始めた。ジェイとの会話を終え、電話を切ったエディーは妻に次のように伝えた。
「どうやら、今日からアメリカ代表ボブスレー・チームの一員になったようだ」
(夏冬両オリンピックでメダル獲得。スーパーアスリートたちの偉業に迫る 北京2022年オリンピック 公式サイトより)
まるで映画のワンシーンに使われるセリフのようではないか。また往年のハリウッドが映画化しそうなエピソードでもある。主役は、ケビン・コスナーが黒髪になったようなハンサムガイのエディー本人でもいいだろう。そしてボブスレーのそりに乗った経験がないにもかかわらず、4人目のメンバーとしてチームに参加したエディーは、まさに映画のように、オリンピックの晴れ舞台で自身2つ目の金メダルを獲得してみせ、開催国の母国アメリカに献上するのである。
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執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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