前回からアプローチ6として、マルチタスク化について解説しています。マルチタスク化に取り組んだケースとして、前回、福井県あわら市にある温泉旅館のグランディア芳泉を取り上げました。このケースでは、マルチタスク化を実現するに当たって賃金制度にまで踏み込むなど、強力に推し進めました。
「空いた時間にお膳の準備などをするのはいいが、通常業務もある。その分の時間を捻出しないといけない」。半導体メーカーから転職してきたグランディア芳泉のスタッフはそう考え、前職で培ったノウハウを活用しました。三定、5Sを現場で進め、誰が来てもすぐに業務に着手できる職場環境にしていったのです。
それまでは、お膳の準備に必要な器や固形燃料がある場所はベテランの客室係しか知らず、しかも置き場所も収納ケースも担当によってバラバラでした。そこで、必要なものを一カ所に集め、何がどこにあるのかを一目で分かるようにしました。さらにお膳のどこに器を配置するのかを写真で示したマニュアルも作成し、経験のないパートでもすぐに着手できるように改善しました。
改革を進めるうちに従業員の意識も変わり、業務効率化のアイデアが次々と出るようになったそうです。例えば、現場のスタッフの発案で朝食バイキングのトレーを廃止し、料理を取る皿の種類も半分以下にしました。これにより、洗う皿の量も半分以下に削減できました。
グランディア芳泉の山口専務は、「無駄を排して接客時間を増やそう、収益性を上げようと考える組織になってきた」と語ります。マルチタスク化が機能すると、外部の目で業務を見直すことができるので、こうした効率化のアイデアも出やすくなるのです。
女将は当初、マルチタスク化に強い抵抗を感じていたといいます。「休みだけ増えて、給料はそのままなんて聞こえはいいけど、かえって仕事を増やして社員に負担をかけるのではないかと心配でした。マルチタスク化するよりも、人を増やしたほうが社員にとってもお客さまにとってもいいのではと反対しました」。当時の胸の内をそう明かします。しかし、慣れるにつれて次第に仕事をスムーズにこなし、積極的に提案までするようになった社員の姿を見て、考え方が変わっていきます。
「時代の流れについていかないと、むしろ社員を駄目にしてしまう。彼らの力を埋もれさせていたのは、私だったのかもしれないと思うようになりました」。こうして、グランディア芳泉は取り組みからわずか半年で顧客満足を落とさずに時短を進め、結果として給料は同じで休みだけを増やすことに成功したのです。
震災のピンチをマルチタスク化で乗り切る…
栃木県鹿沼市にある「鹿沼カントリー倶楽部」など、三つのゴルフコースを経営する鹿沼グループがマルチタスク化を始めたのは2011年。東日本大震災がきっかけでした。
震災によって客足が遠のきましたが、福島範治社長は「お客さまが1人でも来てくださる限りは営業を続ける」と決め、震災の翌日も営業しました。しかしお客さまが減っていく中で、今まで通りのシフトでは人件費の負担が重過ぎました。フロントやレストランなど各持ち場に専任の従業員を配置していたからです。そこで福島社長は1人に複数の仕事をしてもらおうと、マルチタスク化に着手します。マルチタスクは閑散時にこそ威力を発揮するので、福島社長の判断は的確でした。
ゴルフ場でフロントが混雑するのはお客さまが来る朝と、プレーを終えて帰る午後です。そこでフロント係は、昼時にはレストランで配膳や食器洗いをサポートするようにしました。また、フロント近くの売店にお客さまが来れば、フロントからさっと移動して接客するようにしました。
お客さまと接する機会がなかった事務担当の従業員も、朝は駐車場でお客さまの車を誘導し、昼はレストランで働くなどして各部署の出勤者数を最小限に抑えました。誰がいつ、どんな仕事をするのかは各日の予約状況によって柔軟にシフトを組み替えます。
震災前の鹿沼グループでは、客数の少ない日と多い日の差は10倍以上の開きがありましたが、投入していた各日の総労働時間の幅は2倍程度でした。しかし、マルチタスク化により労働量の変動幅が4倍に拡大し、より客数に合ったシフトが組めるようになったのです。
実は福島社長は以前から、従業員に「他の仕事もやってくれ」と指示していたのですが、現場はなかなか変わりませんでした。しかし、震災によって会社倒産の危機に直面し、従業員が自らマルチタスク化に動いたのです。危機こそチャンスだったのです。
仕事の幅を広げたことで、鹿沼グループの従業員は顧客接点が格段に増えました。親しくなるお客さまの数が増えるとともに一人ひとりの要望を理解するようになり、サービスを的確に提供して顧客満足度を上げていきました。
以前は自分の業務に専念していた営業マネジャーも、今ではお客さまがクラブハウスに到着したら玄関で丁寧に出迎え、フロントに誘導しています。マルチタスク化で接客時間が増えるとお客さまから褒められることも増え、従業員満足度が上がって離職率が半減するという思わぬ効果もありました。
石川県和倉温泉の高級旅館加賀屋では、このような生産性の議論が始まるずっと前から、マルチタスク化に積極的に取り組んできました。夕食時間にはフロント担当が料理を準備し、売店が忙しくなる朝のチェックアウト時は事務スタッフが手伝うことを昔から続けています。加賀屋では現場で実践しているだけでなく、マルチタスク化を計画的かつ効果的に行えるように、シフト管理上の仕組みまで確立しています。
千葉県南房総市にある温泉旅館「網元の宿ろくや」では、もう少し気軽なマルチタスク化に取り組んでいます。勤務時間のちょっとした手待ち時間に、エアコンのフィルター掃除など5~10分でできる仕事をリストアップし、取り組めるようにしているのです。誰が何をしたかも記録し、それを人事評価に反映できる仕組みも用意しています。部署を横断するマルチタスク化の前に、こうした小さな仕事から始めるのもいいでしょう。