ペルソナは時代遅れなのか?
自社にとって最も重要な架空の顧客像を人格化した「ペルソナ」の活用は、今やデザインに限らず製品開発やマーケティングの領域では一般的になりました(ペルソナの詳しい定義やつくり方については、拙著『サービスデザイン思考』第5章をご参照ください)。
私は、日本でペルソナを活用したユーザー中心のデザインが行われ始めたころからペルソナ開発に携わってきましたので、ペルソナの重要性や価値について強く実感しています。ところが、あるときデザインを学ぶ大学生からこんな質問を受けました。
「ペルソナって、古くないですか?」
わざわざペルソナを作成したとしてもユーザーや環境は常に変化するし、そのような変化に応じて臨機応変に製品・サービスを改良していく必要があるとしたら、手間をかけてペルソナをつくる必要性は薄いのではないか――その質問にはこういう意図があったのですが、私はふと考え込んでしまいました。
確かに、現在の製品開発はどんどんアジャイル的になっています。まずは製品やサービスをリリースしてみて、ABテスト(多変量検証)などで顧客の反応を見ながら、顧客と企業の双方にとって好ましい状態に改良を重ねていきます。これは、スマホアプリやオンラインサービスなど、デジタルなプロダクトやサービスの領域では、もはや当たり前になっている手法でしょう。
そのような製品開発が主流になると、丁寧にリサーチして集めたデータを一生懸命解釈しながら顧客にとって重要な価値やゴールを見いだし、時間をかけてペルソナにまとめ上げる作業は時代遅れに感じられるかもしれません。仮説を基にしてでもいいので素早く製品やサービスをつくり、実際にリリースしてから顧客の反応に合わせて改良していくほうが効率的だからです。
確かに、そのようにして製品改良を重ねていけば、ユーザー満足度の高い製品・サービスになるでしょう。しかし、すべての企業が同じ方法をとったとしたら、世の中には同じような製品やサービスがあふれてしまうのではないでしょうか。そうなるとユーザーはわざわざ特定の企業やブランドを選ぶ必要はなくなってしまいます。企業はそんな状態を決して望んではいないでしょう。
「まだユーザーが存在していないもの」をどう考えるか
別の角度から見ると、アジャイルな製品開発スタイルは「ユーザー中心」の製品開発には向いているかもしれません。しかし、既存製品の改良ではなく革新性の高い新規の製品やサービスを考えるにはどうすればよいのでしょうか。
そもそもユーザーが存在しない製品やサービスは、誰を自社にとって重要なユーザーだと考えて製品・サービスのコンセプトを設定するかが定まりません。だからといって、「どうせ後でABテストをやって改良するんだからいいだろう」と、何のよりどころもなく適当につくった仮説に基づき製品やサービスをつくるのは許されません。
このことから、先ほど採り上げたアジャイルな方法が有用なのは、ユーザーや市場のニーズに応答して改良の緒を見つける、漸進的な製品イノベーションの領域だといえるでしょう。しかし、まだユーザーがはっきりと存在していない製品やサービスを考えたり、今ある製品やサービスの意味を問い直すことで顧客にとっての価値を刷新したりするときには、やはりペルソナが役に立つのです。
ペルソナは「何を/どのように」ではなく、「なぜ」を描き出す
ペルソナなんて役に立つの?という疑問を持たれる原因のひとつには、いくつかの誤解があります。
往々にしてペルソナは、リサーチから得られたユーザーニーズや現状の問題についての要点をまとめたもので、ユーザーがある製品やサービスについて「何を」「どのように」使用・体験したいかをまとめたもの、と捉えられがちです。もちろんその理解は間違ってはいないのですが、それだけではペルソナとして不十分なのです。
ペルソナ(デザインペルソナ)の概念を体系化したアラン・クーパーは、「ペルソナは、文脈依存的(context-specific)なものであるべきだ」と言っています。文脈依存的というのは、その人の好き嫌いや、期待すること、ゴールだと考えることの背後にある理由などが絡み合って「そうでなくてはならない」状態が出来上がっているのかが描きだされている必要があるということです。つまり、ペルソナは「何を/どのように(What/How)」するかではなく、「なぜ(Why)」そうするのか、そう考えるのか、をわたしたちに語りかけるものでなければならないのです。
それによって、わたしたちはペルソナに対して理解や共感を超えた、深い「感情移入」をすることができます。この深い感情移入は、ペルソナについてまとめられたシートには書かれていないことも含め、何をしてあげることがそのペルソナにとっての真の幸せや喜びにつながるのか、アイデアを生み出すための源泉となってくれます。
では、なぜコンテクスト(文脈)が重要なのかについて考えてみましょう。
ペルソナは流用できるか?…
以前、あるクライアント(A社)からこんなことを言われました。
「以前B社向けにペルソナを開発したことがありますよね? 今回当社がターゲットとしたい顧客層もそのB社さんと近いので、以前作成されたペルソナを流用して製品コンセプトのデザインを進めてもらえませんか?」
製品開発に関わる秘匿情報の守秘義務順守といった法的に当たり前のことはさておき、ある企業にとってのペルソナを、他社が流用することは可能なのでしょうか。
もし流用できるのだとしたら、同じペルソナを重要な顧客と捉えるA社とB社が開発する製品は似通ったものになってしまうでしょう。なぜなら、「ゴール」が同じになってしまうからです。確かにすでにあるペルソナを流用(拝借)すると効率はいいかもしれません。ところがその結果、他社や既存製品となんら代わり映えしない製品が生み出されるとしたら、いくら効率よく手間がかからないとしても意味がないですよね。
しかし、偶然異なる企業間でペルソナが似通ってしまうことはあるでしょう。ここでは、次のようなペルソナを対象にする場合を例に説明します。
・35歳
・女性
・3歳と5歳の2人の子どもがいる
・出産以前の職業はSE
・早期の復職を通じて社会との関わりを持ちたいと望んでいる
同じ業界の異なる企業(住宅メーカーや家電メーカーなど)が上記の属性をもつ人物をペルソナとして設定し、その人にとって価値ある製品を考えようとするような場合にこそ、ペルソナにはコンテクストが深く描き出される必要があるのです。人々が抱えるさまざまな「期待」や「葛藤」、もしくはやむにやまれぬ「事情」のようなものの中でどのようなコンテクストに深く注目し、その人を良い状態にしたいと強く願うか、そこに他社との違いが生まれるのです。
重要なのは、ペルソナに織り込まれているどの固有のコンテクストに注目するか、を明確な意思を持って決めることです。ペルソナの設定は、「この人を最優先で幸せにするんだ」という決意の表れとも言えます。だから、ある企業にとって重要な顧客像であると決意されたペルソナを他社が流用することなどできないのです。そうでないと、多くの企業がそれぞれの志をもって、個別にこの世の中に存在する理由がないですよね。
フィールドワークは「野良仕事」
このように、深いコンテクストを織り込んだペルソナをつくりあげることは、表面的な顧客理解では到底実現できません。
わたしは日頃、クライアント企業から依頼を受けてペルソナを開発することを仕事にしています。ですので、できれば知りたいことだけに絞ってなるべく少ない調査対象にリサーチを行い、製品開発やデザインの際に役立ちそうなニーズや問題を基に際立たせてペルソナをつくったほうが都合はいいわけです。
しかし、効率性や合理性を重視してまとめられたペルソナは、そこに書かれていないことにまで想像を広げられるような、深い感情移入をわたしたちに与えてくれるでしょうか。
フィールドワークの手法を用いた民族誌(エスノグラフィー)の大家である社会学者の佐藤郁哉先生は、『フィールドワーク―書を持って街へ出よう』(新曜社)の中でこんなことを言っています。
“フィールドワークというのは、とてつもなく非効率で無駄の多い仕事です。この点で、フィールドワークは野良仕事に似ています。”
フィールドワークは、ある特定地域の社会的・民俗的な文化を理解するために、調査者が現場(フィールド)に出向いて現地の人々と同じ環境で生活しながら進めます。滞在中は現場を観察したりその地域の書物をひもといたり、現地の人々と会話を重ねることでたくさんの情報を収集します。佐藤先生はそれを農業に例えて野良仕事と呼びます。
農業のやり方にも種類があります。一つは、耕運機などの近代的な機械で一気に土を耕し、化学肥料を使って短期間に効率よく作物を収穫する方法。もう一つは、すきやくわを使って丹念に畝(うね)を起こし、手で種をまいて雑草を間引き、気長に実りを待つような方法、すなわち野良仕事です。
前者のやり方は、効率よく短期で利益を得るという点では合理的な選択肢でしょう。しかし、人の力で強制的に栄養を注入された土地は、栽培と収穫を繰り返すうちに土地が持つ本来の力を失ってしまうかもしれません。
それに比べて後者のやり方は、ひどく非効率で不確実性も高いように見えます。手間はかかるし、得られる実りも近代的なやり方に比べると決して多いとは言えない。台風や豪雨など、人間がコントロールできない自然環境の変化によって苦労が水の泡になってしまうかもしれません。今風に言うなら、コスパもタイパも最悪なやり方といえるでしょう。
しかし、天塩にかけた作物が台風で吹き飛んでしまったとしても、長い時間をかけて土に染み込んだ栄養や、土地そのものが持つ自然な強さが失われることはありません。次の季節にまかれる新しい種に、その栄養は必ず引き継がれていくのです。
佐藤先生は、調査によって何を得ようとしているのかによってやり方を選ぶことの重要性を、そのような野良仕事に例えられたのだと思います。近代的な農業は、特定条件を設定して被験者を集め、企業が知りたいデータだけを数回のアンケートで収集するような方法に近いのかもしれません。そのようなやり方は効率がいいし、結果について合理的な説明もしやすいですが、新しい視点を得るには不向きです。他方、野良仕事は効率も悪いし、不確実な状況の中、手探りで作物を育てていかねばなりません。しかし、そんな苦労を乗り越えて実った作物は、リンゴであれ、大根であれ、効率よく大量につくられたものとは比べ物にならないくらいにギュッとうま味が詰まったものになるでしょう。
ペルソナの価値は「完成品」よりも「つくりあげる道のり」にある
ペルソナをつくる作業も、野良仕事と同じようなものです。例えば、キッチン製品の開発をしようとする場合、キッチンや調理行動についてのニーズに限定せず、生活全般についてのこだわりや、家族関係や人との関わり方にまで範囲を広げてリサーチすることは、一見無駄に思えるかもしれません。キッチンだけに絞って情報を集めれば確かに効率はいいですが、それでは「新しいものの見方」が目の前に現れることはありません。
キッチンを使う人間のほうに関心を移し、生活や人生の中で何を大切にしたいと考えているのか、どうありたいと願っているのかに視点を広げていくことで、たくさんの情報が得られます。それらの情報は、一見無駄なものであふれているように見えます。しかし、その「無駄の山」の中から磨けばキラリと光るお宝を見つけ出す営みこそが、ペルソナをつくりあげる一連のプロセスの中で最も重要なのです。この道のりを、自分ひとりだけでなく、仲間たちと一緒に進めていくことが、自分たちが向き合うべき顧客に対して、これ以上ない深い共通理解をつくっていく作業になるのではないでしょうか。
完成したペルソナというアウトプット以上に、無駄にまみれて苦労しながら自分たちが最も大切にしたいと思えるペルソナをつくっていく。まるで野良仕事のようなプロセスそのものに価値があるんだ、ということを分かっていただけたら、筆者としてこんなうれしいことはありません。
では、そのような深いペルソナをつくっていくための豊かなデータをどのように集めればいいのか。次回のコラムでは、リサーチに活用できる方法やテクニックを紹介したいと思います。