「撤退の決断」の第2回は、実際に撤退を決断した経営者の葛藤を紹介する。自らの夢を実現し海外展開に成功するも、その裏で肝心の国内事業に異変が――。そんな窮地に経営者はどう行動したのか、その決断の裏にはどんな考えがあったのか。
凪スピリッツの生田社長。ラーメンチェーンの一蘭(福岡市)勤務などを経て、2006年、東京・渋谷に「ラーメン凪」を開業し、会社を設立した(写真/的野弘路)
「もうかっていただけに、撤退を決断するまでには葛藤した」
こう打ち明けるのは、ラーメン店を展開する凪(なぎ)スピリッツ(東京・新宿)の生田智志社長だ。2006年に起業。その4年後、香港への出店を機に海外展開を始めた。現在、国内に8店、海外に14店を展開する。ただ、海外では過去に2回、大きな撤退と事業縮小を経験している。
香港でいきなり大ヒット
香港出店を決めたのは、2009年。当時都内で5店舖を展開し、ラーメン通の間では評価が高かった。それに目を付けた香港の個人投資家が、合弁での出店を持ちかけてきた。起業前から「いつかは海外で事業をしたい」と夢見ていた生田社長は、この話にすぐ乗った。
早速、社員1人を連れて香港に駐在。1年近くかけて準備した1号店は日本食ブームに乗って、すぐ大繁盛した。2012年には3店で約5億円を売り上げるまで成長した。
だが、その間に合弁相手への不信感が募っていった。待ち合わせに1時間遅れても平気な顔。そのうえ「利益率を上げるために、食材の質を落とせ」といった要求をしてきた。味にこだわる生田社長には到底、受け入れがたかった。とはいえ事業は好調。撤退する気にはなれなかった。
そんな生田社長を変えたのは、ある企業との出合いだった。台湾の中堅ファミリー企業が合弁事業を持ちかけてきた。台北での出店に向けて交渉を始めると、生田社長は香港の投資家との違いに驚いた。時間を守るのはもちろん、経営姿勢に感銘を受けた。例えば、食材の配送方法を考えるとき、最初にコストの話をしない。おいしさを保つには、どの方法がベストかを議論した後、コストを検討する。「経営者として学びたいところが多くある企業だった」。
海外の合弁相手はピンからキリまである。その事実を身をもって知り、覚悟が決まった。2013年、香港の現地法人の株をすべて合弁相手に売却。店舗運営からも手を引き、香港から完全に撤退した。
大成功の裏で荒廃が進む…
しかし、まだ課題が残っていた。香港からの撤退には、実はもう1つ、大きな理由があった。
海外展開で、生田社長が日本を不在がちにしていた間に、国内の売り上げが落ち始めていた。2011年3月の東日本大震災を機に、国内の現場をじっくり見て回り、生田社長はその惨状に驚いた。社員の寝坊で営業時間に店が開いていない。スタッフ同士の人間関係が悪化し、店内で殴り合いのけんかになることも。離職率は30%を超えていた。「自分が国内をしっかり見なければ、テコ入れは難しい」。
だが、香港からは撤退したものの、2012年には台湾での出店が始まった。店は大人気。資本力のある合弁相手は、出店を加速させた。そのため生田社長の海外出張に加え、現地に駐在させる社員も増えた。国内は手薄になる一方だった。
海外事業の夢が花開きつつあるのに、それが理由で国内事業の足元が崩れつつある――。悩んだ末、先輩のベテラン経営者に相談した。相手は、武蔵野(東京・小金井)の小山昇社長だ。
小山社長は、開口一番こう言った。「今すぐ、現地法人の持ち株を全部、合弁相手に言い値で売りなさい」。生田社長はびっくりした。台湾での事業は、すでに売上高7億円以上に育っていたからだ。
ベテランの知恵にうなる
すると、小山社長は、こう付け加えた。「海外の大きな会社との合弁は、あなたにはまだ分不相応。ただ完全に手を引く必要はない。食材供給を続ければ、手堅く稼げる」。
生田社長はハッとした。「そうか、その手があったか」。目からうろこが落ちる思いがした。助言を受けて、すぐに株を売却。「言い値でいい」と申し出ると、出資額を1000万円ほど上回る約4000万円で買い取ってくれた。
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海外展開を始めるとすぐ、行列ができる人気店が続出した。台湾のほか、フィリピンなどにライセンス契約で出店している[/caption]
同時に合弁相手と新たな契約を締結。食材供給や技術指導を行い、店名の使用を認める代わり、ライセンス料を受け取ることになった。合弁事業をライセンス契約に切り替えたことで、生田社長や社員が海外に出向く負担を大幅に減らせた。そこで社員教育を強化した。
月に約3回、定例の勉強会を開催。半年に一度は全店を半日休業し、アルバイトを含めた全スタッフが業務改善計画を作成し、懇親会を開くといった取り組みを始めた。こうした施策が奏功し、2015年6月期の売上高は約8億円で、前期比80%以上の増収。経常利益は約1000万円にとどまるが、研修費など人材への投資に約4000万円を使った影響が大きい。離職率は一時の30%超から、5~6%ほどに下がっている。
「今は組織力強化に全力投球するべき時期」と語る、生田社長。その表情に迷いはない。
日経トップリーダー
※掲載している情報は、記事執筆時点(2016年2月)のものです