仕事を楽しめば成果も上がる「フロー理論」と、会社を変えるために必要な「共同体感覚」。この両者が高次元で両立すれば、従業員が仕事を楽しめるうえ、会社の業績も上がり、より良い企業に変えることができる。
前回、「生物学から見る、個人と組織の欲求を両立する方法」では、人間もまた、他の社会性を持つ生物と同様に、無意識のレベルで他者の利益を優先させる「利他的」な社会活動を行なう生き物であることを確認した。
今回は、実際のビジネスにおいて利他的な活動が成立するのか、事例を踏まえて検証していく。
ビジネスは各企業による欲の追求
基本的にビジネスは、弱肉強食の生存競争だ。個々の企業は、売上を伸ばすため、利益を上げるために事業を行なっている。一見、そこには利他性の入り込む余地はなさそうだ。しかし、前回、人間は本能としての利己性と利他性をも持ち合わせていることを確認した。実際、松下幸之助や稲盛和夫をはじめとした偉大な経営者は、異口同音に「利他の心が大切である」と唱えている。そこで、企業やそのビジネスにおいて、個の欲求の実現と、全体のための共同体感覚は両立できるのか、できるのであれば、どのようにすれば成立するのか。
長く松下幸之助に師事した元松下電送(現パナソニック)社長、木野親之は、著書「松下幸之助 叱られ問答」で、個における欲求の充足と、全体のための共同体感覚の関係性が色濃く表出したエピソードを紹介している。その事例から解き明かしていきたい。
国際規格をつくるのはトップメーカーの責任だ!
昭和48年、電電公社(現NTT)の電話回線が一般に開放され、ファックス市場に10社を超える企業が参入した。しかし、メーカーごとに異なるスペック(仕様)で導入が進んだため、メーカーが違えば相互に通信はできなかった。
当時、松下電送は、独走に近い状態でファックスの販売を伸ばしていた。そんなある日、松下幸之助は木野を呼び出し、自社と他社の製品の間では通信ができないことに対して烈火のごとく叱った。
「世界各国で生産された製品同士、互いに通信できなければ、お客さまが困るではないか!」
対して木野は、「良い製品が売れて、そのメーカーの製品同士はつながるのですから、お客さまへ迷惑はかけていないと思います」と反論。総合的に考えて世界中のファックスをつなげるのは困難であり、本来、標準化は国の事業であることを伝えた。
すると、松下幸之助から、…
「君は、松下一社で世界を征服するのか。そんなことは絶対許されん!」「国際規格をつくるのはトップメーカーの責任だ。すぐやれ!」と返されてしまった。
国際規格の準備を進めるうちに、他社に出し抜かれる
松下幸之助の指示に従い、木野はファックスの国際規格化に取りかかる。3年の歳月を費やし、ようやく低速機(G1規格)、中速機(G2規格)が整備され、いよいよ高速機(G3規格)の成立に向けて調整協議が頻繁に行なわれていた最中、日本の某社が高速機の新製品を発表した。
一般ユーザが待ち望んでいた高速機であったため、某社の製品は飛ぶように売れた。その状況をみるや、芋づる式に各社が販売を始めてしまい、国際規格をつくるという日本の協調体制は崩れてしまった。
元々、松下電送は6年前に世界で初めて高速機の基本技術を開発していたので、やろうと思えば某社よりも早く高速機を発売することはできた。だが、松下幸之助の一言で方針を転換、他社に先を越され後塵を拝することになった。この状況に販売会社が黙っていなかった。
「他のメーカーはみんな発売しているのに、松下一社だけが、なぜ国際規格をつくるために犠牲にならないといけないのか?」
国際規格をまとめることも、販売会社を納得させることも、限界に達したと判断した木野は、自社製品を発売することを決め、了解を得るために松下幸之助の下へ向かった。
木野:「もう、これ以上全国の販売会社に迷惑はかけられません。来月から高速機『UF9600型』の販売に踏み切ります。やらせてください」
松下:「国際規格はどうするのか」
木野:「国際規格はあきらめません」
松下:「では、これから発売する機械と国際規格の関係はどうなるのか」
木野:「国際規格には数多くある技術のうち一つの方式が選ばれるのですが、わが社が開発した方式がたぶん選ばれると思いますので、問題ないと思います」
松下:「“たぶん”とはなんだ。そんないい加減なことで問題ないから心配するなと、どうしたら言えるのだ!」
実際、松下の方式が優れているとはいえ、それが国際規格に採用されるという保証はどこにもない。木野は「絶対つながるようにしますから、任せてください」と、お願いするより他になかったのである。
松下幸之助は、「わかった、君に任す、つながるようにしてくれるのだな?」「これは君と僕の約束だよ」と言葉を加えた。
追求すべきは個の利益か?全体の繁栄か?
しかし、現場は約束を実行できるような状態にはない。技術者に言わせれば考える余地もなく「そんなことを約束されても困ります。先のことはどうなるかわかりません」という状況である。
翌日、松下幸之助から木野へ連絡が入った。「約束は忘れてへんやろな?守ってや」「新聞発表のときには公約するんやで」と追い討ちをかけられてしまった。社内の意思統一もままならない上に新聞で公約しなければならなくなり、文字通り四面楚歌になった木野は「ここが経営者の決断のとき」と逆に腹を決める。
新製品の記者会見では「高速機の国際規格はまだ決定されていませんが、決定した高速機のG3規格がいかなる技術基準のものであっても、わが社が発売するUF9600の高速機は国際規格にインターフェースすることをお約束します」と宣言。このような約束をしたのは松下1社だけであった。
そして4年後の昭和54年、国際規格の決定が発表された。国際規格には松下の技術も採用されており、松下から既に販売されていたファックスは、改造らしい改造をすることなく、新規格に対応できた。松下は約束を履行することとなったのだ。
逆に、先陣を切って世界初の高速機を発売した某社製品は国際規格に対応できず、状況は最悪だった。また、他のメーカーも大幅な改造を強いられた。国際規格とつながらないためにユーザーへ混乱を招いてしまい、経済的な損失もさることながら、会社の信用を大きく傷つけてしまったのだ。
個の成長と全体の繁栄を両立させるのが経営の本質
木野はこの経験を振り返り、「経営の本質、王道の本質を身を持って体得させてもらうことができた」「何よりの至宝であり大事にしている」と述べている。
生存競争における利己性の追求だけを行なったメーカーは、結果として大きな代償を払った。それに対して松下は、利己の追求だけではなく、ビジネスはあくまでも全体としての繁栄のために行なうものであり、そして全体の繁栄はトップメーカーの責任であるとした。つまり、共同体感覚に従い利他を追求し続けた松下が、最終的に勝利を収め、更にその後も成長し続けた。
企業ごとに、それぞれ別々の利己の心がうごめくビジネス社会において、利己の心が衝突し合うだけでは社会全体の発展が停滞してしまう。しかし、社会は全体として繁栄し続けてきた。それは、誰かが利他の心を発揮し、共同体感覚による全体としての利益へと導いてきたからに他ならない。それが人間の本能であり、必然なのだ。
利己的になれば、他社に先駆け高速機を発売できたにもかかわらず、松下はあえて共同体感覚に従って国際規格をつくることに奔走した。そして国際規格に合わせることを約束することにより、全体として成長しようとする社会が、松下の導きに追従したのである。
経営とは、企業の成長と社会全体の繁栄を両立させるために行なう活動に他ならない。それが経営の本質なのである。社会に不利益を与えてまで利己を追求すればやがて限界が訪れる。
逆に、たとえそこに高い壁が立ちはだかっていようとも、社会のために利他を追求し続ければ、やがて社会はその企業やそのビジネスを支持し、社会にも企業にも恵みがもたらされるのである。