「王の言は糸の如し。その出づるや綸の如し。
王の言は綸の如し。その出づるや綍の如し」(『礼記』)
取引先からの無理な要求、お客様からの理不尽なクレーム、思うように働いてくれない部下……。ビジネスをしていればこんな苦労は日常茶飯事です。でも、感情に任せ、思わず怒りをぶちまけたり、いい加減な発言をしたりすると、取引先からの信用を失い、部下たちから信頼されなくなってしまいます。
何気なくトップが発した言葉が曲解されて伝わり、会社を窮地に追い込んでしまう危険性もあります。経営者やリーダーなど、人の上に立つ責任者は、言葉を慎重に選び、発言には十分気を付けなければなりません。
儒教の基本経典である「五経」の一つで日常生活全般の規範(礼)などを記述した『礼記』にそんな言葉の大切さを説いた名言があります。
「王の言は糸の如し。その出づるや綸の如し。
王の言は綸の如し。その出づるや綍の如し」(『礼記』)
(訳)王の発言は影響力が大きい。最初は生糸のように細くても、いったん口から出たら組みひものようになる。最初が組みひものようなものでも、いったん口から出たら太い綱のようになる。
糸は生糸のことで、綸は糸を寄り合わせた組みひも、さらに何本ものひもを寄り合わせてつくった太い綱が綍です。つまり、王が発した糸のような(ちょっとした)言葉も、いったん口から出たら組みひものようなしっかりしたものと受け取られてしまう。さらに、太い綱のように強固なものに周囲は感じてしまうということです。なんのことはない軽い言葉も、責任者の口から出れば、それは重いものになるという意味です。
何気ない一言が組織の命運を左右することも…
『礼記』では、この一節の後に「故に大人(たいじん)は遊言(ゆうげん)を唱えず」(地位の高い人はいい加減なことを言わないものだ)と続きます。人の上に立つ者は無責任なことを言ってはならないと戒めているのです。
また、この一節から、王の言葉を「綸言(りんげん)」というようになり、「綸言汗の如し」という有名な故事成語も生まれました。意味は、「王の言葉は、一度出た汗が体内に戻らないように、取り消すことはできない」ということです。
何気なくトップが発した言葉が曲解されて伝わり、会社を窮地に追い込んでしまう――。経営者やリーダーなど人の上に立つ責任者は、発言の重さを自覚し、言葉を慎重に選ぶ必要があります。
かつて大手乳業メーカーが不祥事を起こした際、記者会見後、社長が記者らの執拗(しつよう)な質問に対し「私は寝ていないんだ!」と発言したことがありました。その様子がテレビで放送され、世間のひんしゅくを買い、名門企業消滅の一因になりました。不眠不休の対応で心身ともに疲れていたのでしょうが、トップとしてすべき発言ではありませんでした。
この事例は極端かもしれませんが、インターネットが普及し、SNSの利用が当たり前になった今、ちょっとした発言がネットで広まり、炎上してしまう危険はより増しています。最近は、企業のトップがSNSを活用して自ら情報発信するケースもあります。自社のPRに加えて経営者の考えなど訴え、消費者と直接コミュニケーションできるメリットが大きいのは確かです。しかし、不用意な投稿が炎上を招いては逆効果です。
数年前、大手居酒屋チェーン、ワタミ創業者によるTwitterでの発言が炎上したことがありました。 当時、従業員の自殺をめぐってトラブルを抱えていましたが、それについて、労務管理ができていなかったとの認識はないという主旨の投稿をしたのです。自社の立場を説明したのかもしれませんが、自殺した社員が出ているという現実に対して、トップとしての配慮に欠けた発言としてネット上で受け止められました。結局、創業者は厳しい批判に対して前言を反省したお詫びの投稿をしました。
SNSなどではフレーズだけが一人歩きし、それが大勢の人に拡散する危険性がつきまといます。一方、トラブルが起こった際には説明責任を果たす必要もあります。ここでは細かい注意点には言及しませんが、起こした問題に真摯に向き合う姿勢を示すことが大事です。
責任者の言葉は、このように外部に対してインパクトを与えるだけではありません。内部により多大な影響を及ぼすのは当然です。会議でのボソっともらした感想が、まるで決定事項かのように、その後の流れを決めてしまう。何気ない一言が拡大解釈されて、思ってもいない方向にプロジェクトが進んでしまう。こういったことにならないように、発言にはくれぐれも注意しましょう。