舛添要一東京都知事が政治資金問題で窮地に陥っています。舛添さんは国際政治学者としてテレビで人気を博し、参議院議員に当選。参議院自由民主党政策審議会長、厚生労働大臣、新党改革代表などを歴任し、東京都知事に就任するなど政治家としてキャリアを積み重ねてきました。
しかし、2016年4月末の週刊誌記事を皮切りに政治資金の私的流用疑惑が次々と明らかに。それに対して、舛添さんは記者会見を開いたものの、「第三者の厳しい公正な目に任せたい」などといった発言に終始し、具体的な説明をほとんどしませんでした。
政治家や経営者といったリーダーも不祥事やスキャンダルを起こしたり、そうした疑惑を受けたりすることがあります。その際に、真実を明らかにせず自己の保身を図るケースは珍しくありません。ただ、どんな手練手管で世間を欺こうとしても、結局のところ、そうした言動がかえって“傷”を大きくしたり、大切な信用を失ったりする結果を招いてしまいます。
古代中国の「法家」の理論を集大成した『韓非子』にそんな行動を戒める名言があります。
巧詐は拙誠に如かず(『韓非子』)
(訳)巧みに人を欺こうとするよりは、たとえつたなくても誠実であるほうが勝っている。
うまくごまかすことに意味はない…
「巧詐」とは、簡単にいうと、相手をうまくごまかすことです。「拙誠」とは、誠実(真面目)で不器用なことという意味になります。つまり「うまくごまかすことは、不器用でも誠実なことにかなわない」というわけです。どんなに詭弁(きべん)をろうしても、偽りは結局ばれてしまいます。また、詭弁(きべん)で乗り切れたとして、かえって周りの反発を買ってしまうことになります。
とはいっても、地位のある人間は間違いを素直に認め、誠実な対応を取ることがなかなかできません。過ちを認めることで、せっかく築いた地位や名声、財産などを失うのではと考えるからです。
ただ、これまで数多くの地位ある人々が、間違いを犯し、世間から糾弾を受けたケースを見ると、早い時点で誤りを認め、誠実に説明し対処していれば、ここまで無残な結末には至らなかったのではと思えることもあります。間違いを犯しても、誠実に対応すれば、いつかは信頼を取り戻すことも可能なのです。
中国古典の名著中の名著である『論語』では、次のように教えています。
君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆これを見る、更むるや人皆これを仰ぐ(『論語』)
(訳)君子が過ちを犯したときの態度は日食や月食のようなものだ。過ちを犯せば珍しいので人々は注目し、過ちを正せば人々は仰ぎ見上げる。
人々の手本となるべき、徳の高い君子が過ちを犯したとき、その態度は日食や月食のようなもので、珍しいから人々は注目するし、君子がその過ちを素直に認め改めると、人々はその素晴らしい行いをたたえる。
この名言のポイントは「更むるや人皆これを仰ぐ」という部分です。人々から注目される人物(君子)が、犯した過ちを改めれば、仰ぎ見られるようなるといっているのです。都知事という責任ある立場にある舛添さんも、たとえ格好が悪くても、説明責任を果たし、もし過ちがあればそれを改める誠実な態度が、今後の評価を左右するのではないでしょうか。