前回はNHK大河ドラマ『真田丸』で山本耕史さん演じる石田三成を取り上げました。今回は、その親友、片岡愛之助さん演じる大谷吉継(1565~1600)を紹介します。
三成との友情を守り、家康打倒のために出陣したのが大谷吉継です。冷静な頭脳と厚い情を併せ持つ高潔の士というイメージが強い吉継は、病のため頭巾で顔を隠し、輿に乗って指揮する姿が描かれることが多い武将です。
三成との絡みが印象に残る吉継ですが、実は真田信繁(幸村)との関係も非常に強い武将です。信繁の正室は吉継の娘、竹林院です。そして竹林院は嫡男、真田幸昌(大助)を生んでいます。つまり吉継は、信繁の義理の父親、幸昌の祖父ということになります。
秀吉の懐刀として厚い信頼を得ていた吉継
諸説ありますが、吉継は1565年、近江(現在の滋賀県)で生まれました。豊臣秀吉の小姓として採用されたのを皮切りに、順調に出世の階段を登っていきます。1577年、福島正則や加藤清正らとともに秀吉の馬廻り衆に抜擢されると、多くの戦で活躍。特に、1583年に秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ谷の戦いでは、福島正則、加藤清正らの「七本槍」と並ぶ「三振の太刀」と賞賛されるほどの手柄を立てました。
そうした武勲の一方、秀吉の九州征伐や朝鮮出兵に当たっては、三成とともに物資の調達や交渉事に手腕を発揮しています。ビジネスでいえば、営業や生産といった現場の第一線で活躍を見せ、事務的な作業をさせても一級の腕を持つといったところでしょうか。吉継はこうした多くの実績を上げて、主君・秀吉からその懐刀として揺るぎない信頼を得るようになります。
「吉継に100万の軍勢を与えて、自由に指揮をさせてみたい」と秀吉は語ったといいます。また、ある史料には「吉継は、人柄が良く才能豊かで仕事を嫌がらないことで、秀吉も満足した」とあります。これらのエピソードは、いかに秀吉の吉継への信頼がいかに厚く、また強い絆で2人が結ばれていたかを物語るものといえるでしょう。
次のような話もあります。あるとき大坂で、「千人斬り」と呼ばれる辻斬りが出没し、秀吉の頭を悩ませました。しばらくして犯人が捕らえられ処刑されましたが、実はそれまで吉継が犯人であるとの噂がささやかれていました。しかし、秀吉はそんな噂にまったく耳を貸さず、吉継を重用し続けました。秀吉は吉継の人間性を信じていたのです。
生涯、石田三成との友情を貫く…
秀吉とともに、吉継を語る上で欠くことのできない人物が石田三成です。両者とも同じ近江の出身。年齢も近く、2人は秀吉の家臣の中でもお互いを一番よく知る親友になります。
1587年、大坂城で開かれた茶会で、招かれた家臣は出された茶を一口ずつ飲んで次の者へ回していきました。しかし、吉継が口をつけた茶碗を誰もが嫌がりました。吉継はその頃すでに深刻な病に冒されており、病気の感染を皆が恐れたのです。しかし、三成だけはその茶碗取って飲み干した上に「おいしいのでもう一服いただきたい」と伝えたそうです。吉継と三成の固い友情を示すエピソードです。
しかし、吉継は三成を大切にする一方で、冷静な人物評価ができる観察眼も持っていました。関ヶ原の戦いで吉継は三成の西軍に加わりますが、徳川家康の武将として力量、天下人としての器の大きさを認めていました。一方、三成については有能な人物ではあっても家康には及ばないと判断していたようです。
ですから吉継は、三成、家康の間に対決の気運が高まってくると、血気にはやる三成を翻意させようと説得に当たったようです。しかし、三成はその提案を拒否。彼の決意が固いことを知った吉継は、三成の味方として戦に身を投じる決心をします。家康相手の戦いには豊臣家の権威を守るという大義がありましたが、吉継にとって、関ヶ原への参戦は生涯の友・三成への友情の証に他なりませんでした。
1600年、ついに関ヶ原で三成の西軍と家康の東軍が激突。吉継は5700人の兵で臨みましたが、病が進行し目も見えないため、輿に担がれて後方から指揮に当たります。西軍・小早川秀秋の裏切りもあらかじめ予測して小早川軍の近くに陣を構え、寝返りの際はただちにこれに応じて退却させています。しかし、西軍の他の武将も東軍に寝返ったことで吉継隊は壊滅状態に。敗北を悟った吉継はその場で自害を果たし、短い生涯を閉じました。
今のビジネスにも生きる2つの吉継の教え
義に生き、義に殉じた大谷吉継は、親友・三成に対してこんな言葉を伝えています。「大将にとって真の“城”となるのは人格。人格に優れる者に天下は従うのだ」「お前は利を使うことに才があり、それゆえ太閤殿下に重用された。しかし、人は利のみで動くわけではない」。
上に立つものに重要なのは人格、人格が備わってこそトップになれる――。人は利益を与えるだけではついてこない――。こうしたことを吉継は分かっており、有能であっても人望に乏しく、利益を与えることで人を動かそうとする三成を諭そうとしたのでした。
この2つの言葉は、現代の経営者にとっても、常に心に刻んでおきたい心構えです。ビジネスにおいて利益を追求することが最大の目的です。しかし、いくら利益を生む力があっても、人格が優れていなくてはトップに立てない。そして、いくら報酬を高くしてもそれだけでは従業員はついてきません。
大谷吉継は「人は利だけでは動かない」という自らの言葉を実践したかのように最後まで義に生きて、戦場に命を散らしました。不利が分かったうえで、友情を大切して全力を尽くした吉継の生涯は私たちの心に非常に響くものです。