「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」。江戸時代の文人・神沢杜口(かんざわとこう)が、毛利勝永(1578〜1615)を真田信繁(幸村)と比較していった言葉です。
勝永は、大坂の陣で豊臣方の主力武将となった「豊臣五人衆」の1人です。NHKの大河ドラマ「真田丸」では、岡本健一さんが寡黙にクールに演じています。後藤又兵衛役の哀川翔さんの熱いキャラクターとの対照が印象的です。
五人衆の中で、信繁はもちろん又兵衛、長宗我部盛親らと比べると勝永の知名度は決して高くありません。しかし、その活躍ぶりや力量は、信繁や又兵衛に決して劣っていたわけではありません。
豊臣家の家臣として戦功を重ねる
勝永は、毛利勝信の子として尾張(現・愛知県)で生まれました。毛利姓ではありますが、本連載3回目で取り上げた毛利元就の毛利家とは直接の血縁関係はありません。父の勝信はもともと森姓を名乗っていましたが、秀吉の命によって姓を毛利に変えました。
勝信は、秀吉に早くから仕えた古参の武将で黄母衣七騎衆の1人です。勝永も父と同様に秀吉に仕えます。1597年には、秀吉の朝鮮出兵に従軍。蔚山倭城に攻め入る明・朝鮮連合軍を黒田長政らとともに撃退し、防戦一方となっていた加藤清正らを救出するなど武勲を上げます。
1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いでも手柄を立て、毛利輝元・宇喜多秀家から感状と3000石の加増を受けました。しかし、関ヶ原の本戦では、父・勝信とともに参加した西軍が敗戦。勝信・勝永親子は領地を奪われ、最初は加藤清正に、その後は土佐の山内一豊に預けられることになります。山内家とはもともと親交があり、勝信・勝永親子は1000石の領地をあてがわれて手厚く遇されました。
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1603年に江戸幕府を開府。徳川家が政権を握る新たな時代を江戸でスタートさせます。しかし、大坂には豊臣秀頼が控えており、両者の間の緊張が次第に高まっていきました。そして、土佐で日々を過ごす勝永に秀頼から参陣を依頼する手紙が届けられます。
大坂夏の陣で敵将を称賛するほど活躍…
勝永が身を預けている山内家は、徳川に仕える家。藩主・山内忠義が家康の養女を妻としているほど、徳川とは深い関係にあります。勝永が豊臣家の元に駆け付けることを許すはずがありません。
勝永は山内家にも恩がありますが、若い頃から父とともに仕えてきた豊臣への義を優先しました。大坂でも徳川のほうに付く体裁を装いながら、秀頼の元に向かいます。始まった大坂の陣で、勝永は先頭に立って大坂城の防衛に命を懸けます。
勝永の活躍で特に名高いのが、1616年の大坂夏の陣です。大坂城を出た勝永の隊は、天王寺付近で本田忠朝隊と対峙。豊臣側の先陣として、徳川側との戦いに突入します。この戦いで、勝永は本田忠朝隊を撃破。関ヶ原の戦いでも東軍の将として大きな戦功を上げた重臣・本田忠朝を失ったことで、徳川側には動揺が走ります。
続いて勝永隊は小笠原秀政を討ち取ると、酒井家次、本多忠純、榊原康勝の隊を次々と破り、まさに獅子奮迅の活躍を見せます。これを後方で見ていた徳川側の黒田長政が「あの際立った采配をしている大将は誰か」と聞いたというエピソードが残っているほどです。
そしてついに、勝永は真田信繁の隊らとともに家康の本陣に迫りました。豊臣側のあまりの勢いに、家康は自害を覚悟したといわれています。しかし、兵力で勝る徳川側との戦いを重ねるうちに豊臣側の隊は押し返され、勝永も撤退を決意します。井伊直孝や細川忠興らの攻撃を防ぎながら、大坂城に退却しました。
豊臣の敗北を悟った勝永は、翌日、最期まで仕えた豊臣秀頼の介錯をした後に自害し、37歳で生涯を閉じました。
家康の心も動かした勝永を励ます妻の言葉
敵将からも称賛され、名将として勝永が後世に名を残すことになった大坂の陣。勝永がそこに臨む際の逸話が残されています。
大坂に来るよう秀頼から依頼があったとき、土佐にいた勝永はためらいます。豊臣家に多大な恩を感じていましたから、秀頼のために命を懸けて戦うのはやぶさかではありません。しかし、勝永たちが身を寄せている山内家は徳川に仕える家です。世話になった恩義に加え、勝永が秀頼の元に駆け付けたら、妻子がどのような目に遭うか分からない不安もあります。
「どうすればいいか……」。勝永の悩みを聞いた妻は、きっぱりと言い放ったといいます。「主君のために働くのは、家の名誉です。残る者が心配ならば、私たちは命を絶ちます」。妻の励ましで腹を据えた勝永は、決然と大坂に向かいました。のちにこの逸話を聞いた家康は「丈夫の志を持つ者である。彼の妻子を許し、罰してはならない」と命じ、敵将の家族であるにもかかわらず勝永の妻を保護したということです。
この話で感じるのは、周囲の理解が仕事の大きな力になるということです。勝永も、大坂での戦いが豊臣と徳川の雌雄を決する激戦になることは分かっていました。父の代から仕えてきた豊臣のために、なんとしても駆け付けたことでしょう。しかし、それを後押しする妻の一言がなければ、駆け付けることを断念したり、駆け付けたにもしても家族のことが気がかりなまま戦に臨むことになったりしたかもしれません。それでは、徳川の名将を次々と倒していく活躍はできなかったでしょう。
現代のビジネスパーソンも大きな仕事に臨むときには、少なからず不安を抱えているでしょう。新しく事業を起こすときや、海外で拠点をつくるために転勤が決まったとき、あるいは大きなバジェットのプロジェクトマネジャーを任されたときなどに、不安を持たないはずはありません。
こうした際、家族や同僚などの励ましで覚悟が定まり、全力で取り組めるようになることがあります。いざというときには、周囲から仕事への理解と応援を得ることによってより大きな力が発揮できるようになるのです。そのためには、日ごろから家族や同僚を大切にして、仕事に対するぶれない姿勢を見せ、思いを共有しておきましょう。
逆に、家族や同僚が大きな仕事に臨む際には、応援する心からの一言をかけてあげてはどうでしょうか。それが仕事の成功の可能性を大いに高めることになると思います。