営業やマーケティングなど外向きの業務は得意でも、経理や財務といった社内の業務は苦手という経営者がいます。それによって会社が傾くケースも考えられます。戦国武将も同じことです。いくら勇猛で知略に長け、戦に強かったとしても、それだけでは長続きしません。
求められるのは領地経営の手腕。戦に勝って版図(はんと)を広げるだけでは意味がありません。広げた版図を含めてしっかりとした領国経営を行い、経済力を高め、それを軍の強さにつなげる。この好循環をつくることが強い戦国武将の条件です。
優れた領国経営で知られる武将に今川義元がいます。今川氏の領国は、現在の静岡県にあたる駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、そして愛知県東部の三河の三国。現在でも生産は行われているものの、静岡や愛知が米所としては知られていないように、当時も石高は高くなく、三国合わせても100万石に届いていませんでした。
米で国を豊かにすることは難しい――。そこで義元が目を付けたのが、商業の活性化でした。駿河、遠江、三河には東海道が走っており、東西を結びつける要所にあります。義元は宿場ごとに人馬を交替して運ぶ伝馬制によって物流をスムーズにし、商品の往来を促しました。
商品が動く所には、自然と商人や職人が集まってきます。義元は今川氏の御用商人である友野二郎兵衛尉を商人頭に任命し、集まってきた商人の取りまとめをさせます。
そして商売を盛んにするため、義元は商人に自由と特権を認めました。1542年には駿河の江尻において、毎月3度開催される市の場所代、宿の経営に対する税などを免除するとの令を出しています。
これは市場税を廃止し、新規の商人の営業も認めて城下町を繁栄させた、後の楽市楽座に似ていますが、信長が安土城下への楽市楽座令を出したのは1577年のことです。それに先んじた義元は、商品流通経済の重要性をいち早く認識していた武将といってもいいでしょう。
駿河には安倍金山、井川金山、富士金山といった金山がありました。当初、こうした金山からは砂金を採っていましたが、灰吹き法という精錬法が伝わり、金鉱石から金を採取することができるようになります。金山からの収入と商業の活性化により、義元は領国を発展させていきました。そしてそれが軍の強さに反映して、東海道一の武将と評価されるようになりました。
税制改革で国力を高めた北条氏康…
そんな義元とは別の手法で領国経営に力を発揮したのが、関東の雄、北条家の3代目当主、北条氏康です。
氏康が手を付けたのは、税制改革でした。後北条氏(ごほうじょうし)の祖である北条早雲がそれまで五公五民と50%だった税率を四公六民と40%に下げるなど、北条氏はもともと税制に高い関心を払っていました。しかしその後、在地領主による収奪に近いようなものも含めてもろもろの税が発生、領民の間には不満がくすぶっていました。
そんな状況の中、1549年に関東を大地震が襲います。このとき、被災した領民への対応が遅れて農民が大量に逃亡するという事態を招いてしまいます。不満が大きくなり、さらに他国に移る領民が増えていっては領国経営が立ち行かなくなります。そこで氏康は税制改革に乗り出しました。
氏康は諸点役(しょてんやく)と呼ばれる種々雑多な税を整理し、段銭(たんせん)・懸銭(かけせん)・棟別銭(むねべつせん)の三税だけを収めればよい仕組みにしました。税額は、厳密な検地に基づいて決定します。在地領主が私的に徴収していた税はなくなり、透明性が増し、領民は不当に搾取されることがないようになりました。
氏康にしてみれば、在地領主などが中間搾取することなく直接税が入ってくるようになるので、税収が増えることになります。また、労働奉仕である諸公事も城の工事である大普請、戦場での雑役である陣夫(じんぷ)などに限り、その他は免除しました。在地領主らが勝手に税や公事をかけるといった不正があった場合、直訴できる仕組みも整えます。こうして氏康は領民の疲弊を防ぎ、国力の増強を図っていったのです。
異なる手法で領国を発展させた2人の武将。義元は、商人を縛ることなく、権利を与え、活動を促すことで、国を活性化しました。商人は、いってみればやる気のある従業員。もちろん従業員に完全な自由を与えることは不可能ですが、束縛をできるだけなくし、動きを促す。それにより組織が活性化するイメージが義元のエピソードから浮かびます。
氏康の税制改革は、給与体系の見直しに通じるところがあります。税は徴収するもの、給与は支払うものという違いがあるものの、不透明なところがあるとモチベーションに関わるのは税も給与も同じです。不公平感があり、透明性のない給与体系になっていると、社員のモチベーションは上がりません。そこを、基準が明確で透明性のある給与体系にしたのが氏康の税制改革といってもよいでしょう。
義元、氏康だけでなく、織田信長、上杉謙信、武田信玄など有力な戦国武将の多くが領国経営にも力を発揮しました。戦の強さと領地経営の手腕の両輪がそろってこそ、その「家」は発展します。ビジネスも同様です。外向きの業務だけでなく、社内業務のレベル向上が、企業の強さにつながります。