ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2019.09.03
戦国武将は、一国一城のあるじ。現代でいえば、会社の経営者に比べることができる存在です。彼らが経営した「会社」は一体何をしたのでしょうか。今回からしばらくは、戦国武将を経営者に例えて戦略を読み解いていきたいと思います。まず取り上げるのは、豊臣秀吉の「秀吉株式会社」です。
秀吉が行った施策の中で、最も大規模なものともいえるのが検地でした。太閤検地と呼ばれ、ご存じのように全国で土地調査を行いました。
もちろん、それまでの戦国大名も検地を行っていました。ただ、家臣や寺社、村などに農耕地の面積、年貢などを調査・報告させる程度のもので、必ずしも農耕地の状況を正確に伝えるものではありませんでした。
また、従来の検地では検地用の竿で農耕地の広さを測り、升で収穫量を計って年貢の量を決めていましたが、使われていた竿や升はそれぞれの大名で異なっているという問題がありました。モノの長さ、体積、重さを測る単位を度量衡といいますが、戦国時代は、全国バラバラの度量衡によって年貢が決められていたのです。
そこで秀吉が検地を進める際に行ったのが、度量衡の統一でした。秀吉は、1間を6尺3寸(約191センチ)と定め、長さの基準を統一します。また収穫量を計る際に用いる升を、京都を中心に用いられた京枡に統一しました。これで、広さも量も1つの基準で測ることができるようになりました。
秀吉の太閤検地では、京枡を使って田畑1段当たりの生産力を計りました。そして、1石5斗の生産力がある「上田」、1石3斗の「中田」、1石1斗の「下田」といったように田畑に等級をつけていきました。この田畑1段当たりの生産力が石盛(こくもり)です。
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戦国武将に学ぶ経営のヒント