戦国武将に学ぶ経営のヒント(第56回)秀吉株式会社の研究(5)新本社ビルとしての大坂城

歴史・名言

公開日:2020.01.07

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 戦国武将を経営者に見立て、その戦略を分析する本連載。豊臣秀吉の「秀吉株式会社」第5回は「大坂城」を取り上げます。

 秀吉は墨俣一夜城、石垣山一夜城と非常に短期間で城を造った伝説を持っている人物ですが、大坂城は1583年から15年もの歳月をかけて造られた大城です。

 現在、大阪城公園で見られる大阪城は徳川幕府が築いた大坂城の遺構を基にしたのもので、天守閣は1931年に建てられました。秀吉時代の遺構はほとんど残っていませんが、地元では「太閤はんのお城」として親しまれているように、元は秀吉の城です。

 大坂城について触れるには、秀吉の前に遡る必要があります。大坂城の場所にはかつて、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の本山である石山本願寺がありました。浄土真宗は一向宗とも呼ばれ、信徒は強い団結力を持ち、各地の戦国大名としばしば対立しました。その本山である本願寺は大きな武力を持っていました。天下統一をめざす織田信長とも対立。戦(いくさ)に発展します。この石山合戦で九鬼水軍を味方に付けた信長は本願寺軍に勝利し、火の付いた石山本願寺は灰じんに帰しました。

 信長は、この石山本願寺の地を自らの拠点にする考えを持っていました。理由は、その地の利です。石山本願寺の周りには淀川や大和川の分流があり、天然の要害となっていました。また、淀川を上ると京都につながり、下ると港町であり商業都市の堺にも近く、瀬戸内への水路も開けているという、交通の要衝(ようしょう)となる地でもありました。

 しかし信長は1582年、本能寺の変で斃(たお)れます。池田恒興から土地の領有権を受け継いだ秀吉は、信長の安土城をモデルとしながらそれをしのぐ規模の巨城を構想。1583年から築城を開始し、本丸の工事だけでも1年半近い歳月をかけたといわれています。

 総工期は15年。1598年に完成した大坂城は「三国無双の城」と呼ばれる壮大なものでした。大天守は外観5層で、瓦などに金がふんだんに使われていたといいます。内部も金銀の装飾にあふれ、秀吉の権勢を表すのに十分な城でした。

 1598年に秀吉が没した後、1614~15年の大坂冬の陣、夏の陣で豊臣側が敗北。大坂城は徳川幕府の手に渡ります。そして秀吉時代の面影を残さない形で徳川秀忠が大坂城を修築し、大坂城は新たな時代に入りました。

人たらしのためであり、物流の中心地としての巨城…

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