戦国武将の役割は、領国の経営、諸国との外交など幅広いものがありますが、なんといっても運命を左右するのが戦です。戦でいかに勝利するか。武将は、中国古代の兵法書を読んで研究していました。兵法書には有名な『孫子』や本連載第45回で取り上げた『六韜(りくとう)』などがありますが、今回は『呉子(ごし)』を紹介します。
『呉子』は春秋戦国時代に著されたとされる兵法書で、代表的古典とされる武経七書の一つです。著者ははっきりとは分かっていませんが、魏に仕えた呉起(ごき)の筆によるものという説が有力です。上杉謙信や毛利元就なども、この『呉子』を参考にしていました。
『呉子』には、戦のときに用いる陣形など戦い方に関する具体的な記述もありますが、それだけではありません。現代のビジネスにも通じる考え方や言葉がいくつもあります。
例えば、「兵を用うるの害は、猶予最大なり。三軍の災いは孤疑より生ず」。兵を用いるとき、害となるのは決断しないで滞ってしまうこと。全軍の災いは疑いから生まれる、という意味です。
これは、リーダー論として読むことができます。ビジネスでも、リーダーの決断が遅れることの弊害はよく指摘されるところです。まして、スピード感が重要になっている昨今のビジネスでは、決断の内容ではなく、決断の遅れ自体が致命的な結果をもたらすことも珍しくありません。
もちろん拙速な意思決定は慎むべきですが、リーダーが時間をかけ過ぎることの弊害は2000年以上前の中国で指摘されていました。
「有功を挙げて進んでこれを饗(きょう)し、功なきをばこれを励ませ」との言葉もリーダーの心得で、功を挙げた者は進んでねぎらい、功がないものは励ませ、という意味です。
饗という字は饗宴などと使われるように、食事やお酒でもてなすというニュアンスがあります。古代の中国で、戦功を挙げた者を宴でねぎらうシーンが思い浮かびます。
これは、ビジネスでいうと評価に当たるでしょう。結果を出した者は積極的に評価してモチベーションを上げよ、ということです。
またそれだけでなく、同時に「功なきをばこれを励ませ」といっていることも注目に値します。結果を出せていない者も、そのままにしておかずに励ます気遣いが求められることをこの『呉子』の言葉は示しています。
『呉子』に記された「和」の重要性…
日本は和の文化で、争いごとなくおだやかにまとまる「和」を日本人は大切にするとよくいわれます。中国に関して和のイメージはあまりないかもしれませんが、『呉子』には和の重要性がうたわれており、これが数ある兵法書の中で、『呉子』ならではの特徴の一つになっています。
『呉子』の中で、和は次のような言葉で表されています。「国に和せざれば、以て軍を出すべからず。軍に和せざれば、以て陳を出すべからず。陳に和せざれば、以て戦を進むべからず。戦に和せざれば、以て勝を決すべからず」
「陳」というのは、陣形などの「陣」の元の漢字。国が和の状態でなければ軍を出すべきではなく、軍が和の状態でなければ陣を出すべきではない。陣が和の状態でなければ戦いに進むべきではなく、戦いが和の状態で進んでいなければ勝利を収めることはできない、といった意味です。
「和」という言葉が繰り返され、戦いの基本に和を置いていることがお分かりになると思います。そして、国の和が軍に、軍の和が陣に、陣の和が戦いにつながるというように、大きな単位の和が小さな単位の和の元になるという考えが示されています。
これは会社でいうと、社の和が部署の和につながり、部署の和がチームの和につながり、チームの和が結果につながるということになるでしょうか。
もちろん、個々が自立してやっていればいいという考え方もありますし、個人の自立性、自律性が重要なのは言うまでもありません。
しかし、まず社として理念・目標を全社で共有して和を作り、その理念・目標を部署単位に落とし込み部署内で共有して和を作り、さらにチームに落とし込んで共有することが結果につながる、と考えると『呉子』の言葉も現代のビジネスと十分に重なってきます。
そして、『呉子』にはこのような言葉もあります。「五たび勝つは禍、四たび勝つは弊、三たび勝つは覇、二たび勝つは王、一たび勝つは帝なり。ここを以て、しばしば勝って天下を得る者は稀、以て亡ぶ者は衆し」
1回勝つのは帝。そして2回勝つのは王、そして3回勝つのは覇と続きます。覇は天下を制するといった意味です。しかし、ここから悪い方に向かいます。4回勝つのは弊、つまり害、そして5回勝つのは禍で災い。勝ちを重ねて天下を得るのは稀、勝負を重ねて滅ぶ者は多いと、戦いを重ねることを戒めています。これは、社運を懸けるような勝負は何回もしない方がいいということになるでしょうか。
今回は、『呉子』からリーダー論、組織論に関する言葉を見てみました。『呉子』の作者とされる呉起は、紀元前四世紀に生きた人物。その呉起の言葉を、1800年以上後の十六世紀の日本の武将が参考にしていました。
おそらく、人間の本質、そして人間の集団である組織の本質は、いつの時代もそれほど変わらないものなのでしょう。戦国武将が『呉子』から学んだように、私たちも『呉子』から得るものが確かにあるように思われます。