戦国時代の戦は、山や川といった攻撃を防ぎやすい場所を舞台に行われることが少なくありませんでした。その一方、敵の領地に深く入り込んでの攻城戦、城にこもっての籠城戦でも名の知られている戦が多くあります。
一般的に、水攻めや兵糧攻めなどの印象から、城をめぐる攻防では籠城戦が不利だというイメージがあるかもしれません。しかし、攻める側は守る側の5~10倍の戦力を要するとも言われており、基本的に籠城側が有利とされています。
籠城側の勝利に終わった戦いとして有名なのが、第1次上田合戦です。この戦いでは、信濃国(現・長野県)の上田城に真田昌幸が籠城。徳川家康が攻め入りますが、1カ月ほど攻撃しても攻め落とすことができず、撤退を余儀なくされ、真田の名を一躍高める結果となりました。
また、武蔵国(現・埼玉県、東京都、神奈川県北東部)の河越城をめぐる戦いでは、上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の反北条連合軍が8万(※諸説あり)もの兵を率いて北条綱成の守る河越城を包囲しましたが、北条軍の勝利に終わっています。
そのほか、安芸国(現・広島県)の吉田郡山城を舞台にした戦いは、実際の戦いは野戦が主だったため正確には籠城戦とは言えないかもしれませんが、吉田郡山城にこもった毛利元就が尼子晴久を打ち破りました。
もちろん、籠城側が敗れ去った戦もあります。その一つが、城内が凄惨な飢餓状態に陥ったため「鳥取の飢え殺し」の異名を持つ第2次鳥取城攻めです。天下統一をもくろむ織田信長は、豊臣秀吉に中国攻めを指示します。秀吉は毛利氏の勢力圏である中国地方に攻め入り、因幡国(現・鳥取県)の鳥取城にまで軍を進めました。
秀吉軍は毛利氏方の山名豊国が居城とする鳥取城を攻め落とし、豊国は降伏。豊国は信長の臣下に入り、信長方として鳥取城を守ることになりました。
これに対し、豊国の家臣が反発。豊国を追放し、毛利氏の重臣である吉川経家を鳥取城に置きます。秀吉は再度、鳥取城の攻城に取り掛かりました。これが、第2次鳥取城攻めです。
鳥取城を「孤立」させた秀吉の作戦…
秀吉が取った作戦は、鳥取城を完全に孤立させることでした。まず、周辺の米を高値で買い占め、農村を焼き払って農民が鳥取城に逃げ込むように仕向けます。この時点で、鳥取城には1カ月分ほどの食糧しかありませんでした。
その上、陸の補給路の要衝にあたる雁金山砦(かりがねやまとりで)を奪い、補給路を分断。また海上輸送の拠点となる賀露の港を占拠し、河川輸送を担う千代川には船を並べ、陸、海、川の輸送路をすべて絶ってしまいました。
1カ月を過ぎる頃になると、鳥取城では食糧が枯渇してきます。そして、通常の食糧以外のものでも口に入れられるものなら口に入れるという状況になり、さらにそれさえもなくなって餓死者が続出するようになりました。
それでも約4カ月の籠城に耐えましたが、ついに経家は降伏を決意し、自身は切腹して最期を迎えました。
第2次鳥取城攻めは典型的な兵糧攻めによって籠城側が敗れた例ですが、同じく秀吉による小田原攻めは、籠城側が敗れたにしても少し様相が異なります。
小田原城は、武田信玄、上杉謙信という名将でも攻め落とすことができず、難攻不落の城となっていました。その秘密のひとつが、支城ネットワークです。北条氏は、小田原城の支城を関東一円に置いていました。この支城が防御網を形成し、小田原城を守る役割を果たしていました。決して、小田原城単独で難攻不落の城だったわけではなかったのです。
秀吉は、上野国(現・群馬県)、武蔵国といった周辺国で、腹心の武将に支城をひとつひとつ攻め落とさせました。映画「のぼうの城」でも取り上げられた石田三成による忍(おし)城攻めもそのひとつです。
支城による防御網を取り崩されていった北条氏政・氏直の親子は次第に追い詰められていき、小田原城は秀吉軍に包囲されて孤立状態に。氏直が降伏し、小田原城は開城しました。
基本的に、城の攻防では籠城側が有利とされています。籠城側が敗れたときのポイントは、孤立です。第2次鳥取城攻めは、補給路が断たれて鳥取城が孤立。食糧が届かない状況になり、城内が飢餓に襲われました。小田原攻めでは、支城が攻め落とされていったことで小田原城が孤立。開城せざるを得ない状況に追い込まれました。
逆に、籠城側が勝利した戦では城が孤立していません。最初に紹介した第1次上田合戦では、丸子城、戸石城といった支城が援護に回っており、支城とのネットワークで家康軍を撃退しています。河越城の戦いでは、北条綱成が籠城で持ちこたえている中、当主の北条氏康が後詰めと呼ばれる後方の軍勢として駆け付け、上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合軍を退けています。
企業でも、例えば本社から離れた支店、営業所、工場、店舗などは容易に孤立し得る存在です。順調に売り上げが上がっていたり、生産が問題なく進んでいるような場合は特に問題になりませんが、売り上げが伸び悩んでいたり、生産体制でトラブルを抱えているような場合、孤立は危険です。本社からのリソース面、精神面でのサポートが必要です。
また、場所が離れていなくても、新たに立ち上げたプロジェクトが行き詰まり、孤立するようなケースもあります。プロジェクトは、企業戦略的に必要だからこそ始められたものです。プロジェクトマネジャー、プロジェクトメンバーへのマネジメント層からのサポートが重要です。さらに、スタッフ個人にも同じことが言えるかもしれません。
支店、営業所であっても、プロジェクトであっても、個人であっても、プロフェッショナルとして仕事をする以上、自立・自律した存在たる必要があるでしょう。しかし、それが孤立になっては危険である。こうしたヒントを、戦国時代の籠城戦の敗北は見せてくれているのかもしれません。