戦国武将に学ぶ経営のヒント(第94回)どうした家康(2)金ヶ崎の戦いと家康の「不変」

歴史・名言

公開日:2023.04.24

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 徳川家康の生涯を描くNHKの大河ドラマ「どうする家康」。話は進み、松本潤さん演じる家康は織田信長の上洛とともに京都に向かいました。

 そして4月16日に放送された第14回「金ヶ崎でどうする!」で、家康は金ヶ崎の戦いに臨みました。「金ヶ崎の退き口」で知られるこの戦に関して、家康はどのような判断をしたのでしょうか。

 金ヶ崎の戦いの話に入る前に、まず時代背景を押さえておきましょう。16世紀の半ば過ぎ、200年以上続いてきた室町幕府は危機に陥っていました。1565年に13代将軍・足利義輝が三好義継、松永久通らに暗殺されるという大事件が勃発。将軍の座は空位となり、相通じていたはずの三好氏と松永氏が次期将軍の擁立をめぐって対立し、都は混乱に陥ります。

 義輝の弟・義昭は、兄の暗殺後に近江国(現・滋賀県)へ逃げ延びていました。この義昭に接近したのが、信長でした。1568年、信長は都を制圧すべく義昭を奉じて上洛します。その直後、三好三人衆に推されて14代将軍となった足利義栄が病没し、義昭が15代将軍に就任。信長は一気に政治の中枢へと近づきます。

 信長は都の秩序を回復させるとともに、義昭体制と自らの権威を固めるため、諸将に上洛を命じます。しかし、越前国(現・福井県)の朝倉義景はこれに応じませんでした。そこで1570年4月、信長は越前の朝倉領に侵攻しました。信長軍は、朝倉景恒が守る手筒山城を攻め落とし、続いて金ヶ崎城も攻略。義景は北に向かい、木ノ芽峠一帯への退却を余儀なくされます。

 勢いの止まらない信長軍がこれから木ノ芽峠を越え、義景の本拠地である一乗谷に向かおうというそのとき、事態を一変させる出来事が起こります。信長軍の浅井長政が朝倉方に寝返ったのです。

 信長の妹・お市は、浅井長政に嫁いでいます。これは浅井の領地である北近江を押さえるための政略結婚だったのですが、信長にとって長政が義理の弟であることに変わりはありません。信長は最初にこの報告を受けたとき、虚報だとして信じようとしませんでした。しかし、同じ内容の報(しらせ)がいくつも入り、信長も信じざるを得なくなりました。

 長政の裏切りに関する逸話としては、お市の方が信長に送った「小豆の袋」が有名です。両端を紐で結んだ小豆の袋は、信長が「袋の鼠」であることを示していると言われています。時代劇や大河ドラマでもよく描かれるシーンですが、後世の創作であると見られています。

 長政が信長を裏切った理由については、朝倉と立てていた不戦の誓いを信長が破ったからとも、長政が朝倉と同盟を結んでいたからとも言われますが、真相は今もわかっていません。

 朝倉方に付いた長政は、南から信長軍に迫ります。一方、北に逃げていた義景は南に引き返し、信長の軍勢は南北から挟まれる形になりました。

信長、絶体絶命!そのとき家康は……

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