ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2015.10.15
戦中や戦後について深く知らない若者が増えている。終戦から70年。当時のことを振り返るには良い機会だ。社員研修の一環として戦争に向き合う中小企業も現れている。
事務用品の販売やオフィスの改善事業などを手掛ける山崎文栄堂(東京・目黒)では2010年、全社員で鹿児島県南九州市の知覧町への研修旅行に参加した。今年3月には、その後に入社した社員が同じ研修を受けた。
知覧町には太平洋戦争末期に始まった特攻隊の出撃基地があった。特攻隊員の遺書や遺影が知覧特攻平和会館に保存されている。知覧への研修旅行の意味について、山崎登社長はこう語る。「戦争について、何か特別なことを学んでほしいのではない。事実に触れて、あとはみんなが感じるままに任せている」。
そもそもは山崎社長自身が08年に経営者向けの知覧研修旅行に参加し、感銘を受けたのがきっかけだった。この研修で山崎社長は特攻隊員たちの最期の日々を思い、涙が止まらなかったという。
山崎社長には経営者としてある悩みがあった。3代目として社長に就任したのは03年。翌年からは新卒採用を始めたが、「社員の気持ちを1つにすることがなかなかできなかった」と振り返る。
売上高は03年度の24億円から、直近では51億円へと拡大した。しかし当初の5、6年は、「社員の定着率は良くなかった」と明かす。そんな中、全社員を知覧研修旅行に連れていったのは「私が体験したものを社員にも経験させたい」(山崎社長)という思いからだった。強引に誘ったのではなく、山崎社長の体験を話したところ、社員の側から知覧に行きたいという声が上がった。
知覧町では富谷旅館に宿泊した。特攻隊員がよく利用した富屋食堂が旅館に改装されて残っているのだ。富屋食堂を営んだ鳥濱トメさんが話した特攻隊員たちの最期の日々は、鳥濱家の子孫に伝えられている。今は孫の初代さんが旅館の女将となり、宿泊客に語っている。
山崎社長にとって、知覧への研修旅行は社員のスキルアップや目先の利益向上を狙ったものではない。社員に対しても、どんなことに気づいたのかを自由に答えてもらうだけにとどめている。
ただ知覧研修に行って、社内の雰囲気は少し変わったようだ。悩みの種だった社員の定着率は改善し、14年には入社5年以内の定着率が97%となった。他のいろいろな取り組みの効果もあるが、知覧研修旅行もプラスに働いたと山崎社長は推測している。
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