日能研関東会長 小嶋勇氏
まったくの素人から事業を立ち上げ、中学受験のトップブランド「日能研」を築いた小嶋勇氏は「客が心の底から喜んでくれないとビジネスは成立しない」と言う。前年と同じことは絶対にやらない戦略で、少子化時代に立ち向かう。
――わずか3人の子どもを教えていた塾を生徒数1万5000人超、年間売上高125億円の教育企業に成長させた最大の要因は何でしょうか。
小嶋:大事なのは客の喜ぶことをするということです。客が心の底から喜んでくれないとビジネスは成立しない。では、どうすれば客は喜んでくれるのか。それには、同業他社がやっていないことをするしかない。
独立して事業を始めたばかりの頃、先生は学生アルバイトという塾がほとんどでした。それに対し、うちは全員プロの先生を雇った。加えて、すべての仕組みを年に1回、ゼロベースから見直しました。月謝も時間割も、前の年とそっくり同じということは絶対にしませんでした。月謝を半額にしたこともあります。
――それを目標に掲げるのは簡単ですが、実践するのは大変ですね。
小嶋:本気で客を喜ばせたいと思えばできますよ。僕はよく、「お客様は恋人だと思え」と言っていました。どうしたら相手は喜んでくれるだろうか、自分を好きになってくれるだろか、と真剣に考えていたら、仕事にもおのずと心がこもる。アイデアとはつまり「愛デア」なんです。もちろん、人と同じ時間働いているだけでは愛デアは浮かびません。人と違うことをしたければ、1.5倍は働く。社長だったら、社員の倍は働かないとダメです。
創業前に建設会社でサラリーマンをしていたとき、現場監督として最初に経験したのは「ポリトイレ」という仮設便所の世話でした。ビルの建設現場の作業員は各階に設置したこのポリトイレで用を足す。いっぱいになると、重さは30キロにもなる。それを階下に運んで本物のトイレに流しては、また戻す。
事業を始めたばかりのときにはお金もなくて、皿洗いをして糊口を凌ぎました。だけど、そうした経験は後々、役に立ちます。使われる側の人間の気持ちが分かるから。だから、経営者は若いうちにできるだけ苦労をしたほうがいい。
先ほど話した愛デアですが、最初の頃はほかと比べて高い給料はとても払えませんでした。だから、やめられないようにするにはどうしたらいいかと必死に考えて、毎晩、中古のマイカーで先生の送り迎えをしました。
社員の自宅を、アポなしで訪問したこともあります。「近くまで来たので」と菓子折りを持って行くんです。そうすると、奥さんは感激して、それ以降、残業で遅くなっても理解してくれるようになった。おかげで、社員がどんな暮らしをしているのか、どんな家族構成なのかも、よく見えました。
記念日には花。でも毎年、何かしら変えます…
――「やめたい」という生徒が出た場合は、どう対応されましたか。
小嶋:無理に引き留めるな、と社員には言いました。「やめる」と言った時点で、相手はもう9割方心を決めている。無理に引き留めてもこじれるだけ。そんなことをするくらいなら、やめてから年賀状の1通でも出せば関係が続く。
先生方にはいつも、生徒たちの「恩師」になってくれよ、とお願いしていました。そのために、「授業が始まる前の3分間、必ず生徒が知らない話をしてやってくれ」とも。例えば、ギリシャが30兆円の国債発行で破綻しそうだというニュースがあれば、「30兆円はだいたい神奈川県のGDPと同じくらいの規模だ」と教える。知らないことを教えてあげると子どもたちは喜びますし、親や友達にも話したくなる。それが、いわゆる「口コミ」効果で広がる。
会社が大きくなってからは、親御さんの意見を私立学校に伝えようとしました。受験票に写真を貼る必要はないんじゃないかと学校に要望したり、補欠で待っている子のためにトップ校の召集日を合わせてくれ、とお願いしたり。僕には何の利害関係もありませんから言いやすい。そうやって決まったことはいち早く説明会で報告できましたから、結果的にそれが顧客サービスにもなったんです。
――中小企業にとって人材の確保と育成は大きな課題です。これについてはどう考え、実践しましたか。
小嶋:まずは就業規則をつくり、それを徹底させた。そして、不景気のときには思いきってお金をかけて人材を確保しました。ある年には全員の誕生日に花を贈りました。次の年は結婚記念日、3年目は子どもの誕生日。これは一番、喜ばれました。同じことをやっても飽きられますから、毎年、何かしら変えます。
加えて、これはもう20年間くらい続けていますが、新入社員には必ず初任給と一緒に手紙を添えて「孝行手当」を渡す。そうすると、親御さんも「いい会社に入った」と喜んでくれます。そういう意味で、僕はずっと「社員は家族だ」と思ってきました。
一方で、人事考課は厳しくしました。勤務態度が悪ければ、左遷もした。先生の評価には顧客である生徒の意見も反映しました。不思議なことに、管理者の評価と生徒の評価はだいたい一致する。
評価結果は数字で示し、3年以上、ランキングが下位のままの講師がいたら、講師の仕事をやめてもらうなどの処置もとりました。基本的に叱るときはその場で叱り、褒めるときは賞状など紙で褒める。手元に残る紙はいつまでも見ることができますから。これは、子どもたち相手でも同じです。
――塾業界も合従連衡が進み、厳しい時代を迎えています。
小嶋:これから、小さいところはどんどんやっていけなくなるでしょう。独自カラーをしっかり持たないと生き残るのは難しい。うちはこれまで一貫して、中学受験のための塾ということでやってきた。これは徹底しないといけない。一方で、各地に設けた教室のある程度の統廃合も必要になってきます。
これからは「引く決断」が重要になりますが、経営者として、これはとても難しい。みんなが「いいね」と思うようなことはたいてい、どこかで誰かがやっています。たとえ周囲から反対されても、「正しい」と思うことを実行するのが社長の役割でしょう。
僕自身の経験で言えば、最も反対されたのは2006年にビルを26億円で買ったこと。それまで10億円以上の借金をしたことがありませんでしたから、これは相当に迷いました。だけど、「いざとなれば売却できるし、うまく回転すれば、本体の経営を下支えしてくれるはずだ」と考え、決断しました。実際に今、そのビルの家賃収入があるからとても助かっています。
会社を大きくするには「個人」を売ったらダメ
――中小企業が大きく成長するために必要なことは何でしょう。
小嶋:1人の人間ができることには限界がある、と思い知ることじゃないですか。自分が最高だと思っても、上には上がいる。塾を始めたばかりの頃、僕も教えていて、熱血漢だったから、生徒にはけっこう人気がありました。でも、あるとき、ふと気づいたんです。このまま自分が教えていたら、ほかの先生を潰すことにならないか、と。だから、どこかで引かなければならないと思いました。
塾の場合は特にそうですが、会社を大きくしたかったら「個人」を売ったらダメなんです。その先生以外は嫌だ、となるでしょう。社長もそう。あまり前に出過ぎると、「ほかの人じゃダメだ」となる。社長を売り過ぎると、会社が成長しなくなる。
――振り返って、最大の危機はいつでしたか。
小嶋:今でしょうね。安定してくると、会社は動きが鈍くなる。だからといって、創業メンバーがいつまでも口を出してもロクなことはない。歳をとると、成功体験しか記憶に残らなくなる。「あのとき、これで成功したらからもう一度やってみよう」は必ず失敗します。
65歳で社長を引退してから、本体の経営には一切、口を挟まないようにしています。これはとても辛い。子会社で名前だけの社長を続けてはいますが、ナンバー2の人間にはいつも「お前が社長のつもりでやってくれ」と言っています。経営計画を出させて、それがうまくいったら、そのまま社長に昇格させる。その代わり、失敗したら次の人間に交代します。人間にはそれぞれ器があり、会社は社長の器分しか大きくなれないといいます。僕は自分の器分、精いっぱいやった。あとは、今の社長次第です。
日経トップリーダー 構成/曲沼美恵