中央タクシー会長 宇都宮恒久氏
成田、羽田など空港まで送迎する「空港便」を主力とし、長野県内トップの売り上げを誇る。乗務員1人ひとりが現場で判断し、提供するきめ細やかなサービスが顧客の強い支持を得る。濃密な人間関係と良い社風の中で磨かれた、社員の人柄が良いサービスを生んでいる。
──中央タクシーは「お客様が先、利益は後」との理念を掲げ、顧客の強い支持を得ています。「体が不自由な高齢者に代わって雪かきした」「電動車いすを載せるために1時間かけて解体し移動先で組み立てた」など伝説となったサービスもあります。宇都宮会長はどのように理念を社員に浸透させていったのでしょうか。
宇都宮:創業以来約40年、とにかくしつこく「お客様主義」「お客様本位」と言い続けました。最初はなかなか理解してもらえませんでしたよ。お客様の乗降時に車から降りてドアを開閉する、お客様が車に乗ったら自己紹介をする、制服とネクタイを着用するといった基本的な指示すら従わない乗務員もたくさんいました。
当時の朝礼風景の写真を見ると、サングラスをかけ、堅気とは思えない真っ白なズボンをはいた乗務員がいます。それでもあきらめずに言い続けました。
中央タクシーの車のリアウインドーには「私はお客様を大切にします」と書いたパネルを置いています。当初はみんな「こんなの恥ずかしくて載せられない」とトランクにしまっていました。それで「パネルを接着剤で固定しよう」という声も出たのですが、いや、そこまではやらなくていい、外さなくなるまで待とうと。「外すな」「隠すな」と言い続けるうちに、だんだんと誰も外さなくなりました。
乗務員に誇りを
──宇都宮会長があきらめずに言い続けた原動力は何でしたか。
宇都宮:かつてタクシー乗務員は「雲助」と揶揄(やゆ)されることがあるなど、社会的地位があまり高くありませんでした。私はタクシー会社を見る世間の目、社会の目を変え、乗務員に働きがい、やりがい、誇りを感じながら仕事をしてほしいと思っていました。
「一般乗用旅客自動車運送事業」という許認可業のタクシー会社を、サービス業に変えていこうと考えたのです。
──顧客のニーズは時と場合に応じてさまざまです。どんなサービスを提供するか、マニュアルをつくって対応することはできませんね。
宇都宮:その通りです。タクシー乗務員の仕事はほとんどが事業場外労働。1人ひとりの乗務員が判断し行動するので、社長の目は届きません。良いサービスは現場に出ている乗務員のモラル、モチベーション、人柄から生まれます。その人柄は仲間との濃密な人間関係や良い社風の中で磨かれ、光っていきます。
タクシー業界は一匹オオカミの集まりで人間関係が希薄とされ、「自分の売り上げさえ良ければ周りは関係ない」となりがちでした。私はそれを変えようと思いました。
まず「あいさつ運動」と「ありがとう運動」に取り組みました。当たり前のことですが、会社で仲間と会ったら「おはようございます」「おやすみなさい」と言おう、小さなことでも仲間に「ありがとうございます」と伝えようと呼びかけました。こういう日常的な習慣から人間関係が良好になっていくと考えたからです。
ありがとう運動は6年前に長男の司が社長になってから「ありがとうカード」に進化しました。多い人は3カ月間で5600枚以上書いて配っています。良好な人間関係が出来上がり、感謝の気持ちが満ちた会社になっているのだと思います。
お客様と先輩社員が教育者になる…
──当初、なかなか理念を理解しなかった乗務員は、どのように変わっていったのでしょうか。
宇都宮:しつこく言い続けるうち、渋々でもあいさつや自己紹介をしてお客様に褒められると、それが喜びとなり、徐々に自発的に良いサービスを心掛けるようになります。顧客が一番の教育者です。
次の教育者は先輩社員。実は創業3年目から採用方法を変えました。それまで即戦力欲しさで経験者を優遇していたのですが、タクシー業界に長くいる人ほど、悪い習慣に染まってしまっていると感じ、思い切って未経験者に絞りました。
コップの中の濁った水を透明にするために、未経験者という真水を投入したのです。一気に30~40人採用できるわけではないから、スポイトで水を一滴一滴垂らすようなもの。最初のうちは一緒に濁ってしまうこともありましたが、あきらめずに一滴一滴垂らし続けました。こうして水が透明になり、良い社風が出来上がるまでには20年、25年とかかっています。
人間関係が出来上がり、社風が良くなると、現場で必要な指示命令は減って私の目の届かないところでも、物事が正確に動くようになりました。先輩たちの仕事ぶりを見聞きして、新人も緊張感を持って真摯に仕事に取り組むという好循環が生まれたのです。
──親切できめ細やかなサービスが評判となり、今では長野県内と成田や羽田、中部国際空港間を結ぶ乗り合いタクシーの「空港便」を含め、売り上げの9割は電話予約によるものになっています。
宇都宮:利用者のほとんどはリピーターですね。人口の少ない地方都市で商いをするにはリピーターをつかむしかないですから、一度つかんだら離さないというスッポンの精神で臨んでいます(笑)。
特に交通弱者と呼ばれるような身体障害者の方からは、中央タクシーがなければ困るという声が出ています。障害があると時に生きる力が萎えたり、生きることを煩わしく感じたりすることがある。そんなときに中央タクシーに乗って、乗務員の温かな接遇、人柄に触れると生きる力を得られるというのです。
そういうお礼のお便りを頂戴したときは、この会社はもはや単なるサービス業ではないと感じます。仕事を通してお客様の人生に触れ、お客様の人生を守る職業になっていると。
──全国的に乗務員不足に悩むタクシー会社が増えています。中央タクシーはいかがですか。
宇都宮:労働力が払底していて、労務倒産が現実味を帯びているタクシー会社があるそうです。問題の根底にはタクシー業界の離職率の高さがあります。幸い、当社の離職率は2%台。ほとんど辞めません。人が辞めない会社には、若くて良い人が入ってくるものです。その人たちがまた良い先輩を見ながら育っていく。好循環です。
この前、68歳になって体力的に限界という乗務員が1人辞めたのですが、仲間みんなにあいさつしたいからと4日間連続で朝礼に出ていました。あいさつで「1年のつもりで入社したけど十数年の長きにわたった。この仲間とずっといたかったからだ」と。本当に良い人間関係、仲間の絆ができていると再確認しました。
──宇都宮会長は6年前、長男の司さんに社長の座を譲りました。どんな思いで交代しましたか。
宇都宮:社長を引き継ぐ条件は3つあると考えていました。働き者である、センスがある、運がある、です。息子はこの3つともクリアした。それと私は28歳で中央タクシーを創業しているので、息子も30歳前後で社長になるのがいいと考えていました。
私は創業から30数年にわたって社長を務めましたが、同じ期間、会社を経営するのでも30歳前後からと、40代や50代になってからではだいぶ違う。もちろんその年代になれば、知識や経験は豊富ですが、ある意味でピークは過ぎている。20代、30代なら、体力、気力、精神力が最も充実した働き盛りです。しかも、業界にどっぷり浸かっていないから、常識にとらわれない経営も期待できます。
社長を交代したのは息子が30歳のとき。バトンタッチする際には「100%自分でやれ。一切口出しはしない。ただし相談にはいつでも応じるよ」と言いました。その約束はずっと守っています。よくやっていると思いますよ。合格点でしょう。
2年ほど前から、中央タクシーには長野市内の中学校の生徒が社会科見学に来るようになりました。朝礼で行うロールプレイなどを体験し、大変盛り上がっています。社会科見学でタクシー会社に行く、というのは聞いたことがありません。長野という地域社会において、中央タクシーの仕事に社会的価値が認められた証しです。その会社を次の世代、さらにその次の世代へとつなげていくことが今の私たちの責務だと思っています。
日経トップリーダー 構成/小林佳代