小松製菓会長 小松 務氏
岩手県の名物で小麦粉を原料にした「南部せんべい」の製造・販売を手掛ける小松製菓。創業者の母から継いだ「社員こそお客様」の思想を貫き、社員満足度の高い経営を実践する。社員への手厚い施策を可能にするため、確実に営業利益が得られる体制を整えてきたと語る。
──小松製菓は小麦粉を原料とする岩手県名物「南部せんべい」の製造・販売で業界トップ。せんべい市場は縮小傾向ですが、小松製菓は販売会社の「巖手屋」、洋菓子店の「タルトタタン」も加えたグループ売上高が約37億円と堅調ですね。どんな方針で経営をしていますか。
小松:小松製菓は私の母・シキが戦後、始めた南部せんべい屋が原点です。子どもの頃から苦労に苦労を重ねた母は、「つらいことがあっても感謝の心、“おかげさま”の気持ちを持つ人は必ず幸せになる」と説きました。私もその考えを引き継いで経営をしています。
私たちの会社が現在あるのは、せんべいを買ってくださるお客様のおかげ。原料を供給してくださる材料屋さんのおかげ。そして社員みなさんのおかげ。「感謝と創造」を社訓としています。
「社員こそお客様」
──「従業員満足度」の高い経営を徹底していることでも知られています。
小松:母は「社員こそお客様」とよく話していました。途中で辞めてしまった元社員は会社のことは良く言いません。彼らを敵に回したら会社の未来はない。「うちの会社はすごい」と喜んでもらえるように、大事にしろと。その遺志をくみ、当社では色々な取り組みを行っています。
例えば定年の撤廃。60歳定年だった頃、まだまだ元気な社員は「もっと働きたい」「仲間と一緒にいたい」と涙ぐみながら辞めていきました。これはおかしいと2002年に定年を65歳に延長。その後、本人の希望次第で65歳以上でも勤められるようにしました。今は70歳超の社員が何人もいます。
就業時間内に社員の誕生会も開きます。260人の社員のうち、その月に誕生日を迎える社員全員を呼び、常務でもある私の妻が作った手料理でもてなします。お土産にタルトタタンのケーキを1ホール持ち帰ってもらいます。
2006年には退職後の社員にも喜んでもらおうと、独自の「幸せ年金制度」を始めました。勤続年数や出勤率に応じて、1人2万~5万円のお小遣いを80歳になるまで年に2回差し上げるものです。毎回、小松製菓が経営する「四季の里」という和風料理店に招き、手渡ししています。おいしい食事をしながら昔話に花を咲かせる機会でもあり、みなさん、とても楽しみにしてくれています。
──社員の子育て支援にも熱心に取り組んでいますね。
小松:良い仕事をしてもらうには、家庭が幸せであることが必要だと考えています。育児休業制度、育児短時間勤務制度などを整え、保育園に通園する子どもがいる社員には1カ月1万円の助成金を出しています。3年前からは月に1回、就業時間中に外部から講師を招いて子育て勉強会を開催しています。子どもを素直に健やかに育てるために親はどう接すれば良いのかを学ぶもので、子どものいる社員は目を輝かせて聞いていますよ。
社員はみんないとおしく、かわいい。家族のようなものです。私どもの会社は零細で力はないけれど、社員に喜んで来てもらえる会社にしたいと、やれる範囲で色々な施策にチャレンジしています。
──感謝の心やおかげさまの気持ちを持って経営すると、社員にも伝わりますか。
小松:入社直後の社員は全くダメですよ。「はい」とも言わず、挨拶もしない。「おかげさま」どころではありません(笑)。でも1年で変わります。小松製菓には「もう一度会いたい人格を創ります。もう一度食べたい製品を作ります。仕事を通して社会に貢献します」という3つの誓いがあります。毎日の朝礼で唱和し、ミーティングで繰り返し説くことで次第にその考えが浸透していきます。会社だけでなく、家でも「ありがたい」という言葉をよく使うようになり、子供にもそう教えるようです。
利益重視の経営に転換…
──社員への年金や子育て助成金は経営的に見れば費用となります。やりたくてもできない会社も多いと思いますが、小松製菓はどのように実現していますか。
小松:すべての施策は「もうけ」あってのものですから、常に営業利益には気をつけて見ています。競争の激しい「レッドオーシャン」と呼ばれるような市場では戦いません。競合がなく利益が確実に取れる「ブルーオーシャン」を切り拓かないと。
社員には「他社とは違う商品を作れ」とハッパをかけています。新商品はたくさん出しますよ。どんなにパンチ力があるボクサーでも相手に強烈なパンチを当てるのは簡単ではなく、ジャブが必要ですよね。経営においてもジャブのつもりで頻繁に商品を出し、ダメなら急いで引っ込める方針です。
商品開発は毎日やっています。社員が新商品のアイデアを提案して取り上げられると金一封をもらえる仕組み。こうしてりんごチップやさきイカを載せたタイプ、落花生を加えたタイプなどユニークな商品を生み出してきました。
ただ、売り上げ至上主義ではいけないと肝に銘じています。実は90年代半ばにそれで厳しい状況に追い込まれた経験があるからです。
──厳しい状況とは?
小松:売上高を伸ばそうと直営店を増やし、プライベートブランド品の注文をたくさん受けた結果、まず、敷金、権利金などの費用や新たに雇うパートの人件費がかさんでしまいました。せんべいの販売量が増えるから新たに工場を建てて製造機械を導入しなくてはならず、借金も膨らみます。一時は売り上げと同程度の借金を抱えました。返済金、利息でカネが回らなくなり、黒字倒産しかけました。銀行の貸し剥がしにも遭い、本当に大変でしたね。借金はダメだと骨身に染みました。
母の時代から、「販売力=経営力」と錯覚し、売れれば良いと思い込んでいました。自己資本比率が低いと会社は不安定になるという当たり前のことが分かっていなかったのです。
幸福は未来の安心
──そこからどう脱したのですか。
小松:コンサルタントの方にキャッシュフロー経営の重要性を教えてもらい大改革しました。社員には「つぶれる寸前だけど必ず立て直す」と不退転の決意を表明して。赤字店舗を閉鎖し20数店舗あった店を8店舗に絞りました。商品数も400種類ぐらいから半分以下に削減。賞与も払えない状態だったけど、社員はよく我慢してくれたと思います。利益はどんどん返済に回しました。
借金がなくなった後は、何があっても半年から1年は社員に給料を払い続けられる体制を整えてきました。未来に不安がない状態こそが社員の「幸せ」。幸せ経営を実現したいと思ったのです。
もちろん、きちんと利益を出すために、社員に対しては厳しいことも言いますよ。例えば、一人ひとりに生産個数の目標を出したりしてね。それが結局は社員の生活に影響しますから。
実際、東日本大震災の直後は工場も稼働できず、店舗も開店できず、仕事がなかった。それでも社員は解雇せず、役員報酬などのカットで乗り切ることができました。
10年近くかけてようやく、感謝の心を大事にする感性の部分と、収益を追いかける数字の部分とがかみ合う経営にたどり着けたのだと思います。
──会社の事業承継についてはどのように考えていますか。
小松:現在、長男の豊がタルトタタン社長を務めています。今は洋菓子店事業だけを担当していますが、そう遠くないうちに全部の事業をやらせようと思っています。私は母のやっていたことを守ろうという気持ちが強かったけれど、息子には息子のやり方があるでしょうから、任せます。のびのびやると思いますよ(笑)。
息子が小松製菓に入社したのは黒字倒産しかけて苦闘していた時期でした。本当につらい状況を目の当たりにしたから、今も決して借金しようとしません。良い勉強になったと思います。
──今後の抱負を聞かせてください。
小松:来年夏の完成を目標に、新たな工場を建設中です。ガラス張りで製造工程が見えるようにする予定です。市内の美術館などと手を組んで、勤める社員が誇れるような、また小さな二戸の町に観光客が訪ねて来るきっかけになるような、夢のある工場を造りたい。それが私にとって1つのゴールだと思っています。
●感謝の心を受け継ぎ地域に生きる
小松製菓は務社長の母、シキさんが中古の手焼きせんべいの道具を買ったことから始まります。1918年生まれのシキさんは苦労人で、筆舌に尽くし難い厳しい環境の中で父が他界し、兄弟姉妹8人のうち生き残ったのはシキさん1人でした。幼少の頃は母親の実家に居候し、わずかな手間賃をもらうために山に薪を採りに行ったり、蚕の繭の糸を引いたり……。そんな中、奉公先で、せんべいづくりを覚えました。
ただ、持ち前の明るさと真面目さで、周囲に助けられることも多かったというシキさん。結婚後の48年に手焼きせんべいの道具を買わないかと声を掛けられ、借金をして購入。そこから「小松煎餅店」として歴史が本格的にスタートします。
幼い頃から「人に助けられてきた」という思いが強かったシキさんは、逆に従業員を徹底的に大切にします。貧しい農家出身で耳のあたりにあざがあり、それを髪で隠していた女性には手術費用を肩代わりし、治った後には会社から嫁入り道具をそろえて嫁がせたほどです。
その考えは今でも深く社内に根付いており、定年退職後に働くことができるレストランを開業。また、退職した社員には毎年、盆と暮に、「年金」を手渡します。その資金は、実は会社負担。年をとって家族に何か買ってあげられるようにという心配りからです。
小松製菓と社名を変更し、販売会社設立、洋菓子への参入などと手を打ち続けてきました。製造・販売する南部せんべいはお土産として地元でナンバーワン、そして、休日には洋菓子店の駐車場に入庫待ちの車列ができるほどです。会社が地元に報い、地元から会社が大切にされるというサイクルが回っているからです。
日経トップリーダー 構成/小林佳代
※掲載している情報は、記事執筆時点(2015年5月)のものです