埼玉県日高市でレストラン、精肉店、ハム・ソーセージ工場などを経営する埼玉種畜牧場・サイボクハム。養豚から食肉加工、販売まで「完全一貫経営」を貫く世界でも希有な存在の畜産企業だ。「食とは人に良いもの」との思いから徹底して品質にこだわりつつ、「食と健康のユートピア」創造を目指す。
当社は1946年に父(龍雄氏)が創業以来、種豚の育種改良を中心とする養豚業を営んできました。おいしい豚肉を求めて品種改良に挑み、自家製の飼料にこだわって、「ゴールデンポーク」「スーパーゴールデンポーク」などの銘柄豚を生み出してきました。その後、肉豚の生産、ハム・ソーセージの製造にも取り組みました。
「食」という字は「人に良い」と書きます。安心、安全で新鮮な人に良いものを提供するため、私たちは良いエサと良い水を与え、愛情をかけて健康な豚を育て、おいしい肉を命懸けで出しているつもりです。加工品は保存料や着色料を使わず、自然の味を大切にしています。こうした方針、取り組みを理解する方が、「あそこの肉を買いたい」「トンカツが食べたい」と何百軒、何千軒ものショップ、レストランを通り越し、はるばる来てくださっているのです。
笹崎:当初は育種改良で誕生した肉を、一般消費者に直接評価してもらいたいという思いがありました。今は店を私たち作り手の思い、考えを伝える場にしたいと考えています。良いものをつくろうとすればコストがかかり、決して安くはなりません。米国産の豚ロース肉は100グラム100円で売っている店もあるのに、うちの肉は250~260円。この価格差を埋めるのが店の役割です。
私たちは汗をかき、愛情を込めて肉を作っている。店では販売員が消費者と接する中でこういう商品の世界をきちんと説明し、お見せする。「世界」を「見せ」る。すなわち、店は「見世」なのです。…
──その後、ハム・ソーセージづくりにも挑み、養豚、精肉、加工、販売という完全一貫経営を成し遂げました。6次産業化の先駆け的な存在ですね。
笹崎:世界にも類のない会社のようで、食品コンテストなどで「種豚から手掛けている」と説明するとびっくりされます。海外ではマイスター制度はあっても農業、精肉業、加工業と分かれていて、あまり連携していないですからね。
ハム・ソーセージづくりは本場ドイツで学びました。銘柄豚肉だけを使い、まぜものを使わず、心を込めて間違いなく正しい品、「正品」を作った自信はありましたが、では、本当にそれがおいしいのか。「証」が必要だと思い、97年、オランダで開催した「国際食肉プロフェッショナル競技会」に参加しました。結果は金メダル。以後も本場DLG(ドイツ農業協会)の国際食品品質競技会で金メダルを連続受賞するなど高い評価をいただきました。証を得たことでお客様の支持も得ることができました。
──パークゴルフ場やアスレチック、日帰り温泉施設を併設したのはどういう理由からですか。養豚業からは離れた事業に感じます。
笹崎:皆さん、そうおっしゃいます。でも私たちが仕事をしているのは、お客様がニコニコ喜び、幸せになっていただくため。おいしい食に巡り合うのも幸せなら、「家族に囲まれている」「健康を維持する」ことも幸せです。「食と健康のユートピア」創造を目指そうと導入しました。
温泉施設は「花鳥風月」をテーマに設計。極上の泉質を楽しんでいただけるよう、食品製造で培った衛生管理手法を応用し、温泉の品質を守る努力をしています。
──牧場周辺の農家と提携し、野菜、果物、米などの直売所も設けています。地域活性化を意識していますか。
笹崎:40年前、養豚で出る堆肥を地元農家に使ってもらい作った野菜・果物を売る直売所を設けました。単独の店だけ良くなっても地域が疲弊しては意味がないですからね。地域の“宝物”を組み合わせ、地域創生を果たしたいと考えています。
量的拡大は目指さない
──完全一貫経営、食と健康のユートピア創造と誰も手掛けなかったことに挑み、人一倍苦労もあったと思います。どう乗り越えてきましたか。
笹崎:若い頃は悩みましたよ。大学卒業後、かつての同級生たちは何十億円も動かすビジネスをしていたり、イタリア製のスーツを着たりと格好いい。豚舎に泊まり込んで1頭2万円、3万円という商売をしている私は正直うらやましくて劣等感の塊でした。
そんなとき、唐の時代の臨済和尚の言行を綴った『臨済録』という本を読んで、「随処に主となれば立つところみな真なり」という言葉に出合いました。もう涙が出ちゃった。どんな会社であろうと、自分が主人公になってアクティブに動けばすべて「真」だと。この言葉が助けになりました。
──今の勢いに乗ってさらなる成長を目指しますか。
笹崎:社長の役割はあくまでもお客様と社員の幸せを実現することだと思っています。その結果が成長という形で表れることもあれば、地域に密着して存続するという形で出ることもあるでしょう。
サイボクハムは本店以外にも直営店・取扱店のネットワークを広げています。もし成長だけを意識するならば、3年で売り上げを5倍にすることもできるでしょう。でも、そうはしません。急速な成長をすれば急速に落ちるからです。
これは豚から教わったことです。だって豚が通常の3倍、5倍の速度で成長するなんて聞いたことがないでしょう。生まれる子豚の数が3倍、5倍に増えることもあり得ない。自然の摂理を外れた経営はできないということです。
──では何を目標に置いて経営していくのですか。
笹崎:経営には量的拡大を進める「覇道」と、質的向上を図る「王道」があります。私は王道の経営を目指します。小さくてもキラリと光る会社をつくりたい。
掃除のパートさんが「この温泉はこういう効能があります」と語りかけてきたり、直売所にいる農家の人が「この大根はこうやって食べるとおいしいよ」と説明してくれたりすると、とても身近に感じて、お客様も心を動かされますよね。こういう、心が入り込むような地域密着型の商売をすることが理想です。目指すゴールは果てしないですが、一つひとつ、実現していきたいと思います。
●豚から学んだ自然体経営
埼玉県日高市のはずれにある埼玉種畜牧場・サイボクハムの本社・工場には、年間400万人もの来場者が訪れます。東京ドーム2個分の敷地には、レストラン、パン工房、パークゴルフ場、陶芸教室からフルーツや野菜の売店までが並んでいました。小雨の肌寒い日曜日に訪れてみると、駐車場は昼過ぎにはいっぱいに。味わい深いトンカツを求めて、レストランには長い行列ができていました。精肉などの販売店も大にぎわいです。
かつてはここで養豚をしていたものの、感染症などのリスクを避けて牧場は引っ越しました。そして、笹崎社長が夢で豚からお告げを受けて、豚舎の跡地を掘ってみると、温泉が噴き出したのです。今では、天然の日帰り温泉施設となっています。まさに老若男女が楽しめる“豚のテーマパーク”です。
サイボクハムの人気の大本は、おいしい豚肉を提供し続けていることです。そのために飼料や豚舎の環境にこだわって、天然の味を追求しているからです。ですから、サイボクハムはムリな増産を考えません。自然を相手しているのに、数値目標だけが独り歩きするような経営はかみ合わないからです。だから社員にも、ゆっくりと、しかし着実に成長することを求めていくのです。自然の摂理に基づく経営とは、会社も社員も一歩ずつ進んでいくものなのです。
日経トップリーダー 構成/小林佳代
※掲載している情報は、記事執筆時点(2015年6月)のものです