「芝寿し」は北陸3県を中心に持ち帰り寿司店を35店営む。注文した弁当を「雨天キャンセルOK」とするサービスなどで顧客の支持を集める。食品業界の安心・安全は「良い社風」があってこそ守れると説く。
結果は予想以上の反響でした。口コミで広がり、金沢市外、さらには富山県、福井県からも注文が来るようになったのです。現在は1日1万5000食分ほどの弁当の予約が入ります。
梶谷:通常、弁当は早朝4時ぐらいから作り始めます。キャンセルの連絡が入るのは6時~6時半。それまでに作り終えた弁当は店舗で販売します。エビフライ、卵焼きなど前日から仕込んであったものはセットにして安く販売するなどの方法を考えます。一部、廃棄せざるを得ないものもあります。
キャンセルしたお客様は、「次の機会は芝寿しに頼もう」と思うようです。「先義後利」という言葉があります。自社の利益を先に取ればたぶん広がりはない。お客様はどうしたら喜ぶかを優先する考え方があれば、どんな商売も廃れないと思います。
──1991年に社長を引き継いでから、経営は順調でしたか。
梶谷:「2代目になるからには世間から評価される立派な会社にしたい」と肩に力が入りましてね。率先垂範して現場に入って仕事をしましたが、社員に対して「どうしてもっと頑張らないのか」と不信感が芽生え、溝が広がるばかりでした。社員は辞めてしまう。食中毒は発生する。売上高はそこそこ増えていったけれど、達成感や充実感が得られず楽しくなかった。経営とは何か、社長の仕事とは何かと悩み苦しみ、色々な人に聞いて回りました。
ある経営者から「経営の目的は人を幸せにすること」と言われ、カルチャーショックを受けました。そのときまで、僕は「給料をもらっている以上、社員は仕事をして当たり前」と思っていた。立派な会社にしたいというのも、自分を評価してもらいたいという意識があったからです。縁ある人に物心両面で幸せになってもらうことが大事だと自らが気づいた。ここから会社が変わっていった気がします。
──社員との接し方や社内の仕組みなどを変えたのですか。
梶谷:まず社内報をつくって毎月、巻頭に自分の思いを載せ、経営者と社員の価値観を共通にするために朝礼も始めました。朝礼では「いい人を見つけた」という時間を設けて、他の従業員の長所を話してもらう。普段から人の長所を見ようとする姿勢が生まれ、良い雰囲気が醸成されるようになりました。
また、それまでは「オレが憲法だ」という感覚で仕事も指示、命令することが多かった。でも言われてやらされるのでは、結果が出ても社員はうれしくありません。そこで目的だけ伝え、やり方は社員に任せるスタイルに変えました。小さな成功体験を積み重ねるようになった社員は辞めなくなりました。
──店舗や工場にはパートの従業員も多いと思います。
梶谷:従業員約500人中420人が女性のパート。今は長男がやっていますが、彼女たちには毎月、「社長塾」を開いて僕が1時間、話をしていました。
テーマは毎回同じで「良樹細根」。良い樹木は外からは見えない地下に細かい根が張り、地中の水分や栄養を吸い上げて幹や枝葉をつくる。同じように外からは見えにくいけれど、芝寿しも皆さんが朝早くからのり巻きを作り、押し寿司を詰めて経営が成り立っていると説明します。単なる作業ではなく、「手作りのおいしさを提供し、お客様に喜んでもらう価値ある仕事」であることを伝え続けるのが社長の仕事なのです。
──食品業界では従業員が異物を混入するなどの事件が相次いでいます。どうすれば「食の安心・安全」を守れると思いますか。
梶谷:手間もコストもかかりますが、まずはハード面でセキュリティを厳重にすること。芝寿しが6月に稼働した新工場では外部の人間は一切侵入できないよう、カードと暗証番号で認証するシステムにしています。
もう1つはソフト面で、やはり良い社風にすることだと思います。衛生上、従業員には体調が悪いときは休むよう指導していますが、何日か休んで出社したときに居心地が悪い職場だったら、「ムリしてでも働こう」と思ってしまいますね。そうではなく、従業員が常に気持ち良く働ける良い社風があれば、例えば、心根の悪い人が入ってきたときにもいづらく感じるでしょう。
──新工場の稼働で寿司の生産量は増えます。今後、どんどん出店を拡大していきますか。
梶谷:それをしてはいかんと思っています。地域に密着した、金沢の芝寿しであるべきだと。ただ北陸3県の人口も減少しますから衰退しない方法も考えていきます。
戦略商品と位置づけているのが冷凍米飯。3~4年前から研究を始め、新工場には冷凍のラインを設けました。少し粘り性のある米を作ることから始め、炊き方や酢の調合を工夫し、マイナス40度で瞬間冷凍します。今では作りたての寿司と変わらないほどの味に仕上がりました。これを中国など世界市場で販売する方針です。すでに香港の大手ホテルには試験販売を始めました。上海の食品店チェーンにも話を持ちかけるつもりです。
──芝寿しでは事業承継をどのように進めてきましたか。
梶谷:両親は芝寿し創業後、毎日早朝から深夜までシャリを炊き、寿司を作り、販売していました。子ども心にも「いつ寝ているのかな」と思うほどでしたが、当の2人は晩酌をしながら「寿司屋は良い商売や」と話していた。芝寿しの前に営んでいた洋裁店のように、流行に左右されず、電器店のように売り掛け販売で資金繰りに窮したりすることがないから、と。僕は自然と「そんなに良い商売なら継ごう」と考えるようになりました。
事業継承がうまくいくか否かは、結局は父や母がその仕事を喜んでしているかどうか。芝寿しは新工場の完成を前に昨年10月、専務だった長男・真康が3代目社長を継ぎました。それまで、僕も長男の前で「寿司屋は良い商売だ」と言い続けていたつもりです。
父は僕が28歳で専務に就いた翌日から一切会社に出てきませんでした。食中毒が起きるなど苦しい局面もかかわろうとしなかった。冷たいなと思ったこともありましたが、一人で解決する経験を経たからこそ経営者の端くれになれた。社長を継いでいきなり新工場を運営する長男も苦労すると思いますが、僕も何も言うつもりはない。その苦労を乗り越えてこそ、次の80年、100年と続く企業になれる。僕としては、息子を信じ切ることが課題だと思っています。
日経トップリーダー 構成/小林佳代
※掲載している情報は、記事執筆時点(2015年7月)のものです