ベルギー発の高級チョコレートブランド「ゴディバ」が、日本で絶好調だ。2010年12月期の売上高133億円から、15年12月期は282億円と倍増。躍進の秘密は、弓道の精神を取り入れたフランス人社長の手腕にあった。
ベルギーを代表する高級ブランドのゴディバは百貨店などに出店してきました。ただ、消費者の声に耳を傾けると「あまり買う機会がない」という声があった。それで、身近な場所でも買えるようにしようと社内で提案したんです。
シュシャン:確かにブランド戦略では、二者択一を迫られることが多い。高級ブランドは店数をせいぜい50~60店に抑え、希少価値を追求する。一方、普及ブランドは「ユニクロ」のように店をどんどん増やして、より多くの消費者に商品を届けようとする。
けれど、ゴディバは両方を追求する道を選びました。高級路線を堅持しつつ、手軽に買えるようにするという戦略です。一見、成立しないように思うかもしれませんが、それは誤解です。
ハイレベルの品質とサービスを維持すれば、店を増やしても、心理的にはプレミアム感を保てます。ブランドイメージは消費者のマインドで決まるのであって、手に入りやすいかどうかというのは、あまり関係がないからです。
ゴディバへの憧れのイメージは一切潰そうと思っていない。もっと購買のチャンスを増やしたいのだと説明すると、社員も「なるほど」と納得してくれた。トップの意図を伝えるには、分かりやすいキーワードにすることが効果的だと改めて思いました。そうして、「セブン─イレブン」などで売り始めたのです。
シュシャン:お客様からは、深夜でも、家の近くでゴディバのチョコレートが買えるようになったと、とても喜んでもらえました。チョコレートのクオリティーは変えていませんし、店頭では、お客様にはゴディバのペーパーバッグに入れてお渡しすることで、プレミアム感も演出しました。
コンビニや駅ビルで売ると、百貨店などに出している既存店の売り上げが落ちるという見方をする社員もいましたが、結果的には全てのチャネルで売り上げは伸びました。一切、カニバリ(自社競合)はなかったんです。
理由はタッチポイント(購買できる場所)を増やしたことで、認知度が高まったからです。今まであまりゴディバを買わなかった人にも、いつも通っている駅ビルに店があるなら買ってみようという動機付けが働いたのです。
──そうした販売改革を進める過程では、高い数値目標を社内で掲げていたのですか。
シュシャン:いえ、全く。そもそも私自身、売り上げが2倍になったことに驚いています。(笑)
もちろん予算を立て、それをベルギー本社に上げました。ただ社員には、予算を気にし過ぎるのは良くないと言いました。結果的には毎年15%ずつ売り上げを伸ばした計算ですが、「毎年15%伸ばしなさい」と言ったら、逆に実現できなかったと思います。
その考えは、弓道の精神から来ています。大学時代に日本を旅行して以来、私は日本文化に強く興味を抱き、1990年、29歳の時に弓道を始めました。理由は、弓道について書かれた本を読み、矢を射る人と的の関係性がとても面白いと思ったからです。
弓道をしたことがある人なら分かることですが、矢を的に当てようと意識すればするほど、当たりません。審査会や大会の時には「当てたい」と強く願うものですが、そうすると体が変な動きになり、必ず失敗する。
「当てる」のではなく、「当たる」。これが弓道で学んだ精神です。正しいプロセス、正しい姿勢で矢を射てば、自然に当たるものなのです。当てようとした時点で、もはや当たらないのです。
──当てるのではなく、当たる。それがビジネスにも通じる、と。
シュシャン:そうです。ビジネスの世界におけるターゲットは顧客です。顧客の意見を純粋な心で聞いていれば、おのずとビジネスはうまくいく。ところが「予算達成のためにもっと売らなければ」「決算期が近いから売り込もう」といった邪念が入ると、仕事の仕方が途端におかしくなる。
それに「これだけ売れ」と押し付けたら、社員は情熱を失い、仕事の創造性も落ちますよ。「日本人は創造力に欠ける」という人がいますが、それは嘘です。「今度打つテレビコマーシャルで、予算を絶対に達成させろ」と社長に命令されたら、宣伝担当者は確実に当たりそうな企画に走るので、創造力なんて発揮できない。
日本のビジネスマンの創造性を下げているのは、環境です。ターゲットを強く意識させる組織の在り方が問題なんです。
消費者に質問する
──ターゲットを定めること自体は必要なんですよね。
シュシャン:ターゲットは必要ですが、ターゲットに気を取られないということです。(特定の指標を定点観測する)KPIも重要です。ただ、ターゲットを定めたら、その後はお客様のためにベストを尽くすことだけを考える。
先日、私の講演会で参加者からこんな意見が出ました。「私たち日本人は、学校では問題の考え方や解き方などのプロセスの大切さを散々教えられるのに、社会人になると結果主義になってしまう」。その通りで、プロセスに目を向ければ、もっと日本企業は良くなると思います。
──人事評価はどうするのでしょうか。結果重視ですか、それともプロセス重視ですか。
シュシャン:それは結果重視です。弓道でも、姿勢などのプロセスは評価対象になりますが、そもそも的に当たらないと話になりません。ビジネスも同じです。
──シュシャンさん自身は経営者として、「当てる」のではなく「当たる」ようにするため、どんなことを実践していますか。
シュシャン:できるだけ多くの消費者に、ゴディバについて質問するようにしています。採用面接では学生さんに、タクシーに乗ったら運転手さんに「ゴディバのチョコレートはどうですか。最近はいつ買いましたか」などと聞く。チャンスがあれば、どこでも誰にでも、すぐに質問しますよ。
すると「ちょっと値段が高いですね」などと率直な見方を教えてくれます。以前も「秋にピンクのパッケージは合わない」と言ってくれた人がいました。私たちはピンクはかわいいと思っていたけれど、必ずしも正解ではないんだと。本当に参考になります。
うちの社員に個人的な感想を聞いても、社長である私に気を使ってストレートに意見を言いにくい。だから私は意識して社外の時間をスケジュールに組み入れ、いろいろな人に質問します。
──顧客に質問をすることは、社長の重要な仕事なんですね。
シュシャン:組織で上のポジションになればなるほど、質問することが少なくなりがちです。「社長だから質問するなんてみっともない」と考えたりせず、どんどん質問をしたほうがいい。
弓道を習い始めた頃、「的と一体になりなさい」と先生に教えられました。最初は、距離が離れている自分と的が一体になるという意味が分からなかった。でもそのうち、ターゲットとの一体感が得られる瞬間というのが、たまに感じられるようになりました。
組織でも、トップと顧客との距離は放っておくと、どんどん遠くなります。だからこそ、トップが顧客の意見を聞く。トップが顧客と一体になるように努力すれば、組織の動き方が良くなります。
「一射一射」の精神
──経営の至る所に、弓道の精神が生かされているのですね。
シュシャン:最近、社内でよく言っているのは「一射一射(いっしゃいっしゃ)」という言葉です。弓道では、前の射(しゃ)が成功したからといって、それと同じように次の矢を射ようとすると、全然うまくいかない。
社内でも、「一年一年」の精神で毎年新しいことにチャレンジしていこうと話しています。例えばバレンタインデーのパッケージテザインは毎年、デザイナーを変えています。成功したデザインを変えるというのはリスクがありますが、それでも変えていく。
ブランドは何もしなければ自然に古くなります。常に新しさを感じてもらえるようにしないといけない。いえ、ブランドに限らずとも、今の市場のスピード感に乗るためには、前例を踏襲するだけではうまくいかないのです。
──チョコレートを使ったソフトクリームなど日本独自の新製品開発も積極的です。日本市場をどう展望しますか。
シュシャン:国民1人当たりの年間チョコレート消費量は、日本は2.2kgですが、ベルギーは7kg。日本市場のポテンシャルは大きい。これからもたくさんの商品を出していきます。
チョコレートは、人をハッピーにさせる商品です。大手のチョコレート会社も、中小のメーカーも、そうしたすてきな商品を扱っているんだという気持ちを持って、もっと購買の機会を増やせば、市場は拡大するはずです。チョコレートをコーヒーのように、よりメジャーな商品にしたいですね。
日経トップリーダー
※掲載している情報は、記事執筆時点(2016年5月)のものです