ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2016.11.02
※文中に登場する「高松建設」「高松コンストラクショングループ」「高松孝育会長」「高松会長」の「高」はすべて「はしごだか」です。
金剛組会長・高松コンストラクショングループ社長 小川完二 氏
聖徳太子の命によって四天王寺を建立して以来、宮大工として社寺建築に携わってきた金剛組。1400年以上続く日本最古の老舗企業は、なぜ経営危機に陥ったのか。初めて非同族経営者として金剛組に入り、再生を手掛けた小川完二会長に聞く。
──日本最古の企業といわれる金剛組が経営危機に陥り、2006年に高松建設に営業権を譲渡しました。当時、高松建設の副社長だった小川さんは、金剛組に派遣され経営者として再建を任されました。
小川:自分自身、全く想定していませんでしたから、驚きました。
もともと私は、高松建設の前職で富士銀行(現みずほ銀行)にいて、最後の1年は債権回収を担当する常務でした。金剛組の財務状況は、ひと目見れば分かります。大赤字で再建は厳しい状況でしたから、これは大仕事だぞと……。
ところが、高松建設の高松孝育会長(当時)は「歴史と技術は、一度壊れると、元には戻れなくなる。せっかく長い歴史と素晴らしい技術が大阪にあるのだからもったいない」と、助けたい一心で支援を決めました。私も覚悟を決めて金剛組に飛び込み、以降約6年間、12年に現社長にバトンを渡すまで社長を務めました。
──金剛組は飛鳥時代、578年の創業以来、金剛家によって経営されてきました。1400年以上続いた理由は何でしょうか。
小川:まず、優秀な人間にしか家を継がせなかったことです。たとえ本家の嫡男であっても、能力や人望がないと判断されれば、早いうちに廃嫡し、次男や三男、あるいは遠縁から有能な人材を引っ張ってきました。一族全体で代々厳しい目で棟梁としての技とトップとしての能力を見極め、後継者を選んできたのです。
次に、1400年もの間、決してもうけ過ぎずに身の丈経営を続けてきた。金剛家の家訓にも定めてあり、いわば「偉大なる中小企業」を維持していたのです。
利益を追い求めるよりも、信頼を得ることのほうが大切だ、今の信頼こそが次の仕事につながるという意識が強かった。高い技術と顧客との関係性が、長期の存続を支えていました。
──それが「身の丈」から外れてしまったことで、救済が必要なほどの赤字を生んだということでしょうか。
小川:バブル後に何とか売り上げを維持しようと、高齢者施設などの一般建築にも手を出したことが赤字を招いた原因でした。
マンションなど民間の箱ものを手掛ける場合、価格競争になりがちです。ところが、もともと価格で勝負しておらず、競争力がないところに出て行ってしまった。無理に受注し、結果的に受注額を上回るコストがかかり、多額の借入金を抱えるケースが増えたのです。
それでも受注すればまとまった額の着手金が入りますから、それを取りに行っていた。文字通り自転車操業でしたが、オーナー経営者の不用意な経営に、気付く間もなく赤字は膨れ上がる一方でした。
──そのような中、小川さんは初めて非同族の経営者となりました。…
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小川 完二(おがわ・かんじ)
1949年生まれ。鳥取県出身。京都大学経済学部卒業後、72年富士銀行(現みずほ銀行)に入行。横浜駅前支店長、審査第一部長、常務執行役員などを経て退職。2003年高松建設副社長に就任。06年金剛組社長に就任し、事業再生に取り組む。12年金剛組会長。高松コンストラクショングループ社長を兼務。
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