近年、企業が未払い残業代を請求されるケースが増えてきています。その背景には、働き方改革が本格化して労働基準監督署の監視が厳しくなったことや、人手不足による転職者の増加に伴い、新しい会社に移る前後に残業代の支払いを求める人が増えたことが要因として考えられます。
労働基準監督署による賃金不払残業の是正対象となった企業は、2016年1349社、2017年1870社、2018年1768社。支払われた割増賃金の1社当たりの平均額は、それぞれ943万円、2387万円、704万円に上ります(厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果」より)。
そうした状況の中、2020年3月27日、残業代などの未払い賃金を請求できる期限(賃金請求権の消滅時効期間)について、従来の2年から当面3年に延長する改正労働基準法が成立しました。これは、4月1日から施行される改正民法において債権の消滅時効期間が原則5年になることに対応するもので、4月1日以降に支払われる賃金から適用されます。さらに将来的には、民法同様、5年に延長されることが想定されています。
企業が労働者に対する未払い残業代を放置しておくことは、そもそも労働基準法に違反し許されず、また、労働者から仕事のやりがいや職場への愛着を奪うことになり、さらには、時効期間の延長により今後一層の経営上のリスクともなります。
そこで今回は、厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(以下:「ガイドライン」)などを参考に、企業が取るべき未払い残業代の予防と対応について解説します。
「残業代」という言葉は、広く一般的に使われていますが、労働基準法などにはそのような文言はありません。【1】時間外労働(1日8時間、週40時間を超えた労働)【2】法内残業(時間外労働には該当しないが、労働契約所定の労働時間を超えた労働)【3】深夜労働(午後10時から午前5時までの労働)【4】法定休日労働(法定休日〔週1日〕における労働)における賃金を総称したものを指します。
それぞれの割増率は、【1】は通常の労働時間または労働日の賃金(月給制の場合、1時間当たりの賃金(時間単価))の25%以上、【2】は通常賃金(時間単価)と同額、【3】は25%以上(①の時間外労働が深夜に及んだ場合は、50%以上)、【4】は35%以上です(労基法37条1項4項)。
ガイドラインでは「労働基準法においては、労働時間、休日、深夜業等について規定を設けていることから、使用者は、労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理する責務を有している。」として、使用者は、労働者の労働時間を管理する法的義務を負っていることを明らかにしています。
また、労働時間については「使用者の指揮監督下に置かれている時間のことをいい、使用者の明示又は黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たる。」としています。
そして、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置」として、使用者は「労働時間を適正に把握するため、労働者の労働日ごとに始業・終業時刻を確認し、これを記録すること。」(始業・終業時刻の確認及び記録)を要し、その原則的な方法として、「使用者が、自ら現認することにより確認し、適正に記録すること。」または「タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を基礎として確認し、適正に記録すること。」のいずれかによることを求めています。
例外的に、労働者の自己申告制によって労働時間を把握する場合には、使用者は「(労働者の)自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応じて実態調査を実施し、所要の労働時間の補正をすること。」などの措置を取る必要があります。
以上のように、企業(使用者)は労働者の労働時間を適正に把握することに努め、【1】~【4】の残業があった場合には、それぞれの割増率に従った残業代を支払う必要があります。
本当に基本的なことですが、こうした労働時間の適正把握が、未払い残業代が生じないようにする最も重要な予防策となります。なお、言うまでもないですが、労働基準法は労働者保護のための強行規定であり、例えば労働契約において残業代を支払わないなどの合意をしても、かかる規定は無効です。
基本給に残業代を含むことは適法か
ところで、企業によっては、毎月の残業代の計算に伴う事務処理上の煩雑さを回避するため、<1>基本給に残業代を含むという取り扱いをしたり、<2>営業社員の時間外労働手当を「営業手当」として固定額で支払うなど、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払う取り扱いをしたりする場合があります。このような取り扱いは適法なのでしょうか。
この点、裁判例においては、こうした取り扱いも支給する額が法所定の計算による割増賃金額を下回らない限り、適法とされています(大阪地判昭63・10・26、東京地判昭63・5・27等)。
ただし、このような取り扱いをする場合には、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを客観的に判別できるように、雇用契約書や賃金規定(就業規則)において、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分とを明確に区別できるようにしておくことが必要です(東京地判平3・8・27、大阪地判平14・5・17等)。
従って、<1>については、単に「基本給の中に割増賃金相当部分を含む。」などと定めるだけでは不十分であり、「基本給〇〇万円は、残業代〇万円を含む。」などと基本給のうちいくらが残業代として支払われているのか、あらかじめ明示しておく必要があります。また、<2>については、「〇〇手当は、残業代として支給する。」などと、その手当が残業代の趣旨であることを明示しておく必要があります。
そして、<1><2>いずれの場合も、そのカバーする時間分を超える時間外労働に対しては、別途、割増賃金を支払う必要があります。
未払い残業代が生じた場合の対応
冒頭に述べた通り、近年、労働基準監督署による賃金不払残業の是正対象となった企業数や、支払われた割増賃金の1社当たりの平均額は、高止まりしており、その対応は喫緊の課題といえます。そこで、厚生労働省「監督指導による賃金不払残業の是正結果」から、未払い残業代が生じた場合の各企業の擬態的な対応例を見てみましょう。
対応は、大きく2段階に分かれます。第1に、労働者の労働時間の実態調査を行った上で、不払いとなっていた割増賃金を労働者に支払います。実態調査は、パソコンのログ(コンピューターの利用状況やデータ通信など履歴や情報の記録)、メールの送信記録、入退室(館)記録、警備システム記録、金庫の開閉記録、労働者からのヒアリングなどを基に実施しています。
第2に、今後の賃金不払残業を解消するために、次のような取り組みを実施しています。
(1)タイムカードの代わりに、他人が記録できない生体認証による労働時間管理システムを導入し、同システムの記録と入退館記録との間に乖離(かいり)があった場合は、部署の管理者に対し、書面による指導を行うこととした。また、労働時間の適切な管理方法について記載した社内向けのガイドラインを作成し、管理者を含む全労働者に配布し、周知した。
(2)支店長会議において、経営陣から各支店長に対し、労働時間管理に関する不適切な現状およびコンプライアンスの重要性を説明し、労働時間管理の重要性について認識を共有した。その上で、労働時間の適正管理を徹底するため、自己申告による労働時間管理を見直し、ICカードの客観的な記録による管理とし、ICカードにより終業時刻の記録を行った後に業務に従事していないかを確認するため、本店による抜き打ち監査を定期的に実施することとした。
(3)労働時間に自己申告方法を含む適切な労務管理について記載されたガイドブックを作成し、管理者を含めて全労働者に周知し、自己申告の記録とパソコンのログ記録との間に乖離があった場合は、上司がその理由を確認する仕組みを導入した。加えて、労働時間管理上の問題点などについて、労使で定期的に話し合いの場を持ち、必要な改善を行うこととした。
(4)会社幹部が出席する会議において、自己申告制の適正な運用について実際に労働時間を管理する者に説明を行うとともに、当該管理者を通じて全労働者に周知した。その上で、自己申告とパソコンのログの乖離を自動的に確認できる勤怠管理システムを新たに導入し、月2回、必要な補正を行うようにした。加えて、労務管理についての課題と改善策を話し合う労使委員会を年2回開催することとした。
これらの取り組みをまとめると、大まかには……
〔1〕経営トップが賃金不払残業解消に取り組む方針を打ち出して、説明会、ガイドブックなどにより社内に周知させる。
〔2〕労働時間管理システムなどの客観的な記録を基礎として、その他の労働時間の記録方法と乖離が生じた場合には、その理由を確認するなどして必要な改善を行う。
〔3〕抜き打ち監査や労使の定期的な話し合いなどの実効性を確保するための方策を取る。
ということになるでしょう。
未払い残業代の予防と対応は、企業に大きな負担を伴うものではありますが、そのまま放置することは違法であり、許されません。賃金請求権の消滅時効期間の延長に伴い、今後、経営上のリスクが一層に高まることから、ぜひともこの機会に改善を図ることが望まれます。